医師から;ご主人だけに話します
平成25年1月30日
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それで、国立病院に診察に行った。
すぐ入院といわれた。
”大丈夫。癌ではないから。
なんでもないですからね。
ただの腫瘍ですから・・”と医師が 何度も繰り返し、
安心するように、言葉をかけてくれていたのが
印象的だった。
実際はすぐ、手術しなければならないほど、
局部が腫れあがっていた。
さらに、良性の腫瘍 と医師は私を安心させてくれたが
その実、のちに、主治医が、
主人だけに密かに事実を告げるほど、
楽天的な状況ではなかった。
手術で取り出された腐ったような卵巣が、
夏みかんほどの大きさに肥大していた。
そして、手術後、医師は夫を呼び、
”ここだけの話ですが”と 退院後改めて、集中治療の
準備をして欲しいと告げた事実。
その話し合いは、結局、私に知らされることがなかった。
知らぬが仏、私は、腫瘍を取り除いてもう大丈夫と
自己判断で術後間もなく勝手に
病院を退院してしまった。
その時の主治医から聞かされたことを夫は
6年以上も黙っていた。
6年というのは主治医が当時、判断して夫に語った、
私の、余命時間でもあった。
主治医の診断では私の本当の病は、良性腫瘍ではなく、
西ドイツなどに症例があるという
血液がんの一種だった。
夫は私にそれを伝えなかった理由は、もし、
このまま集中室で癌治療を受けたら、本当に私
の生命は枯渇して死んでしまうと思ったからと
後から語った。
それほど、私自身、元気だったし、”癌はとった”と
信じていたから、その信念が、何よりの薬となって、
”思うところ現実になる”という唯心所現の法則で、健康
自主退院をした私の当時の心境は、医師達に、
いかなることを宣言されようとも、
”速く退院したい”という思いだけだった。
手術を受けて、数日後、病床の枕元に次のような内容
の置手紙を置いて、自己責任の自主退院をした。
”現代西洋医学の、対症療法には疑問があります。
東洋医学でいうところの経絡(けいらく)を
手術で、きられなかったので安心しています。
思うところあり 退院させていただきます。
お世話になりましたが・・・・云々”
それでも、退院して、一度だけ診察に伺った。
担当医師は 突然 姿を消した患者に、
”西洋医学も少しは 信頼してほしいですがね・・”
と言いながら、即、検査を行った。
そして、独り言のように、しかし、私には
はっきり聞こえるように、背中越しに、
こんな言葉を投げかけた。
”やっぱり・・ もう一つ残った卵巣も摘出して
おくべきだった。転移しているようだ・・・”
その言葉は一抹の不安を与えたが、私は、
それきり、自分の信念に従うことを選び、
診察にはいかなかった。
”死ぬのなら、死ぬ。 でも、私の信条
~人間神の子・病なし~ が真理なら、必ず、治る”
想念は想いの念と書く。
自分は神の子だと、それから瞬時も言い聞かせる
ように、心の中で布団の中で口ずさみ、唱え
潜在意識の奥底にその真理を映写するように
念じ続けた。”人間実相円満完全。神の子”・・・と。
そして、その頃から、なぜか、急激に、
生まれつき苦しんできたアトピー性の湿疹がひいてきた。
そして手術後、2年経て、夫の転勤で、
インドに行くことになる。
そこで、その時のことを 彷彿(ほうふつ)と想いださせる
デリーでの出来事を想いだす。
ニューデリーで、”第三の眼” が開けたという
、バラナシからの高層と出会った。
第三の眼、それは、人の過去・現在・未来の
パノラマヴィジョンを観ることができる目だ。
高僧は、目を閉じながら、一言も私と会話を
交わすことなく、沈黙の中で、つぶやくように、言った。
” おうおう、顔中、醜いナア。”
醜い、きたないという意味を、この僧侶は英語を
使って、”ugly” と表現した。
昔のアトピーの皮膚を持ったカサカサで、
首が象の皮膚のようにごわごわだった、
自分の姿が、高僧の目には映ったらしい。
さらに次のようにも語った。
”アトピー湿疹が消えたのは、亡くなった
父親の祈りが神に届いたからだ”
という。
”あなたの父上は ネパール人かな?”
僧侶は聞いた。
父は、たしかに 鼻骨とほほ骨が高く、
父の写真を見せたら、インドの知人に、
”日本人ぼくないねえ。かといって、
何人かちょっと、わからない顔している。”
などと言われたこともある。
私は その質問を、否定も肯定もせず、
高僧の言葉が終わるまで黙って聞いていた。
”父上は シヴァ神を深く 信仰されていた”
”あなたの、顔の皮膚が綺麗になったのも、
シヴァ神の妻、パールヴァティーの祝福ですな。”
そういえば、父は20年間、不動明王を信仰していた。
仏間に祀られた、30号ほどの大きな不動明王の
絵の前には、菊の花の献花を絶やしたことが
なかった。
そして、毎朝、お香をたき、お茶を供え、
般若心経、時には観音経を唱えていた。
”お前たち(こどもたち)の健康を祈っているんだよ”
と 父は 常々、私に言っていた。
私の皮膚病(アトピー)が治ったのが父の祈りで
あるのなら、癌が癌でなくなったとしたら、
私の必死な自己実相顕現の祈りが神に届いたのだ
と思った。
生かされている~と感じた。
これが私の簡単な、自分が体験した、自分の体の
自然治癒力の回想である。
今、生かされている。生かされているということは
どういうことか?
何か、まだ、課題が残されているから。
意義があるから、こうして、生きているのだ
と思う。
どんな人でも、何か使命があるから生きている
のだろう。
使命は社会的に大きいかどうか、ということより、
たった一人の人のためにも、
生きなければならないこともあるのだろう。
それは、自分自身のため・・・ということもある。
本当の自分になるため、本当の自分を愛するため、
本当の自分を知るため・・に。
これでMさんの手記 喘息と、
私自身の、アレルギー体質~アトピー性疾患~
のお話しは終わりです。
この桜は、Mさんが退院された年
あまり美しいので~と撮られた写真です。
春が来る前は、寒い冷たい冬、
春の後に夏が来て、秋がくる。
当たり前のこと。
でも、その流れの中にある、一貫した
生命力、
その変化があるにせよ、雪の中にも埋もれながら、
春を待つ 生命力がある。
これも当たり前の事・・・
自然治癒力、自分の中にある大いなる生命力の発露です・・・
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