助っ人加行で灌水が出来ない。その間は真夏日の予報だし3号ポットでは水切れで枯れ死する恐れが多分にある。数日の高温乾燥にも耐えるようにキジョランのポット苗を庭の一角に埋めて凌ぐ事にした。
前回は出発前に十二分な灌水を行ったが、今回は気温が高すぎて晴れ続きの予報では限界を越えてしまう。ようやく本葉の出たキジョランを全滅させる訳にはいかない。
ついでに発育の遅れで定植できずにいるイガホウズキも埋め込んだ。一週間ほど前に定植したイガホウズキは成長著しく、とても播種時期が同じと思えぬくらいに育っている。
定植した株は順調だから、残りの苗は無くても不自由しないものの、貴重な苗でもあるから全てを結実株に育て、たっぷり喰ってみたい欲望が勝った。
今が食べごろの「コウゾの実」も、かなりの曲者と思える味だけれど、イガホウズキの味わいも変わっている。しかしながらコウゾの実は「また食べたい」と思わないものの、イガホウズキは季節になると口にしたくなる。微妙で奥深い味と思うが、これは多分に少年期の畑仕事とつながっている「郷愁の味」だろう。
前回は出発前に十二分な灌水を行ったが、今回は気温が高すぎて晴れ続きの予報では限界を越えてしまう。ようやく本葉の出たキジョランを全滅させる訳にはいかない。
ついでに発育の遅れで定植できずにいるイガホウズキも埋め込んだ。一週間ほど前に定植したイガホウズキは成長著しく、とても播種時期が同じと思えぬくらいに育っている。
定植した株は順調だから、残りの苗は無くても不自由しないものの、貴重な苗でもあるから全てを結実株に育て、たっぷり喰ってみたい欲望が勝った。
今が食べごろの「コウゾの実」も、かなりの曲者と思える味だけれど、イガホウズキの味わいも変わっている。しかしながらコウゾの実は「また食べたい」と思わないものの、イガホウズキは季節になると口にしたくなる。微妙で奥深い味と思うが、これは多分に少年期の畑仕事とつながっている「郷愁の味」だろう。