メリークリスマス! みなさま
ご家族と、恋人とそれぞれ大事な人たちと素敵なイブを過ごされたでしょうか?
実はワタシはですね。ここで半日過ごしたのだ・・・
↓
実家地方の基幹病院 にて
実家の母 ごく最近定期健診にて 肝臓ガ★の疑い。詳しく調べてもらったらやはりビンゴ、紹介状をもらってこちらの病院に行くことになった。
すべてここ一週間の間に起こったことである。
実は家の母親は25年ほど前の胃潰瘍のオペの時の輸血が原因でC型肝炎のウイルスを持っていた。それも10年ほど前にわかって 良い医師に巡り会ってフォローしてもらって 4年ほど前にインターフェロンの治療によりそのウイルスは消えたのだった(確かここにも書いた覚えがある) それから元気元気でワタシとハワイに行ったり 国内旅行も月一度くらいは父と仲間と出掛けたり、観劇や自分の仕舞や謡の会のために東京にくることもしょっちゅう。私はあと10年くらいはこのまま元気なバアサンで居てくれるとなんとなく思っていたのですけどねえ・・・
しかし、マレにはウイルスが消えたあともこういうことってあるらしいのね。そのままフォローしてくれていた先生のすすめで3か月に一度エコーで調べていたおかげで今回2cmのガ★が見つかったのだ。
その精密検査には弟が付き添ったんだけど すぐさま家に電話してきたので私はオットと連携をとってその後どこの病院に紹介してもらうかを検討して連絡。年内に一度外来予約をしてその時は私が付いて行って話を聞いて今後の方針を決めることとなった。
その予約が昨日だったわけです。
昨日は友達と新大久保で韓国エステ三昧して夜は家でささやかにオットとイブパーティーでもしようと思ってたんだけどね。
おとといの夜、高速をぶっ飛ばして実家へ。
12時半の予約ながら気の早い両親にせかされて11時半に病院へ。診察券を作ってもらったりなんだりしても10分しかかからなかった。
その後消化器内科の外来でじっと待ちましたよ。
世の中クリスマスと浮かれているが(私も何もなければそっち組ではあったはずだけどね)なんと病人の多いこと。
そして高齢者の多いこと。
看護婦さんになだめられながら出てくるおじいちゃん。
嚥下ができなくなってステントを入れたら苦しいと それなのにあの医者は親身になってくれない と受付で大きな声で怒鳴る。
「OOさん、落ち着きましょうよ、先生だって心配してああ言われているのよ」
「そんなこたぁない あんな苦しい思いをするならおらぁ死んだほうがマシだ」
付き添いの娘さんらしき人は
そのあと出てきて困り果てながらもおじいちゃんをなだめ、とにかく点滴を受けさせるようにそくしていた。
ホントに医療現場って大変だ・・・
家の姑も去年胆石のオペをしたが その時も一騒ぎあったっけ。 この辺 ★ この辺 ★ この辺 ★ などご覧くだされ。 お気楽嫁に見える私だけど 姑は事が起こると一般人の数倍めんどくさく手ごわいんだぞ。
一転家の母・・・ 医学が進んだと言え やはり ガ★の二文字は嫌なもんだと思う。しかしまったく落ち着いてるしくよくよもしていないのだ。
C型肝炎のフォローをしている間に自分なりに肝炎についてかなり勉強もしていたらしく 「2cm以内で3個まではラジオ波でできるって言うじゃない。」 なんてさらっと言ったとかでオットがびっくりしていた。
オットも今回のことがわかった時に出張の帰りについでに私の実家に寄ってくれて母と父を励まして今後の方針も話しておいてくれたのも大きかった。
手遅れじゃなさそうってこともあるが
「私はおばあちゃん(母から見ると姑)が亡くなってからは 好きなこともできたし あんたやOO(弟)も落ち着いてるし もういつ死んでも悔いはないのよ。」なんだそうだ。
まあ その覚悟はいいとしても まだそうすっきりされちゃこっちもあせる。ひ孫の顔くらいは見てもらいたいもんである。
「でもねえ、パパが私より後に残るとかわいそうだし、あんなに何にもできない人残すとあんたたちが迷惑するしね~」
確かに あと10年くらいは元気でいてほしいもんである。
待合室でもさんざん待ったが この日小声だけど結構楽しげに談笑しているのは私たち親子だけだったかも。
太った看護婦さんが前を通ったら 「そういえば 塚田マキちゃんが引退したんだってね~」なんて唐突に言い出すのでこっちがあせる。
そしてこの日は前の日が休みだったためか本当に混んでいたらしく診察室に呼ばれたのは予定を1時間半も過ぎて2時頃であった。
続きます。
ご家族と、恋人とそれぞれ大事な人たちと素敵なイブを過ごされたでしょうか?
