カジュラホ寺院の彫刻とタントラ意識 平成25年1月12日
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古代インドの文化を学習すると、決して、本来 性が抑え込まれて
いたものではないことがわかります
クリシュナ神と関係のある女性の数が、文献に出ていますが、
数百人、否、それ以上と記憶しています。
聖典といわれる、”ギータ”の主人公である、アルジュナの5人兄弟
は一人の妻を共有していました。
カジュラホ寺院の彫刻の数々~
カジュラホの寺院群の壁に掘られている、壁画を見ると、
古代インドにおける、おおらかな性への意識が確認できます。
それにもかかわらず、現代インド社会にみられる、閉ざされ、
押し込まれていったその感覚の変遷が、疑問でもありました。
今日はそのことを 少し、考えてみたいと思います。
AD850年から1500年の間に建設されたという、カジュラホの
寺院群。
ちょうど、カンボジアのアンコールワットとほぼ同時期に
たてられている。
この寺院群の彫刻のモチーフはご覧のとおり、おおらかな男女の結合
である。
すでに この時までに、インド古代文化、ガンダーラ美術
(AD150年ごろ)、アジェンダ石窟(AD300年ごろ)、
エローラ石窟(AD700年ごろ)などの隆盛をみている。
印度の古代の人たちの おおらかな、開け広げの感性が伝わって
くるようだ。
それから500年足らずして、ムガール帝国が成立する。
イスラム教の”性の意識”に対する 厳格な教義がインドに入って
来た。
1628年にシャー・ジャハーン帝によって、タージマハールが
建設される。
北インドは1858年 ムガール帝国が滅びるまで、600年余、
イスラム文化支配圏として その影響下に置かれていた。
カジュラホ寺院群の写真
一方、南インドでは比較的、モスリム文化の影響は北インドほど、
見られていない。
アグラ・ ジャイプールや カシミールといった、デリーを中心
として北部圏にその影響がみられるのは、現在残る、寺院建築様式
などを観ても、理解できる。
南インド寺院と北インドにあるヒンズー寺院は、明らかに、異なる。
さて、ここで、あらためて 質問が起きる。
”何故、北インドに、去年12月16日に起きたような常識を逸脱した、
荒々しいレイプ犯罪が起きたか?”というBBCの記者の質問・・・。
私自身、印度古典芸術を研究していた折、南インドの楽器や
古典舞踊は、インド土着の、ローカルな文化を忠実に、継承して
いるという事実を知った。
一方、北インドの古典音楽は、そのルーツにモスリム文化の
息吹きを抜きに語れない・・つまり、南インドとは、対照的だ。
シタールを例にとる。
シタールの原型は、南インド音楽に残る、ヴィーナだとする説
が優勢だ。
ヴィーナは日本に伝わり、琵琶にな った。
琵琶(びわ)を持っている弁天様。
インドではヴィーナを持つ女神はサラスワティ女神である。
芸術と学問の神様だ。
このヴィーナを起源とするといわれる、シタールは、トルコ人
の血を引く、偉大な音楽家アミール・クスロが開発した楽器である
とする説も有力である。
アミール・クスロの墓は デリーのニザムディン廟にある。
ここは、モスクにもなっていて、デリーのモスリム信徒たちは
ここで、礼拝もする。
本来、音楽をタブーとするモスリムだが、スーフィー派と呼ばれる、
ここに集まるモスリムの一派は、アラーへの讃美歌を、歌う。
その際、タブラ(太鼓)が用いられる。
南インドの本来のインドにおける太鼓ムリンダガムとは異なり、
左右二つの小さな太鼓が複雑なヴァリエーションを造りだす。
ペルシャ文化の郷愁を誘う 味わいを醸し出す。
こうしてみても、モスリム文化の影響抜きには、北インドの古典
音楽は語ることはできない。
さて、本来のインド文化が持っていた、カジュラホの彫刻が物語る
ように、おおらかな男女の愛の意識は、北インドにおいて、侵略者の
宗教によって、大きく舵転換したのではないか?
まず、南インドに残る、本来のインド文化が色濃く残る、これらの
寺院の彫刻、男女合体のモチーフの意味と意義を考えてみたい。
1~ 男女合体によって 陰陽のエネルギーの結合により、
子孫繁栄、生産、豊饒、命のシンボルとして”性結合”を、聖なる
行為ととらえる
2~ 神への参拝のために、寺に詣でる。
その際 性的エネルギーの肯定で、原罪意識(人間本来、心奥に
持つ)を浄化させる
自分が穢れたもの、罪ある者 という意識は、神の前では不要で
あり、むしろ、神なる資質を持つ、本来の自己をとりもどす
聖なる場所が 寺である.
それが、本来の古代インドで教えられていた、”神人合一”を説く
ヴェーダの教えであり、キリスト教やイスラム教的な”原罪意識”は、
矛盾する。
3~ 一節によると、巫女が当時、カジュラホの寺に常住して、
性的に罪意識をもつ人たちのために、自ら、その相手をしたとも、
言われている。
4~ 本来、性が開放的な意識の中でとらえられていた。
よって、鬱屈して捻じ曲げられた意識に、陥ることも少なかった
だろう。
5~ 性に対する、おおらかな、意識の中で、人はモデレートな性、
適当なエネルギー消耗の方法を 自ら体験の中に学びつつ、性欲
のコントロールも 自主的に可能になっただろう。
しかし、北インドにおける、長い、モスリムの支配とともに、
北インドの風土的に厳しい自然背景の中で、人々の性的意識が
歪曲され、日向から日陰に、隠すべき存在と変わっていった。
こうして、数百年の歳月を経て、南インドと北インドの文化の
違いが、少しずつ形成されていったのだろうと推測する。
古来インドにおけるヨガの気道によれば、性的エネルギーは、
生命力の象徴でもある。
クンダリーニを上がっていく生命力である。
正しい、欲求の発露 は生きていくうえでの”必然的エネルギー”
その必然性をつぶすことなく、貪ることなく、自己の主体性を
見つけていくこと。
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