またまた、落書きが発覚した。
落書きのオンパレードだ。
落書きで新幹線が運休したり、高校野球部の監督が解任されたり、また、きょうになって八王子の有名私立高校生も、やっていた。
イタリアのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂への落書きは、岐阜女子短大生、京都産業大生、常磐大高(水戸市)の硬式野球部監督が書き込んだとして、先月以降相次いで処分されている。
ところが、書かれた方のイタリア側は、共同通信によると
大聖堂の修繕責任者パオロ・ビアンキーニ氏は2日までに「落書きは許されないことだが、日本人が深い謝罪の意思を示したことに驚いた。敬服する」と述べた。(中略)欧米では文化財への落書きは当たり前のように見られている。・・・と報じている。
欧米と日本の落書きに対する温度差が感じられる記事だ。『敬服する』とまで修繕責任者は語っているが、私がそこを訪れたときのおぼろげな記憶を辿ると、フィレンツェの大聖堂でガイドが幸せを呼ぶとか何とか言っていたことを思い出した。
日本人は“落書き”は基本的に『悪』と決め付けているが、イタリアでは文化財への落書きは当たり前のように見られている。
しかし、大切なものを“保護する・守る”という気持ちは、場所が変わっても変わらないはずだ。
落書きで思い出されるのは、商店街店舗のシャッターが落書きで汚され、店主たちが総出でこれを消し修復したというニュースを数年前に見た。
場所を弁えず、どこでもかしこでも落書きする分別のない人間(多分、若者)には
閉口する。