生姜味噌や砂糖味噌を塗った焼きおにぎりは郷里の定番でもあって、子どもたちが幼い頃のお昼には魚焼き器で作って食べさせた事もあるものの社会に出てしまった現在は自分のために作る程度で回数も激減した。この日、腰痛からの回復のため寒風の中ウオーキングに出たのだが道中、突然と「生姜味噌お握り」を食べたくなった。歩きながらつらつら考えたのは先日に食した「キリタンポもどき」とでもいうか「トッポギもどき」とも言いたい突いたご飯を焙って食べた美味しさに生姜味噌を加える妄想である。
帰宅したのは11時過ぎ、早速ご飯を炊いてすり鉢で半殺し、お握りにしようか板状で焼くか思案して板状で焼くことにした。これはお握りより厚さが均等だから生姜味噌も均等になる、という判断である。焼き網の下に崩れ落ちそうなのでアルミホイルを敷いたのだが、これは失敗だった。下側に焦げ目がつかない。やはり両面とも生姜味噌を塗るべきだったしお握りにすべきだった。まあ、これはこれで生涯学習の単位取得になるだろう。
焼き上がったのを丼に入れて煮たてたほうじ茶を掛ける。薬味にはヨモギのペーストを添えて季節感を演じたのだがヨモギの香味が勝って生姜味噌焼きの香ばしさやほうじ茶の風味を押さえてしまった。こう言う処に気ままに調理してしまう難点が現われるのだが、大概がその場限りの1回献立に近いのでブラッシュアップは望めない。それはともかく薄幸食らしい薄幸食になったわい。それは別として「簡単お昼」とはいかなかったものの一般論として老い先は短いものの調理時間はたっぷりあるし薄幸食と言えど被災地の一食に比べれば贅沢この上ない一食だ。神仏のご加護に深謝!。ここで大いなる疑問、どうして腰には神仏のご加護が無いのか⁉。人生の大疑問である。
歴史を振り返れば神君の申した言葉がある。「人の一生は重い腰痛を抱えて坂を上るが如し」なーるほど・・・納得した。