生命の実相 と 自然治癒力 平成25年1月28日
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この一週間にわたって、
クライアントのMさんの難治喘息の手記を
掲載しました。
今日は、私自身の体験をお話しします。
私は先天的にアトピー湿疹で、赤子の時から顔
を引っ掻いていたらしく、
母が私の手に手袋をして、顔を傷つけないように、
気をつけていたようです。
自分で湿疹の自覚が出てきたのは、
中学生になり、思春期を迎えたころでした。
それまでは、肱や膝の内側の柔らかいところが、
カサカサになって、痒い思いはしていましたが、
自分の外見にそれほど意識はなかったものです。
中学校、高校、大学と私立の女子の一貫教育
の学校で教育を受けました。
友人たちは、皆美しく、身だしなみに気を使い、
紺色の制服の肩の部分に、フケの白い粉が
落ちている人は、全登校性を見ていても、
たぶん、私を除いて、誰もいませんでした。
私は 足、手、首、そして 頭とおでこに、
アトピーが出ていて、頭からは常に
ぐじゅぐじゅ 汁が出ていました。
痒くて痒くて、むしるように搔けば
掻くほど、範囲は広がり、そこから出る
透明の液体は固まると 細い針のよう
になる、繊維質の体液でした。
それが 乾くと、今度はフケのように、
かさぶたになります。
かさぶたに、ついつい、勉強しながら、
手を伸ばすと、はがれたり、白い粉が落ちました。
痒いので、知らず知らず、手をやってしまう毎日。
中学校の時のあだ名は、そのためか、
”おじいちゃん” と呼ばれていました。
たぶん、おでこも 皮膚がカサカサになり、
皺(しわ)が刻まれていたためでしょう。
その間、家の近くの 中央病院 に通い、
ステロイド軟こうをもらってました。
そして、高校生になると、常に頭痛もちと
なりました。
さらに、自律神経失調症と診断され、
一週間に一度、目の前がちかちか、線が走り、
急激な激しい頭痛で体を起こすことができないほど。
保健室のベッドで数時間眠ることが
多くなりました。
頭痛の後には、必ず、猛烈な吐き気が襲いました。
おまけに、腎臓が 遊走腎 と診断され、
正常な位置で正常な働きをしていないと
医師にいわれました。
部活などで、運動部の友人が、元気よく、
校庭を走りまわり、放課後元気いっぱいに
活動しているのを 重い頭をかかえて、
自分とは次元の違う世界を観るように
見ていました。
”よく、あんなに、放課後まで、元気
が残っているものだ”
クラブ活動で放課後、テニスラケットや
ソフトボールを持ち、グランドを駆け回っている
同級生たちを見ながら、それが、素直な実感でした。
大学生になり、社会人になり・・・
多感な娘時代に、だれも私の異常な肌を見て、
面と向かって 密かに悩んでいた、アトピー
症状に触れる人はいませんでした。
唯一、父親からは、”恭代は、結婚できるかね、
首が、そんな象のような皮膚で” と 言われ
たことがありました。
今でも、その言葉とともに、悲しそうな
同情に満ちた父の眼差し、しみじみとした心配そうな
声が脳裏に残っています。
大学時代、好きな英語を勉強できて、
少し、生き生きできたようです。
関東学生英語会連盟のコミッティーになり、
他校のESSの方達とも交流ができて、
アトピーは気持ちの張りとともに、
少し小康状態で、安定していました。
大学卒業後、会社に入りました。
ある日、更衣室で、先輩から
”あら、ずいぶん、首が焼けていること。
ハワイでも行ったの?”と聞かれました。
私のアトピーで痒くて掻きまくった首が、
海辺で焼いたように、赤黒く、てかてかとして
いたからです。
それは 掻いて掻いて、皮膚が めくれ、
体液が出て、さらに、また再生し、
それを何度も繰り返しているうちに、
だんだん皮膚は厚くなり、固くなり、
皮膚のメラニン色素が増えたせいで黒光り
していたからでしょう。
それでも、人並みに結婚できました。
結婚後、地方都市で生活しましたが、
相変わらずの状態でした。
むしろ、悪化したように見えました。
湿疹で背中も顔も 一面に赤味が広がり、
かゆみで寝られず、常に、イライラしていました。
そして、ついに、出かける事さえ疎ましく
なりました。