実はワタシはですね。ここで半日過ごしたのだ・・・
↓
実家地方の基幹病院 にて
実家の母 ごく最近定期健診にて 肝臓ガ★の疑い。詳しく調べてもらったらやはりビンゴ、紹介状をもらってこちらの病院に行くことになった。
すべてここ一週間の間に起こったことである。
実は家の母親は25年ほど前の胃潰瘍のオペの時の輸血が原因でC型肝炎のウイルスを持っていた。それも10年ほど前にわかって 良い医師に巡り会ってフォローしてもらって 4年ほど前にインターフェロンの治療によりそのウイルスは消えたのだった(確かここにも書いた覚えがある) それから元気元気でワタシとハワイに行ったり 国内旅行も月一度くらいは父と仲間と出掛けたり、観劇や自分の仕舞や謡の会のために東京にくることもしょっちゅう。私はあと10年くらいはこのまま元気なバアサンで居てくれるとなんとなく思っていたのですけどねえ・・・
しかし、マレにはウイルスが消えたあともこういうことってあるらしいのね。そのままフォローしてくれていた先生のすすめで3か月に一度エコーで調べていたおかげで今回2cmのガ★が見つかったのだ。
その精密検査には弟が付き添ったんだけど すぐさま家に電話してきたので私はオットと連携をとってその後どこの病院に紹介してもらうかを検討して連絡。年内に一度外来予約をしてその時は私が付いて行って話を聞いて今後の方針を決めることとなった。
その予約が昨日だったわけです。
昨日は友達と新大久保で韓国エステ三昧して夜は家でささやかにオットとイブパーティーでもしようと思ってたんだけどね。
おとといの夜、高速をぶっ飛ばして実家へ。
12時半の予約ながら気の早い両親にせかされて11時半に病院へ。診察券を作ってもらったりなんだりしても10分しかかからなかった。
その後消化器内科の外来でじっと待ちましたよ。
世の中クリスマスと浮かれているが(私も何もなければそっち組ではあったはずだけどね)なんと病人の多いこと。
そして高齢者の多いこと。
看護婦さんになだめられながら出てくるおじいちゃん。
嚥下ができなくなってステントを入れたら苦しいと それなのにあの医者は親身になってくれない と受付で大きな声で怒鳴る。
「OOさん、落ち着きましょうよ、先生だって心配してああ言われているのよ」
「そんなこたぁない あんな苦しい思いをするならおらぁ死んだほうがマシだ」
付き添いの娘さんらしき人は
そのあと出てきて困り果てながらもおじいちゃんをなだめ、とにかく点滴を受けさせるようにそくしていた。
ホントに医療現場って大変だ・・・
家の姑も去年胆石のオペをしたが その時も一騒ぎあったっけ。 この辺 ★ この辺 ★ この辺 ★ などご覧くだされ。 お気楽嫁に見える私だけど 姑は事が起こると一般人の数倍めんどくさく手ごわいんだぞ。
一転家の母・・・ 医学が進んだと言え やはり ガ★の二文字は嫌なもんだと思う。しかしまったく落ち着いてるしくよくよもしていないのだ。
C型肝炎のフォローをしている間に自分なりに肝炎についてかなり勉強もしていたらしく 「2cm以内で3個まではラジオ波でできるって言うじゃない。」 なんてさらっと言ったとかでオットがびっくりしていた。
オットも今回のことがわかった時に出張の帰りについでに私の実家に寄ってくれて母と父を励まして今後の方針も話しておいてくれたのも大きかった。
手遅れじゃなさそうってこともあるが
「私はおばあちゃん(母から見ると姑)が亡くなってからは 好きなこともできたし あんたやOO(弟)も落ち着いてるし もういつ死んでも悔いはないのよ。」なんだそうだ。
まあ その覚悟はいいとしても まだそうすっきりされちゃこっちもあせる。ひ孫の顔くらいは見てもらいたいもんである。
「でもねえ、パパが私より後に残るとかわいそうだし、あんなに何にもできない人残すとあんたたちが迷惑するしね~」
確かに あと10年くらいは元気でいてほしいもんである。
待合室でもさんざん待ったが この日小声だけど結構楽しげに談笑しているのは私たち親子だけだったかも。
太った看護婦さんが前を通ったら 「そういえば 塚田マキちゃんが引退したんだってね~」なんて唐突に言い出すのでこっちがあせる。
そしてこの日は前の日が休みだったためか本当に混んでいたらしく診察室に呼ばれたのは予定を1時間半も過ぎて2時頃であった。
続きます。