上の池の沈泥部を一カ所に集約するため絞り水の流路を接続したのだが護岸のための補強が済んでいなかった。とりあえずは間に合うけれどおっつけ威之志士様の跋扈蹂躙に遭うのはお約束で、その前に流路の保全のために護岸のための丸太を据え終えた。資材は昨秋に使った残りの腐材だけれど芯はしっかりしているから泥土の護岸には全く心配はない。杭が底を尽き新品の杭を購入して使う場所でも無いので数年前に伐採し杭に使えそうな部分だけ集めておいたマキの枝を運んで杭作りから開始である。
護岸部は新たに掘削して接続部となった部分と今までの流路の護岸である。この部分の流路は絞り水の増水時に泥土も運ばれて堆積し結局は越流して余計な部分に砂泥を落してしまう。だからこそ流路の堤は崩れぬように固める必要があったのだ。その上、泥浚いをしてしばらくすると威之志士様の跋扈蹂躙で崩されるのもお約束であって、こうなると更に流路と池の中に土を落されてしまうのである。根本的な解決には豚熱が流行して自然駆除なされれば良いのだが、前回の流行時にはワクチン餌を撒いた様な話も聞いたし豚熱を生き延びた威之志士様は更に免疫力のパワーアップをしているはずだからお先は暗いのだ。まあ、崩されたらまた修復する、の繰り返しで賽の河原で童子が石を積み積み鬼に崩される構図と全く同じの孤爺の老後なのであった。
とまあ、ぼやいてもつぶやいても役には立たず黙々と設えるだけの時間なのである。丸太を一列に並べ杭を位置に刺してから掛け矢で打ち込んで終わりだ。地盤は浚渫土であるから造作もなく終わって残りの時間を堆積した砂州の解消にスコップを持って乗り込んだのは良いけれどこれがなかなかの重労働で、水分のたっぷり含んだ砂泥を削り取り護岸木の岸側の窪みまで投げねばならないのだ。ほぼ3m近くを投げるのは結構な試練であってスコップ山盛りでは投げきれない。薄くへそいで投げても届かぬ時もあったりして努力が失意に直ぐ変わる。浮世の人生を実感させてくれた骨折り作業だった。
結局はメーデーでも無いし賃上げ作業でも無い泥上げ作業なので息が上がったのをみて撤退した。少しばかり残ったのは何とも恨めしいものの「要求貫徹!」なんて熱気や体力はもはや無いのであった。「老練、老練、老練!」の歌で始まる西部劇があったが、孤爺には老練はあったにせよ、なによりスタミナがなくなっておるわい。立ち枯れにせよ倒木にせよ切断処理や曳き移しなども労力が必要なもののそれなりの達成感がある。しかし水辺の土木は身体を折り曲げる動作の連続だけで、後日また同じ個所で同じ作業を行う事が多く楽しく無ーい・・・。それでも行うが因果というものか。かくして姥捨て山の孤老の一日は費えていくんである。