雨戸を数日間、主人が出張のときなどは、
締め切ったままでした。
こうして、暗い家の中で悶々としていました。
お隣さんから、
”あら、東京の実家にでも、この数日
お帰りだったの?”と聞かれるほど
のひきこもり状態で、有る種の
鬱状態にもなっていたようです。
悶々とほとんど寝たままの状態で、家に人気
(ひとけ)を感じさせないほど、動きのない
日常でした。
あるときは 電話が鳴っても起き上がれず、
寝たきりの状態が続きました。
そんな折、電話をかけた主人が、心配して
昼休み会社から、駆け付けてきて帰ってきて、
様子を確認しにくることも有りました。
この時は、20代の前半、一番ひどかったときは、
顔をミイラのように、包帯でまいていました。
痒くて イライラして、引っ掻いて、
自己嫌悪におちいって、人並みの肌がほしいと
切に願ったものです。
痒いというのは、ほんとに 辛いものです。
電車や人前で、掻けないので、余計、
フラストレーションがたまり、寝ているときや
一人の時は、とにかく、ぼりぼりと ”かきむしる”、
そんな言葉がぴったりなほど、
痒さに対処することは 並大抵ではなかったのです。
どうやってこれを乗り切れたのか?
そのお話しは、とても長い話になりそうなので、
要点をかいつまみます。
まず、薬を断ち切りました。
物心ついてから高校生まで使用していた、
ステロイド軟こうを捨てました。
それは、薬で抑えることは、臭いトイレの
蓋(ふた)をする事と 同じだと
気づいたからでした。
対処療法で、症状を抑えても、その原因となる、
大本の種は、決して、なくなっていない。
だとすれば、抑えれば抑えるほど、体内で、
何かが溜まっていくのだろう・・・
そう ”体” と ”心” が私に教えてくれました。
シロアリを駆除しない限りは、
家具の表面をきれいにしても、
中から腐っていくのと似ています。
それでは根本原因は何?~ どうして、
そんな質問が出るようになったのでしょう。
根本原因を考えるきっかけになったのは、
”人間神の子”という言葉でした。
誰かが、自宅の入り口に投げ入れた、
”生長の家” という、小さな小冊子に書かれた
この短い言葉でした。
その言葉、中学生のころに初めて、
聖書を開いて読んだときに書かれていた
言葉でした。
”知っている言葉”のはずでした。
でも、体調を崩しているときに読んだ
その言葉は、とても、心の奥に、響き渡るような
波動がありました。
私は、宗教の教団組織に、なぜか抵抗を
感じていました。
それはたぶん今でもかわりません。
しかし、特定の神様ではない、自己に
内在する無限力の神、だれでも生命の
真理を知れば、その人の家は 生長するのだ
~という谷口先生の言葉を素直に受け止めました。
心の中では、真理 に飢えていました。
何が真実か、知りたいと切に願っていました。
そこで、谷口雅春先生の”生命の実相”
を全巻読み、”自分の実相” がようやく、
振動し始めていくのを感じました。
喜びに手が届くという希望を観じ始めました。
それは、すべて ”唯心所現” であること、
”人間の実相は 神の子”であるという真理を
心から受け入れることができたからでした。
自分のアトピー湿疹も 自分の心の影なのだ
~そう納得しました。
それならば、自分の心の何が、こ
うして、不完全な皮膚を露呈させているのだろう?
自分の、生命の本来の実相を観ていないからだ、
そう、気づきました。
この考え方が のちの、ベーダ哲学の
”不二一元論” をインドで 学び、
理解するための礎(いしずえ)となったのだ
と思います。
生命の実相に出会ったのは20代の
はじめでした。
しかし、理論は受け入れられても、
体のかゆみと イライラと、自己嫌悪の毎日。
先ほど書いた、岡山での生活時代が一番
のピークだったと思います。
統合失調症のような 心の波は、
結婚後、親元から離れ、独立した新婚生活
の中で容赦なく 襲ってきました。
結局、アトピーが消えるために
自然治癒力の大波を超えることになります。
40度の高熱による、体内殺菌と
膿を全身から出す、大掃除をするまで
さらに数年 時を、待つことになります。
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