自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

ヒマラヤ聖者エミール大師の奇跡(1) 

2013年06月20日 | 健康と直結する”一元論”について

花や木もうなづく        平成25年6月20日

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著者はしがきから

わたしは 1894年に極東を訪れた 11人の調査団

の一員であった。

3年半にわたる極東滞在中、ヒマラヤの大師たちに接触した。

大師は 私たちが 偉大なる法則の働きを 実証されるのを

実際に見るために、大師がたの生活の中に親しく入り込む

ことを許してくれた。

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大師が、鳥や獣との会話しているところを目のあたりにみた 

調査団の報告は次のようだ

ある日曜日の朝、エミール師と 一緒に野原を散歩していると、

私は先ほどから、私たちの頭の上を円を描きながら、飛びまわ

っている一羽の鳩が気になってならなかった

 ‘あの鳩は私を探しているんですよ’と師は、さりげなく言うと、

歩みを止めて 深い沈黙に入ってしまった。

数分すると、鳩は師の差し伸べた腕の上に舞い降りてきた。


その鳩は北の方にいる大師の弟から音信を持ってきたという

のである。

その弟という人は、やはり、同じ真理の道を歩んでいるが、

直接、兄に意思を伝達するところまでは修行が積んでいない

のでこの方法を用いているのだそうである。

あとでわかったことではあるが、大師たちは ‘思念伝達’

(大師がたの言い方によれば、電気や無電よりもはるかに

微妙な或る力)よって、瞬間的に相互の通信ができると

いうのである。

それから 私のいろいろな質問に答えて、師は鳥たちを呼び

寄せると、空中を飛んでいる時でも、その飛び方を指図でき

こと、花や木でも 本当にうなずくこと、野獣でも少しも恐れ

ないで寄ってくること、小さい動物を襲って食い殺し、あとの

死体を奪い合っていた二匹のジャッカル(山犬)を 引き分けた

ことなどを話してくれた。

その山犬など、大師が近づいていくと、闘いをやめて、大師の

さしのべた両手の中に すっかり 信じ切った様子で首を入れて、

静かに食べ合ったそうである。

師は或るとき、一匹の野獣の子を私に与えて、両手で抱いて

ごらんと言ったのである。

さて、話を元に戻すと、エミール師はこうした以心伝心の奥義を

次のように語った。 

 

‘こういう風に、動物でも 支配できるのは、いつも五官で見て

いるような卑俗な自我ではなく、もっと、真実な、もっと深い

真我 なのです。

こういうことをしてみせるのも 私の自我ではなく、あなた方

の言う神、即ち内在する神、私を通して、働き給う 全能にして、

壱なる神なのです。

 

死をまぬがれ得ぬ’小我’としての 私自(みずか)らでは、何事をも、

為し得ないのです。

あなたが 今までに みてきたようなことが 私にできるのは、

私が 外的な現象を完全に放棄し、真実なるもの、即ち、神我

われ神也)=自己の実相・内在の語らしめ、なさしめ、

しかして、神の大愛を出させるときなのです。

 

あなたを通して 神の愛がすべてのものに出ていくとき、何物も 

あなたを怖がらず、どんな災害もふりかかることはありません。“

21

 

 

師は、調査団の部屋のドアーが閉まっていてもドアーを通さず、

どこからか、部屋に入ってくることがあった。

そのことについて次のように記録されている。

 

ぱっと出し抜けに(大師は)姿を現した。

寝る前に ドアーに 念入りに鍵をかけてみてもそうで

あった。”(22

そこで、彼らは、もう、鍵をかけずに、開け放しにしておく

ことにした。

“これは、私が 師を信頼することになるので、喜んでおられる

ようであった。

其の頃はまだ、師の教えが 全部わかるというほどではなかったし、

百パーセントそのまま 受け入れることもできなかった。“(22

 

実際、大師たちの霊的意義を悟るにはいろいろな体験を観て、

吟味すること、“数年の思索が必要”(22) だったとている。

大師たちは 大自然の中に 防備もなく生きておられる。


私自身がインド在中の時、(写真を見せていただいて)

知っている (ヨギ大師)は、極寒のヒマラヤの雪の中を 

真っ裸で縦横無尽移動しておられる。

その写真が一枚だけ、訪れた修行場に、残されていた。

ヒマラヤの雪の中で素っ裸の御姿だが、一般に公開する写真は、

雲の中から姿を半身出している様子で、修正されていた。

さて、調査団の人たちも、その大師の無防備な生活態度には

次のように感嘆する。

 

大師たちには何の見栄もてらいもなく、お仕事の仕方も全く

子供のように純真であった。…略…

毎年 何千人という人が 毒蛇や猛獣のために生命を落とすが、

大師たちは 内なる愛の力 を発揮するから害を受けることがない。

 

時には、未開のジャングルに住み、時には猛獣の惨害より、村を

守るために自ら進んで、村の入り口に身を横たえることがある。

時によっては、水の上を歩き、水の中をくぐり、肉体の姿を消した

まま往来し、その他、何か超自然力の 所有者にしかできないと

思われる 所謂、奇跡の数々を行う。“ (23

 

 

 

このような大師たちは インドでも比較的少数しかおられない。

大師たち自身その数が限られていることや、学者たちも(大師の

ところまで)訪ねてこれるような人はごく少数しかいないことは 

よくご存じである。“(23

 

だからといって、これらの大師たちが われわれ下界の人間の

生活に無頓着かというとまったく逆のようである。

なぜなら、以下のように調査員は記している。

 

大師がたは 不可視の世界[須田注:時間・空間を超えた世界)

においては、無数の人々に接触することができるのであって、

事実 不可視の世界に入ってその教えに感応する人々を援助する

のが、大師たちのお仕事の大部分のようでる。“(23

 

 

訳者註から)

真我を”神の我” と呼んでいるのは、アートマ の

資質をもった、人間の実相のことでもある。

訳者は ここに以下のような、註を置いている。

 

真我とは) 人間の実相:肉体に非ず、様々な心に非ず、

神に等しいものである。

故に、人間の実相は神と等しく 無限の智慧、愛、生命、

美、歓喜、調和、豊富である。

それらをどこまで出すかは、本人自身が自分の能力、才幹を 

どの程度まで認識するか、即ち、私はどの程度まで……である’

かを認知しているかによって、決定される。

故に、人間は常に、私は無限(たとえば、愛、智慧など)である’

観ずべきである”(24

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参考)

ヒマラヤ聖者の生活研究―自由自在への道 全5巻

S54年6月5日第五版

ベアード・T・スポールディング著 仲里誠吉訳 霞が関書房

 

  

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