ウォーキングカメラマン

“お歩きさん”をした時に出くわした心に残った風景、光景、人物などを撮る!!

日本が統治した島の鉄道に乗る

2016-09-10 01:12:43 | ロシア

2016年8月12日(金)~8月13日(土)

 サハリン鉄道のユジノサハリンスク(旧日本名:豊原)からノグリキは、613km。最長の路線であり、夜行寝台列車で約14時間かかる。

ユジノサハリンスク駅待合室。サハリン最大の駅。

 ユジノサハリンスクの車窓風景。18時18分に出発して5分程度のところ。

 北海道の酪農地帯のような家がある。

 出発後40分くらいのところにある駅。

 寝台列車内部。4人のコンパートメントで快適。同室はロシア人の母子と彼女に会いに行く男性。夜中12時頃到着のホロナイスク(旧日本名:敷香)という街で3人とも降りるため早々寝ていた。

 出発後1時間30分程度のところにある駅。夜8時前なのに明るい。この付近から列車はオホーツク海を右に見ながら走る。

 出発約2時間10分後。20時30分頃なのにまだ明るい。車窓からオホーツク海をたくさん撮ったが列車の速度が出ているため全てブレていた。

 翌朝7時50分。到着約50分前。どこもこのような駅ばかりで、最果てに近づいている感が出てくる。同室の客は夜中に降りていて、コンパートメントを独占。

 女性乗務員。写真撮ってもいいかと聞いたらOK。この後、彼女自ら私の横に来て、二人並んだ自撮り写真を撮った。

 サハリン鉄道最北の駅であり終着駅、ノグリキ8時32分到着。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

終戦直後に悲惨な事件が起こった港町を歩く

2016-09-07 23:21:28 | ロシア

2016年8月11日(木)

 ホルムスク(旧日本名:真岡)は、間宮海峡に面した小さな港町。1945年8月20日、通信を守るために残留した電話交換手達が、侵攻したソ連軍の攻撃が激しくなり、集団自決した事件が起こった。

ホルムスク駅(写真中央の青い建物)。サハリン鉄道のローカル線。間宮海峡を挟んでロシア極東のヴァニノとフェリー航路がある。

 戦争遺産?にでもしたいような燈台付。

 燈台付近から見たホルムスクの街。海には昆布がたくさん繁茂しているが、子供たちが海水浴していた。

 メインストリートの街並み。職務を全うした電話交換手の「皆さん、これが最後です。さよなら、さよなら」と刻まれた碑を以前、稚内で見たので、彼女達が自決した真岡郵便電信局跡地を訪ねたが、慰霊碑も説明板もない。

 市場。毛ガニ売っている。戦後引き揚げずに取り残された韓国・朝鮮人も多いせいか朝鮮・韓国系の人がキムチを売っていた。

 老朽化した団地が特にホロムスクにはたくさんあった。私が思い描いてるイメージ通りのソ連。

 

 北海道にもあるような大きなフキかな?その向こうは王子製紙真岡工場跡。

 人口わずか3万2000人ほどの田舎町にもレーニンはいる。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

統治していた島の最大の街に残る日本

2016-09-04 13:34:09 | ロシア

2016年8月10日(水)~8月12日(金)

 ユジノサハリンスクは、豊原として日本が統治していた時から樺太(サハリン)最大の都市であり、若干ではあるが日本統治時代を感じられる物が残っている。

サハリン州立郷土博物館。日本時代の樺太庁博物館から建物だけでなく展示物も引継がれた。現在もユジノサハリンスクのシンボル的存在の建物。

 結婚するカップルの記念撮影スポットになっている。

 玄関には狛犬がいる。また、扉には菊の御紋がついていた。

博物館内部。北緯50度の国境に置かれていた標石。

 日本の会社名をボディーに書き込んだままの中古車がそのままで使われているのをよく見かける。

 サハリン州立美術館。日本時代は北海道拓殖銀行豊原支店だった。

 軍事裁判所。日本時代は樺太守備隊司令官の公邸として使われた。

 ユジノサハリンスク駅。鉄道は日本が敷設したが、1945年からソ連が接収。

 ユジノサハリンスクの空港の近くにできた大型ショッピングモールの中に"ラーメン一番"という日本食の店舗が入っている。スタッフしか見かけなかったがロシア人だった。

 豚丼を注文したが、味はかなり変化していたが、それなりにおいしかった。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本が統治していた島の最大の街を歩く

2016-09-03 22:53:45 | ロシア

2016年8月10日(水)~8月16日(火)

 サハリン(日本名:樺太)は、北緯50度より南部分を1945年まで日本が統治していて、最大の都市はユジノサハリンスク(日本名:豊原)。

ユジノサハリンスク駅前。ブルーの建物はホテルで、2日間別のホテルに泊まったが、ダニがいたのか?身体が痒かったのでこのホテルに変更した。

 駅前のレーニン広場でイベントがあったようで、民族衣装を着て歌っていた。

 ユジノサハリンスク駅から歩いて10分程度のところにある市場。

 ラズベリーやブルーベリーがやたら多く売られている。

 ポプラ並木。市場やデパートに行く途中に通るので滞在中に何度も歩いたが、この並木の中を歩くのが好きだった。

 

市場近くのデパートからユジノサハリンスクを展望。人口わずか約18万人だが、サハリン全体で人口50万人程度なので、全てにおいての中心となっている。

 街の向こうの山はスキー場?。街は札幌をモデルに碁盤目状に作られ、道路も歩道も広く、街路樹も多く歩き安い。

 街路樹や公園には白樺が多い。

 

 ロシア人が多くロシア正教の玉ねぎ屋根の教会を見かける。日本人に強制連行された朝鮮人・韓国人が取り残されためハングルを話せる人がいる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国境の大河畔にある探検家の街を歩く

2016-09-03 14:21:57 | ロシア

2016年8月9日(火)

 ハバロフスクは、中国との国境を形成するアムール川の畔にある街であり、流域を探検した"ハバロフ"の名にちなんでいる。

レーニン広場。この広場から、まっすぐアムール川までのところがメインストリートとなっていて古いヨーロッパ風の建築物がポツリポツリとある。

ハバロフスクも坂が多い街で、坂を降りたところにアムール川が流れている。

市場。

干からびたような感じでパサパサでクサそうな臭いがしそうな鯉。市場内では生きてる鯉を売っている店は見なかった。

 

アムール川遊覧。大量の木材を積んでいる大型船をたくさん見かけた。シベリアのタイガ(針葉樹林)が、ボルネオのジャングルがなくなったようになるのではと感じた。

 アムール川中州。西表島や奄美大島の川底に根を張るマングローブような木で形成されている。中州の領有権を巡って中ソの紛争が生じたらしい。

 アムール鉄橋。シベリア鉄道が走る。この写真ではわからないが、その上に道路がある。遊覧船はこの橋をくぐってからUターンする。。

 アムール川のビーチ。川の水の色はかなり濁っている。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする