自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

寝小便癖~母親の悲しみ?もっと構って欲しい症候群?

2013年01月31日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

 

おねしょ         平成25年1月31日

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私は 小学生まで おねしょ をしていた。

寝小便というやつだ。

恥ずかしいが、ほんとうだ。 幼稚園ごろまでは その頻度は 多かった。

朝 起きてみると、ジワ~と 腰回りが暖かい。

”あれ~ また、やってしまった”

母親に 目が覚めて、”また、ぬれちゃった・・・”

と、小さな声で報告するときの、切り出しにくさは 心に残っている。

 

心と体の関係を勉強するようになってから、寝小便の原因を考えた。

例えば、

・10歳以下の子供の病気は 親の心の反映であることが多いと同様、子供の寝小便は

母親の影響が大きい。

なぜなら、母親は 水(陰性)の象徴だからだ。

寝小便の子供のいる家庭では、陰性が強い、といわれる。

つまり、母親の影響力が父親よりも強い場合。

また、水は涙の象徴でもある。 母親が 心の奥に秘めている悲しみが、

涙替わりに、子供の寝小便として排泄されるときがある。

 

・寝小便と子供の肉体的性的エネルギーとの関係も指摘されている。 

エネルギーが昇華されず、寝小便となって、放出される。 

体力的に発散する場所がない、運動不足、そんな時に、寝小便になる。

 

・子供が十分、親から構ってもらっていないと感じるとき、母親に注目してもらいたいため

寝小便する。 

今日は、この三番目の説を考えてみた。

なぜ、寝小便なのか?

犬と比較しては恐縮であるが、先日 アメリカから帰国した友人が、こぼしていた話しを想いだした。

彼女は愛犬を 引っ越し先のアメリカに連れて行った。 

シカゴの近くで、冬は氷点下何度という気温で文字通り凍った世界である。 

しかし、犬のトイレは 家の中でもできるように 躾てあるから大丈夫ということだった。 

ところが、彼女とご主人が仲良く、テーブルで美味しいものをいただこうとしていると、

絨毯のあちこちに、ほんの、ちょっとのおもらしを 愛犬が し始めるという。

それも ほんの ちょっと。 

それでも、彼女は慌てて、注意を愛犬に注ぐ

結果、自分たちがいただく前に、愛犬にもおやつを与えて、それで収まるという話だった。

 

子供の、寝小便もこれに似ているという。

十分、愛情を与えられている満足がないと、子供は親の注意をひくことで、かまってもらいたい

と思うらしい。 

褒められて関心を向けさせるということは、めったにないけど、

そのほかの感情で 親の注意を引き着けることを子供は知っている。  

 

大概の親たちは 忙しいこともあり、子供の心と 真正面に 向き合う時間はあるようでない。

例えば、子供が何かに挑戦して、”できた!”と 認めてもらいたいとき、

”ほんとうに、一人でできたの? えらいねえ。” 

と褒める言葉をかけるときでさえ、仕事の手を止めることなく、上の空で返答している。

どのくらい、心をこめて 語りかけ 子供と向き合っているかとなると疑問だ。

親の関心を引くということは、親の”気”をもらうこと。

気にかけてもらうこと。 これで子供たちは安心する。

だから、怒られても、褒められても、ある意味、一緒だ。

褒める機会は、あっても 実際に誉める時間は少ない。

 

しかることとなると、本気でしかる親は多い。

本気でしかるが、本当に意義(効果)のあるしかり方をしているかは別問題。

躾のつもりで 小言(こごと)を、四六時中、言っている親は 意外と多いのではないか?

 

”また、こんなところに脱ぎ捨てて。” 

”後片付けができないんだから” 

”言っても言っても 同じことをするのね” 

”何度言えば、わかるの?”

”どうして、そんなに、ぐずぐずしているの?” 

”一体、学校でちゃんと先生の話聞いてきているの?”

”仲よく しなければだめよ!”

などなど。

ましてや、親の虫の居所が悪いとき、その 八つ当たりまで 子供たちはくらっていることも

あるかもしれない。

そうなると、子供は、無意識に、悟る。

親の注意を自分にむけるには、親に褒めてもらうことをするよりも、お小言をもらえば、

手っ取り早いと。

親が お小言を言っていても その時は少なくても、自分に親の心が向いているのだ~と。

それでも、まだ、足りないとき・・・・

そこで、寝小便をする。

 

寝小便はしたくてもできない~と思う方もいるかもしれない。

でも、唯心所現 (ゆいしんしょげん)の法則がある。

心(潜在意識)で強く念じると その通りのことが、現象世界に現れるという法則だ。

子供の心は純粋だけに、”お母さん、もっと、気にかけて!” の心からの叫びは、体の作用に

容易に働くだろう。

幼児にとどまらず、非行に走る青少年たちも、きっと、こうした 欲求不満を秘めている

のかもしれない。

社会をアット言わせたい、自分に注目してもらいたい、現に、こうした動機で、過去に 

街中で、悲惨な通り魔事件も起きている。

 

寝小便だけが、親の心を向ける方法でもないらしい。

例えば、病気になること。

風邪をひいても、治りを遅くすること。 

かまってもらいたい、親に自分を観てほしい、それによって、落ち着く、安心すると

いうのが子供心。

だとすれば、この幼児性は、子供だけの特権では、ないかもしれない。

こうした 形を変えた、幼児性は、成人した大人の中にも、潜在意識のどこかに、

潜んでいることがある。

 

 寝小便は ”親の注意をひきつけるため”、大人は、”人の注意をひきつけるため”に無意識に

次のような行動をとる。

例えば:

* ご機嫌をとることで、相手の関心を 自分に向ける。

* 不機嫌になって、あたりちらすことで、周りの注意をひく。

* 病気になって、ねんごろに周囲の人に看病してもらうことで、安心する。

* わけもなく、人と違う行動をとることによって、注目を浴びる。

* 自分が常に話題を引っ張っていないと、無視された気分になって、面白くない。

 

少なからず、似たような状況を思い浮かべることができる。

* ごますり、あるいは、心にもない褒め言葉を使うことは、会社などで経験はないだろうか?

* 外面のいいご亭主が、ストレスを抱えて帰宅。 

その発散を、妻に甘えて、”不機嫌”という形で 家族の前で、出すことはないだろうか?

* ファッションや、化粧を奇抜にして電車に乗り、乗客の眼をひくことで、快感を覚える。

* 会議などで、あえて、手を挙げ、理論になっていない屁理屈の質問をすることで、人目をひく。

* 話題を提供することは得意だが、人の話をゆっくり聞いてあげる余裕はなく、 

常に、自分中心で 話しまくり、場を進めていく人。

 

これも、大人の心に潜む、他者から注目を浴びたいという、子供心 のような気がする。

おねしょ は 幸い、小学校低学年で卒業できた。

でも、私自身の心の中にある、子供じみた要素、まだ、大人になりきっていない部分を

じっくりと 引き出しをあけて、整理したい気分になった。

考えてみると、これらの兆候は 年を重ね、認知症的 になったときの行動バターンとあまり、

変わりがない。 

”年取ることに、子供に帰る”~ というのは、こういう意味合いも暗示していたのだろうか?

 

   

       

コメント
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