ウォーキングカメラマン

“お歩きさん”をした時に出くわした心に残った風景、光景、人物などを撮る!!

競馬場跡地の公園から日本初の鉄道駅まで歩く

2025-03-26 00:22:00 | 横浜市

2025年2月11日(火)

横浜競馬場跡地の根岸森林公園から、外国人居留地の山手エリアを経由して日本初の鉄道駅「桜木町(当時の駅名は横浜駅)」まで歩いた。

 

根岸森林公園の梅園。梅祭りが終わった2日後なので、まだまだ散ってないと思って、いつもお歩きさんする友人にプレゼンし訪れたが、散ってないどころか、全体的には3~4部咲きという程度。

梅はイマイチだったが、3つ由緒ある時計台があるように見えたので、行ったら旧横浜競馬場のスタンド跡だった。1866年に開設された日本初の洋式競馬場で現在の天皇賞、皐月賞の前身となる大レースが開催された。根岸公園内に馬の博物館があるのはそういうことだと初めて知った。

ユーミンの「海を見ていた午後」に歌われる山手のレストラン。友人は訪れたことがないというのでここでランチ。他はみなカップルがほとんど。オッサン二人は自分たちだけ。

山手のレストランからの風景。♪遠く三浦岬が見える♪の部分はさすがユーミンであり、三浦半島と歌うより三浦岬と歌った方がしっくりくる。三浦岬という岬自体存在しない。

高台にある根岸公園から降りてきて、本牧の中心部であるイオン付近。もともとはサティだったはずだと調べてみたらやはりそうだった。最近いろいろ忘れっぽくなり、お歩きさん中でも昔ここは○○だったと記憶を蘇らせる脳トレも実施。

さらにますっぐ元町方面にある昔からの本牧の商店街。

山手本通にある外国人居留地。友人がまだ訪れたことないということで案内がてら訪れた、横浜が開港された時に外国人が居留していたところで歴史ある洋館がたくさんあり、教会や外人墓地もある。ユーミンの歌の山手のレストランはとはかなり離れている。

山手本通りをまっすぐ突き当りにある「港の見える丘公園」からベイブリッジを眺望。

「港の見える丘公園」からみなとみらい方面の眺望。この後、山下公園の横を通り、日本初の鉄道が開通した時の駅である桜木町駅(開通した当初は横浜駅という名称)まで歩き、お歩きさん完了。

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五輪メインスタジアムからミスタープロ野球の記念碑まで歩く

2025-03-15 18:43:51 | 東京都

2024年12月17日(火)

国立競技場をスタートしてJR山手線沿いを池袋まで歩き2024年に立教大学に設置された長嶋茂雄の記念碑を見物した。

 

JR信濃町駅で友人と待合せして徒歩数分の国立競技場を訪れた。

国立競技場の「スカイデッキ空の杜」は、競技場5階を1周(850m)をできる。

「スカイデッキ空の杜」1周のお歩きさんをスタート。まだ紅葉している。

「スカイデッキ空の杜」から見た神宮球場、その向こうに枯葉になった神宮外苑のイチョウ並木が見える。

国立競技場からドコモタワーを目指して代々木方面に向かった。このあたりもイチョウ並木がまだきれいだった。

代々木でランチしてからバスタの前を通って新宿へ。

新宿ゴールデン街。昭和の雰囲気があるレトロな飲み屋街。

ゴールデン街のすぐ近くには、日本最大の歓楽街の歌舞伎町。

歌舞伎町からJR山手線沿いに新大久保、高田馬場、目白をチンタラと歩き池袋を目指す。写真は池袋駅手前の立教大学のイルミネーション。

立教大学キャンパスに卒業生である長嶋茂雄の記念碑が2024年に設置された。

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日本最大級のボタ山が残る炭鉱の街を歩く

2025-03-13 00:30:54 | 福岡県

2024年12月5日(木)

飯塚は、江戸時代には長崎街道の宿場として、明治時代になってからは石炭産業により栄え、日本最大級のボタ山が現存する。

 

JR飯塚駅からみた旧住友忠隈炭鉱のボタ山。ボタ山とは、質の悪い石炭や混じった石を積み上げたできたもの。自然発火や大雨による崩壊等の危険性があり、多くのボタ山は取崩して埋立や造成に使われた。このボタ山は現存するものでは日本最大級であり121mの高さがある。

JR飯塚駅(正面)前の風景。

JR飯塚駅からNTTのパラボナアンテナがある方に行けば中心部だろうと予想をつけ歩いていく。本社が広島にあり、島根、山口にも多いスーパー「ゆめタウン 」があったので久しぶりに立寄った。

