2024年12月5日(木)
飯塚は、江戸時代には長崎街道の宿場として、明治時代になってからは石炭産業により栄え、日本最大級のボタ山が現存する。
JR飯塚駅からみた旧住友忠隈炭鉱のボタ山。ボタ山とは、質の悪い石炭や混じった石を積み上げたできたもの。自然発火や大雨による崩壊等の危険性があり、多くのボタ山は取崩して埋立や造成に使われた。このボタ山は現存するものでは日本最大級であり121mの高さがある。
JR飯塚駅(正面)前の風景。
JR飯塚駅からNTTのパラボナアンテナがある方に行けば中心部だろうと予想をつけ歩いていく。本社が広島にあり、島根、山口にも多いスーパー「ゆめタウン 」があったので久しぶりに立寄った。
街の中心部エリアにある嘉穂劇場。炭鉱労働者の娯楽の場としてだけでなく、多くの芸能人からも愛された1931年開場した木造の芝居小屋。コロナの影響で経営難に陥り現在休館中。
長崎街道の宿場でもあったアーケード商店街。やはり閑散としていた。
遠賀川にかかる橋も重厚で情緒がある。
遠賀川にかかる橋から見たボタ山。
飯塚の炭鉱王だった麻生が鉄道、銀行、病院、学校などを作ったので、麻生グループに関する企業が多い。元総理の麻生太郎も飯塚出身でありグループ会社の元社長だった。
JR飯塚駅の次の新飯塚駅(正面の建物)。街の中心部はちょうどふたつの駅の真ん中あたりだった。