山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

線虫の増殖も抑制効果

2023-12-06 22:34:07 | 農作業・野菜

 お茶やコーヒーに次いで飲んでいる「ハブ茶」。その原料は「エビスグサ」(マメ科)という。中央アジアまたは北アメリカ原産の外来植物で、日本には中国経由で漢方薬として江戸時代に伝わる。

 これもわが農地にあちこち勝手に野生化して猛威をふるっている。唐箕で莢を吹き飛ばし、種を確保する。

         

 莢ごとフライパンなどで蓋をしてから焙煎もできるという。莢を見るといかにもマメ科らしい出で立ちだ。高さが1m以上にもなり倒れると他の野菜にも影響も出る。しかし、周りの土中の線虫の増殖を抑制しコンパニオンプランツとしても利用されているうえに、マメ科なので土壌の改良にも貢献している。

           

 エビスグサは別名「ロッカクソウ」とも言われ、種子の形状が六面体らしいがわかりにくい。エビスグサの葉は食用にもなり、サラダやスープに加えると風味を引き立てるというが、まだ試してはいない。エビスグサは便秘や肩こりの緩和、眼精疲労などに効果があり、漢方で言う「決明子」の決明には明を開くという意味があり「目を良くする(決)種子」に由来するという。

       

 種をフライパンで焙煎してから、お茶や出汁用のパックに大匙1杯~2杯を入れてヤカンに投入する。沸騰したら火を止めて、冬には温かいまま飲んで、夏にはそのまま冷めるのを待って冷蔵庫に入れておく。

          

 色は麦茶に似ていて紅茶みたいだ。味はよりソフトな感じなので子どもでも飲める。種を多く入れたり、長く沸かしているとさすがに味はきつくなる。手間を考えるとこれを機会に、健康茶としてもっと飲んでいきたいと思った一連の作業だった。

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足踏み脱穀機と唐箕の出番だ

2023-12-04 23:01:11 | 農作業・野菜

 わが土地に勝手に野生化したエゴマ・ハトムギ・エビスグサの「ご三家」を収穫した。だが、それらを収穫したものを保管する容器や場所をどうするかであたふたしてしまった。かなり嵩張るのでそれを種がこぼれないような入れ物が必要。たまたまお茶を収穫する目の細かい網目の袋が数枚あったのでとりあえずそれを使う。

 そしてさらに、駐車場の奥にしまってあった足踏み脱穀機と唐箕を取り出すのに手間がかかった。毎年晩秋に出番があるのだが、やや遅い脱穀作業となってしまった。

      

 もと畑だったところはエゴマが侵出。種はすでにこぼれているのはわかったが、それでも経験則でいえば3割ほどはまだ実が残っている。あちこち散在しているエゴマを収穫していく。以前はエゴマの葉を使って料理もしたがどうも葉が硬いのが気になった。エゴマ油を獲るのもいくつかのハードルがあり、簡単ではないのが分かった。結局、エゴマの種をすりつぶしてゴマにしていくのが近道のように思えた。

            

 足踏み脱穀機で実を採っていくが、種が小さくてはっきり見えないのが不安だった。種以外の残骸のところにたまっているので、箒で丁寧に集めていく。エゴマは中世末期までは灯火の主役だった。菜種油に主役を明け渡したものの、現在は健康志向からその栄養効果が注目されてきた。

  

 唐箕に取り出した種などを入れてハンドルを回していくと、種はしっかり種だけが集まったのにホッとする。唐箕は優れた農具であるのがわかった。電力を使わずに大まかながら分別ができるのが気に入った。地球に負荷かけずに食材を産み出していく生産用具はこれからも注目に値する。

              

 種は0.5mmより小さいかもしれない。ここに油分があるとはなかなか実感できない。外はときおり突風が吹きつける。さいわい、駐車場の屋内で作業をしているので強風が来ても今のところ心配ない。エゴマは別名ジュウネンともいい、食べることにより十年長生きできるということから命名されたといる。だからもっと、レシピを豊富にされていくのが望ましい。わが家でも模索していく宿題となった。

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無頼派の心の中に住む少年

2023-12-01 20:54:16 | 読書

 先月11月24日に直木賞作家・伊集院静が癌で亡くなった。73歳の若さだった。彼の作品は『いねむり先生』を読んでから、氏の人間への洞察と共感の深さを知った。いっぱい彼の作品を読みたいところだったが、おいしいものは最後にとっておくオラの習性からか、なるべく触れないようにしていた。そして、氏の訃報を知りあわてて手元に置いてあった『機関車先生』(講談社文庫、1997.6)を読みだす。児童文学だがおとなも充分読みごたえある物語だ。

   

 舞台は瀬戸内海にある小さな島の小学校。発話障害のある吉岡誠吾先生が臨時教員としてやってきた。心配していた子どもも島民も吉岡先生の誠実さと頑健な体を通して信頼を得ていく。子どもたちは先生の風貌とスポーツ万能の吉岡先生を『キカン(聴かん)=機関車先生』と呼んで虜になっていく。物語はシンプルで粗い内容でもあったが、「二十四の瞳」がしばしば想起された。

   

 校長はこの新任の先生を授業ばかりでなく生活全般にわたってフォローし、肝心なところで寄り添っていく姿が美しい。校長は「私はね、たくさんの教え子たちを戦争に生かせたんですよ。戦争が愚かなことはこころの半分はわかっていました。つくづく人間は愚かなものだと思います。愚かなことをする人間をつくらないことが肝心です」と、自然豊かな島の風景を描写しながら語る。

         

 そして、津波や伐採から島民や生き物をを救った「イブンと樫の木」の伝説、ドイツ人のハーフということでいじめられていたヤコブが命を落としながらも海軍の弾薬庫建設を阻止した終戦まじかの歴史などを織り込んでいく。校長はまた、「本当に強い人間は決して自分で手を上げないものじゃ」と不当な暴力を我慢していた吉岡先生の真の強さを生徒たちに伝えていく。校長は機関車先生の黒子でもあった。

  

 ついに、短い任期を終えて機関車先生との別離の時が来てしまう。先生を島に定住させる案も真剣に検討されたがやはり先生は操車場から消えていってしまった。機関車先生が機関車に乗って去っていくオチが面白いが、この場面が涙腺を圧迫させる。

「人々の哀しみはたやすくは消えないし、ぎこちなくしか笑えないかもしれないが、自分の目に入る風景は、あなたが生きている証しであり、あなたの中に生き続けるものが、きっといつかやわらかな汐の音とともに、かがやく星々とともに安堵を与えてくれるはずだ。哀しみにはいつか終わりがやってくる。」

             

 『伊集院の流儀』のなかで、2011年の東北の大震災に遭遇した著者はそのように哀しみを捉えていた。最後の無頼派と言われたダンディな伊集院静の奥行は深い。1985年、前年に結婚したばかりの夏目雅子を病気で失った。その後、ギャンブルと酒に溺れた混沌を経て1992年、篠ひろ子と結婚する。『機関車先生』は1994年に刊行、この作品はその後アニメや映画にもなる。

     

つまり、『機関車先生』はそんな波乱の過程から産み出された息吹がある。傷を持つ相手に寄り添おうとする著者の姿勢はすでに一貫しているのがそこから伝わってくる。だから、女性からも男性からも親しまれる理由がある。芸能界の交友関係の広さも有名であるのもうなずける。

       

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