街の中心部エリアにある嘉穂劇場。炭鉱労働者の娯楽の場としてだけでなく、多くの芸能人からも愛された1931年開場した木造の芝居小屋。コロナの影響で経営難に陥り現在休館中。

長崎街道の宿場でもあったアーケード商店街。やはり閑散としていた。

遠賀川にかかる橋も重厚で情緒がある。

遠賀川にかかる橋から見たボタ山。

飯塚の炭鉱王だった麻生が鉄道、銀行、病院、学校などを作ったので、麻生グループに関する企業が多い。元総理の麻生太郎も飯塚出身でありグループ会社の元社長だった。

JR飯塚駅の次の新飯塚駅(正面の建物)。街の中心部はちょうどふたつの駅の真ん中あたりだった。

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名大関が迎える石炭集散地として栄えた街を歩く

2025-03-11 19:28:53 | 福岡県

2024年12月5日(木)

直方は、筑豊の中心に位置し、石炭集散地として栄えた街。直方駅前には、この地出身力士である魁皇の像が建立されている。

 

JR筑豊本線と平成筑豊鉄道が乗入れる直方駅前にある魁皇像。魁皇は、大関在位・幕内在位の歴代最長記録を持ち、幕内通算勝利数は歴代2位である。直方では、魁皇が勝利したら花火を打ち上げ祝福していた。

直方駅(写真右)前の風景。

直方駅前にあるもち吉の店舗。写真が発祥の店ではないが、もち吉は直方発祥。いまや全国展開しているが、そんなに店舗数が多くなかった頃、この写真の店舗ではないが、アウトレットを直方に買い来たことを思い出した。

人口5万人程度の衰退した石炭産業の街、しかも平日であるのに、商店街に人が多いのにびっくりしたが、毎月5日は市が開催され、ちょうどその日だった。

赤レンガ造りのかつて銀行だった建物。現在はガラス細工などのアートを展示してありレストランとなっている。ちょうどランチタイムだったのでここでランチ。オシャレな感じだった。

アーケード街を抜けると病院、商店などレトロな建物が集まっている。

直方市内を流れる遠賀川。

石炭記念館。入館料100円だが、その何倍も価値ある説明員の詳しい説明でためになった。ここに全国で唯一の模擬坑道があり、落盤、爆発の事故を想定して炭坑救護隊員が訓練を行なった。模擬坑道は、写真左の旧石炭鉱業組合直方会議所とともに国の指定史跡となっている。

JR筑豊本線の電車。かつては石炭を輸送する列車が走っていた。

筑豊電鉄の起点の筑豊直方駅。黒崎駅(北九州市八幡西区)まで16kmの鉄道。JRや平成筑豊鉄道が乗入れる直方駅からは徒歩10分程度。

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五つの市が合併してできた政令指定都市の中心部の紅葉

2025-03-10 01:04:23 | 福岡県

2024年12月4日(水)

1963年五市の合併で誕生した北九州市の市役所周辺には、観光・文化施設が多くあり紅葉スポットなっている。

 

小倉城。北九州市中心部にある勝山公園内にある。細川忠興が築城したが、焼失して1959年再建された。

小倉城にある宮本武蔵と佐々木小次郎の像。二人の決闘の場は巌流島(下関市)であるが、武蔵が人生の中で最も長く過ごした地が小倉。像の背後の建物は、同じ勝山公園内にある北九州市役所であり、その展望室から勝山公園全体の紅葉が見わたせる。

勝山公園内にある八坂神社。小倉城の堀の中州のようにある神社。

八坂神社からみた北九市役所。

八坂神社の前にある小倉城庭園(写真右)は大名の書院と庭園が復元されている。入場してないが紅葉があったので周囲を歩いただけ。

勝山公園内にある松本清張記念館。彼は小倉出身。松本清張作品は、文庫本、映画、ドラマもみて好きなので管内に入ったが撮影禁止。彼が私も暮らしたことのある下関で幼少期に過ごしたことを初めて知った。管内には彼の書斎が再現され、小説を書くための資料として莫大な蔵書があった。

松本清張記念館前の通りの名は「清張通り」。街路樹の紅葉がきれいだった。

JR小倉駅新幹線側の公園の紅葉。昔、小倉に買物に来る時、そごうの駐車場が、ぼんやりとした記憶ではこのあたりだったと思われる。駐車して駅の中を通り抜け、街中に行ったので、どうなってるのかと訪れてみたら紅葉がきれいな公園になっていた。

