先月11月24日に直木賞作家・伊集院静が癌で亡くなった。73歳の若さだった。彼の作品は『いねむり先生』を読んでから、氏の人間への洞察と共感の深さを知った。いっぱい彼の作品を読みたいところだったが、おいしいものは最後にとっておくオラの習性からか、なるべく触れないようにしていた。そして、氏の訃報を知りあわてて手元に置いてあった『機関車先生』(講談社文庫、1997.6)を読みだす。児童文学だがおとなも充分読みごたえある物語だ。
舞台は瀬戸内海にある小さな島の小学校。発話障害のある吉岡誠吾先生が臨時教員としてやってきた。心配していた子どもも島民も吉岡先生の誠実さと頑健な体を通して信頼を得ていく。子どもたちは先生の風貌とスポーツ万能の吉岡先生を『キカン(聴かん)=機関車先生』と呼んで虜になっていく。物語はシンプルで粗い内容でもあったが、「二十四の瞳」がしばしば想起された。
校長はこの新任の先生を授業ばかりでなく生活全般にわたってフォローし、肝心なところで寄り添っていく姿が美しい。校長は「私はね、たくさんの教え子たちを戦争に生かせたんですよ。戦争が愚かなことはこころの半分はわかっていました。つくづく人間は愚かなものだと思います。愚かなことをする人間をつくらないことが肝心です」と、自然豊かな島の風景を描写しながら語る。
そして、津波や伐採から島民や生き物をを救った「イブンと樫の木」の伝説、ドイツ人のハーフということでいじめられていたヤコブが命を落としながらも海軍の弾薬庫建設を阻止した終戦まじかの歴史などを織り込んでいく。校長はまた、「本当に強い人間は決して自分で手を上げないものじゃ」と不当な暴力を我慢していた吉岡先生の真の強さを生徒たちに伝えていく。校長は機関車先生の黒子でもあった。
ついに、短い任期を終えて機関車先生との別離の時が来てしまう。先生を島に定住させる案も真剣に検討されたがやはり先生は操車場から消えていってしまった。機関車先生が機関車に乗って去っていくオチが面白いが、この場面が涙腺を圧迫させる。
「人々の哀しみはたやすくは消えないし、ぎこちなくしか笑えないかもしれないが、自分の目に入る風景は、あなたが生きている証しであり、あなたの中に生き続けるものが、きっといつかやわらかな汐の音とともに、かがやく星々とともに安堵を与えてくれるはずだ。哀しみにはいつか終わりがやってくる。」
『伊集院の流儀』のなかで、2011年の東北の大震災に遭遇した著者はそのように哀しみを捉えていた。最後の無頼派と言われたダンディな伊集院静の奥行は深い。1985年、前年に結婚したばかりの夏目雅子を病気で失った。その後、ギャンブルと酒に溺れた混沌を経て1992年、篠ひろ子と結婚する。『機関車先生』は1994年に刊行、この作品はその後アニメや映画にもなる。
つまり、『機関車先生』はそんな波乱の過程から産み出された息吹がある。傷を持つ相手に寄り添おうとする著者の姿勢はすでに一貫しているのがそこから伝わってくる。だから、女性からも男性からも親しまれる理由がある。芸能界の交友関係の広さも有名であるのもうなずける。