ウォーキングカメラマン

“お歩きさん”をした時に出くわした心に残った風景、光景、人物などを撮る!!

「西の京」の中心部を歩く

2024-04-05 01:31:43 | 山口県

2024年2月29日(木)

山口市は、山口県の中央部に位置する県庁所在地。室町時代この地を治めた豪族大内氏が、この地に京の都を手本として街づくりを行ったことから「西の京」と呼ばれる。

 

山口市の中心部は京都と同じ山に囲まれた盆地の街。盆地なので霧がかかりやすいのかな。

JR山口線山口駅。山口市の代表駅であるが、全国の県庁所在地代表駅で乗降客は最少。駅舎入口には大内氏が京より迎えた奥様を慰めるため、京から人形師を呼び寄せて作らせたことからできた「大内人形」、日本三名塔のひとつで大内文化の最高傑作と言われる「瑠璃光寺五重の塔」のモニュメントがある。「西の京(山口)」と「山陰の小京都(津和野)」を結ぶSLが運行されている。

JR山口駅前通りの銀杏並木。駅からまっすぐ続き。時期にはきれいだろうなぁ。

全国的には名古屋が有名だが、山口も「ういろう」が名物。大内文化のひとつであり、大内氏、毛利家からも愛された。特に生ういろうはプルプルしておいしいので、(写真の店ではないが)今回もういろうを老舗の店に行き食べた。

一ノ坂川。京都の鴨川に見立てられた市内中心部を流れる川。ゲンジボタルが有名。県庁所在地の市街地に近いところでゲンジボタルをたくさん見れたことに昔、訪れて驚いた記憶がある。

サビエル記念聖堂。ザビエル(なぜかサビエルと山口でいう)の、山口における布教活動400年記念で1952年に建てられた。1991年火事で焼失し時、山口県で暮らしていたのでニュースでビックリした記憶がある。再建されてから初めて山口市を訪れたが、建物や塔も以前とは全く違うものとなっていた。

サビエル記念聖堂がある亀山公園から見た山口市中心部。

中心部のアーケド商店街。宇部や黒崎から撤退した井筒屋がガンバッいる。

 

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「西の京」のターミナル駅があり栄えた街を歩く

2024-04-03 23:50:43 | 山口県

2024年2月29日(木)

山口市小郡地区(旧山口県小郡町)は、JR在来線3路線と新幹線が乗入れ、西の京と言われる山口市のターミナル駅「新山口駅(旧名:小郡駅)」があり栄えた。

JR新山口駅前のホテルからの風景。新山口駅(旧名小郡駅)は、かつての小郡町にある。駅は乗り換えだけで降りたことないし、車では街の郊外の国道9号線を何度も通ったことあるだけ。どんな街か歩いてみたく朝食後、妻にホテルで待ってもらい1時間ほど一人で街を歩いた。

新山口駅南口前(旧名小郡駅)。山口県で暮らしてる頃は、まだ合併前で小郡町であり駅名も小郡駅だった。その頃から町である小郡町が県庁所在地である山口市中心部より街が発達しているのではないかという印象を持っていたが、今回、1時間ほど歩いてみてやはり山口駅前より乗降客も多いし、駅前も山口駅前よりでかい。

新山口駅南口前の通りを横断し、いろいろな路地をふらつくが、新しい建物ばかりで昔からの商店街がなく開発された新しい街という感じ。

南口前を歩いてJR新山口駅に戻った時に種田山頭火像があるのに気づいた。山頭火は生まれは同じ山口県の防府であるが、放浪の旅に出てから最も小郡に長く滞在した。

JR新山口駅の南口と北口を結ぶ南北自由通路。まだ旧名の小郡駅の頃、何度かこの駅で乗換えしたが、改装され、壁面を植物で覆い、大きなガラス窓など、きれいでセンスのいい駅になっていた。

連絡通路は大きなガラス張りでいろんな路線を走行する電車を見ることができる。写真は宇部線の電車。

南北自由通路から南口側を見ると新幹線が見える。

南北自由通路からの北口側の駅から西側の風景は新しい住宅地ばかり。

北口側の駅前もホテルが並び昔からの街並みは見えない。小郡の昔からの街並みは北口側の東側のようだが、妻との約束の時間もありここまででホテルに戻った。

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明治維新胎動の地の中心部と城下を歩く

2024-04-01 22:59:58 | 山口県

2024年2月28(水)

萩は、山口県北部の日本海に面した街。吉田松陰が門下生を教育し、明治維新の原動力となった「明治維新胎動の地」。城下は商家、志士たちの旧宅が残る観光スポットとなっている。

 

銀行、アーケード商店街、バスセンター等がある現在の萩市中心部。萩に何度か訪れたことがあるが、城下町や松陰神社など観光エリアには車で直接、行ったりしたので、初めて中心部を歩いた。

アーケード商店街。萩にこんなアーケード街があることを今回訪れて初めて知った。ここを歩いてる人は地元の人で観光客らしき人はあまり見かけなかった。

アーケード商店街を突き抜けたところにあった白壁商家の奇妙な店は、画材屋・アート教室。

アーケドを抜け、城下町まで行く途中にあった高須久子像。この像が女性に見えず誰かと思って説明板を読んだら、NHK大河ドラマ「花燃ゆ」を思い出した。松陰が萩の牢獄に入れられた時に出会った井川遥が演じた女囚のことだった。女囚はフィクションとばっかり思っていたが、ここに来て初めて知った。

萩城下町エリアにある菊屋横丁。萩を象徴する夏みかんと白壁の通り。この通りには高杉晋作旧宅がある。違う通りだが近くに木戸孝允(桂小五郎)旧宅もある。

城下町エリアから中心部まで国道191号沿いを通ると藩校明倫館跡(写真左の塀の中)の前を通る。

藩校明倫館の跡地に建てられた旧明倫小学校(この建物の裏に新しい校舎へ移転)。

萩は阿武川が下流で松本川(写真)と橋本川に分かれ三角州となっている。早春には四ツ手網を使った伝統的な漁法で獲るしらうお漁が有名であるが見れなかった。この時期、松本川に来たら見れると思っていたが・・・。もっと下流か?時間的なものなのか?

松本川をわたって1km程度歩いて松下村塾がある松陰神社へ行こうと思ったが、夕方になったし、行ったこともあるし、妻の希望により折り返し、夕食をすることに。

 

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