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五つの市が合併してできた政令指定都市の中心部を歩く

2025-02-20 00:34:03 | 福岡県

2024年12月3日(火)~12月4日(水)

JR小倉駅(北九州市小倉北区)周辺は、1963年五つの都市が合併してできた北九州市の政治・経済・交通の中心地。

 

JR小倉駅。小倉駅から企救丘駅まで全長8.8kmのモノレールが走る。九州地方で唯一のモノレールであり、子供が小さい時、妻が買物中によく乗せてことを思い出す。

JR小倉駅前の祇園太鼓の像。京都の祇園祭、福岡の祇園山笠とともに日本三大祇園祭と言われる。北九州市には戸畑祇園大山笠がある。

JR小倉駅の西側にある飲食店街。

JR小倉駅の東側にある飲み屋街。この飲み屋街には森鴎外の旧居がある。前日、一緒にこの飲んだ北九州在住の友人から聞き行ったが、飲み屋街の中に場違いな建物がある。

旦過市場。2022年に2度もこの市場で大きな火事があった。写真左側にあった店はほとんどが焼失。昭和と九州を感じることができ好きだったので、何度も訪れて買物した。テレビのニュースで見た時はビックリしたし、寂しかった。

旦過市場(写真右)の裏は川が流れる。

北九州市役所の展望室からのJR小倉駅(写真右の横に長いビル)、小倉港方面の風景。

北九州市役所(写真左)と半楕円形のビルはNHKビル。

シュガーロードと言われる長崎街道の起点に架かる橋。立入禁止で渡ることができなかった。

港からみた風景。

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本州最西端の街の中心部を歩く

2025-02-18 22:56:07 | 山口県

2024年12月3日(火)

下関は本州最西端の街。山口県最大の都市であり、橋、トンネルにより北九州市と結ばれる。韓国釜山へのフェリーが毎日就航する。

 

下関市役所前。市役所も新しくなり街路樹もモミジが植えられ暮らしていた頃と雰囲気が変わり垢ぬけた感じがする。

下関市役所前から見た風景。紅葉した街路樹が鮮やか。正面の山は「火の山」といい、山頂から関門海峡が一望できる。

市役所から国道9号線に出ると現役最古の郵便局である南部郵便局(手前)、その隣に総合商社だった旧秋田商会ビル、交差点の向こうに旧英国領事館があり、歴史的な建物がある。

国道9号線沿いをJR下関駅に向かって歩いたが、たしか昔はこんなに街路樹がなかったなぁと記憶を思い起こしながら歩いた。山口銀行本店ビル(写真左)を左に行くと関釜フェリーの国際ターミナルがある。実家にJRで帰るより釜山に行く方が安く、寝ていけるので楽だった。

国道9号線から1本入ったところにある下関の飲み屋街。

飲み屋街から国道9号線を横断して海側に行けば海峡夢タワーがある。このタワーも建設前だったのでまだ登ったことがない。

JR下関駅前にはグリーンモールというコリアタウンがある。昔はなかった釜山門というゲートができてコリアタウンらしい演出されているが・・・

シャッターが多くなり寂しくなった。以前は関釜フェリーで来たポッタリアジュマ(韓国の行商のオバサン)が韓国の唐辛子やコチュジャンなど食材や衣類等を卸売し、下関から炊飯器やポットなど電化製品を購入していたが今回全く見かけなかった。

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平家滅亡の地の周辺を歩く

2025-02-17 17:53:07 | 山口県

2024年12月3日(火)

壇ノ浦(山口県下関市)は関門海峡に架かる関門橋の下付近にある。1185年に源氏と平家の合戦があり平家滅亡に至った古戦場。

 

関門トンネル人道入口。ここからエレベーターで55m降りたら対岸の門司に繋がるトンネルがある。国道9号線沿いにある。

みもすそ川公園。長州藩が関門海峡を通過する外国船へ砲撃した砲台のレプリカ。その後、外国連合艦隊の報復により壊滅的となった。以後長州藩は攘夷から倒幕へ転換する。幕末だけでなく、園内には源義経と平知盛が闘っている像や碑など源平ゆかりのものもある。

みもすそ川公園から関門橋の下をくぐり国道9号線沿いを下関市街地方面に歩く。

国道9号線から少しだけ入った壇ノ浦にある小さな漁港。夜、ここで電気ウキつけてメバルをよく釣ったが、魚釣り禁止となっていた。

壇ノ浦から少し市街に向かうと、合戦に敗れ、8歳という幼い年で関門海峡に人水された平清盛の孫、安徳天皇を祀る赤間神宮がある。

赤間神宮にある芳一堂。すぐ横には平家の墓がある。耳なし芳一は阿弥陀寺(赤間神宮)に伝わる小泉八雲も紹介した平家怨霊にまつわる怪談。

赤間神宮の隣には春帆楼という料亭があり、1895年日清講和条約が締結された。写真は料亭内にある日清講和記念館。なお、この条約の数年前に伊藤博文がこの料亭でフグを食べ、食用禁止だったのが解禁となった。春帆楼は現在も営業してフグ料理が有名。1回は食べてみたい。

日清講和記念館内。日本側伊藤博文、陸奥宗光、清国側李鴻章が国の代表として会議に臨んだ時のテーブルや椅子がある。

春帆楼から国道9号線を横断して関門海峡に再び出た。下関に暮らしていた頃、この辺は工事をしていたがすっかり整備され、海峡沿いに水族館、遊覧船、市場、タワーどが新設されたりリニューアルされ観光客もかなり増えたようだ。

亀山八幡宮。ふく(下関ではふくと呼ぶ)の御朱印や絵馬、世界一と言っているのふくの像がある。また長州藩士久坂玄瑞らにより外国船を攻撃した亀山砲台跡がある。

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海峡に面して歴史的建造物が集中する港周辺を歩く

2025-02-15 01:49:42 | 福岡県

2024年12月3日(火)

門司港(北九州市門司区)は、関門海峡に面した港。取り壊し寸前の歴史的建造物を生かして「門司港レトロ」として観光地となった。

 

JR門司港駅。鹿児島本線の起点駅。1914年に創建された現役の駅舎であり、鉄道駅としては初の重要文化財。下関からの連絡船の中継駅として九州の玄関口として賑わった。関門トンネル開通後は2つ下った門司駅に下関からの電車が接続するため衰退していった。

レトロな駅舎内。ホームに行けば屋根や柱、駅名板もレトロであり旅情を感じる。

門司港。明治~昭和初期には外国との貿易港として栄え、周辺には当時創建された赤レンガの建物など洋風建造物が集中している。昔、住んでたところから近かったのでよく訪れたが門司港は整備され観光化が進んでいるといつも思っていた。

門司港近くのアーケードの商店街。

以前はもっと人がいたような気がしたが、門司港からすぐ近いのに寂しい感じがする。

門司港駅付近と関門橋の間までトロッコ列車を運行する平成筑豊鉄道門司港レトロ観光線沿いの遊歩道の紅葉。この付近は昔何度も通ったことがあるが知らないうちに観光鉄道が開業(2009年)し、歩道も整備され観光化されている。

和布刈神社からの関門海峡と関門橋。旧暦の正月元旦に三人の神職が厳寒の海に入りわかめを刈る和布刈神社の神事がある。この神事を題材にした「時間の習俗」という松本清張の作品がある。「点と線」で活躍した刑事が再び登場する。

関門トンネル人道。全長780mで上は車道となっている。中間地点に福岡山口県境がある。県境で写真を撮るのが観光客の定番。息子の自転車の練習したことが懐かしい。

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カルスト台地の麓にある三角州上に発達した街を歩く

2025-02-12 20:24:26 | 福岡県

2024年12月2日(月)

行橋は、福岡県東部に位置する京築地域の中心の街。平尾台の麓にあり、3本の川が周防灘に流れ三角州上の平野部に街が発達している。

 

行橋駅。JR日豊本線と平成筑豊鉄道田川線が乗入れる。京築地方の中心都市の代表駅であり、全ての列車が停車する。小倉と大分県中津の中間程度に位置する。駅舎の裏側には新しいマンションなどが多くあり北九州のベッドタウン化している。

行橋駅から正面の風景。

行橋駅からまっすぐ行ったところの県道沿いの街路樹が赤く色づいてきれいだった。中心部は駅から県道までの二つの川に挟まれたところ。

今川沿いの桜並木の紅葉。行橋中心部はこの川と長峡川に挟まれた三角州上にある。

国道10号線の長峡川の橋から撮影。橋を渡れば隣の苅田町。

長峡川を少し遡って県道の橋から下流側を撮影。

駅付近の中心部に戻ったら老朽化が進行しているアーケード商店街があった。

アケード商店街よりひとつ駅側の商店街。

 

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