見せしめ仕分け 学んで悟る
末は懐炉の 金子かな ハア コリャコリャ 代官様
驕れる者にも 光は陰る
望月欠けて 闇夜道 ハア コリャコリャ 寄与盛入道
民の身を絞れば溜まる埋蔵金浪費横行応呼だ浪費 活災
二番底放置国家の成れの果て 掠女
逢うが良し申告漏れは地位次第 離苦惨界
見せしめ仕分け 学んで悟る
末は懐炉の 金子かな ハア コリャコリャ 代官様
驕れる者にも 光は陰る
望月欠けて 闇夜道 ハア コリャコリャ 寄与盛入道
民の身を絞れば溜まる埋蔵金浪費横行応呼だ浪費 活災
二番底放置国家の成れの果て 掠女
逢うが良し申告漏れは地位次第 離苦惨界
通称「馬の背」の南斜面の侵入竹の除伐が随分進んだ。会友の参加も複数で活動できてる事が大きい。
写真2の背後の森の除伐を開始したのが08年11月だ。その林内を片付けてから栗と茶畑跡が進行中だが、概ね1月中には完了するだろうとの見込みが出てきた。
斜面に2本だけ残った栗の木は、木の周囲の竹を栗の木の枝葉に触れないように除伐したのが07年の初夏で、翌年には栗の木の周囲の林床は写真1程ではなかったが下草の繁茂が見られた。しかし栗の木の立ち姿は座敷箒を立てたように上部にしか葉も実も着けない姿になってしまった。
この斜面の茶の木と栗の木は衰退して大部分が枯れてしまっていたが、この斜面の状況より尾根を挟んだ北側の斜面の被害が著しい。
「山が崩れていく」まさにその通りで、光を失った林床の土壌浸食と崩壊は目を瞠るものがある。小さいお目目でも瞠れるのだ。
ダンマリ弁慶 部屋では吼えて
民への弁明 舌が無い ハア コリャコリャ 弥生姐さん
轍は踏まぬと 虎の尾踏んで
策士策ゆえ 地獄門 ハア コリャコリャ 路断
上下には人を作らず組み分ける右の人にも左の人も 憂吉
喝破せり弱肉強食愚弄春 抗僧
方便を需要予測にみる不幸 怒僕
心なき身にもあわれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ 西行
心なき身にもあわれは知られけり職なき街の冬の明け暮れ
さびしさに堪えたる人のまたもあれな庵をならべ冬の山里 西行
さびしさに堪えてる人とまたも会う肩並べ食む暮れの炊き出し
年たけてまた越ゆべしと思いきや命なりけり小夜の中山 西行
年たけてまた越ゆべしと思いきや命なりけり凍てし真夜中
『箱根路の寒気斬り割り学徒走』
『新春の富士追っていく学徒かな』
『息深く吐いて塩撒く記録場所』
『非情でも恕と思えば投げ捨てる』
『引導を完膚なきまで友の意気』
『惻隠と思えば引導渡す役』
「えー!」と思ったのだ。作業を終えての帰り道にシマヘビの生々しい胴体が転がっていたからだ。林内に猛禽類の進入は容易になって飛翔も確認したが、この時期に蛇の活動はまず無いと断言してよい。
越冬中の個体を獣類が臭いで嗅ぎ付け捕食したのだろうと思ったが、それにしてもまだ生々しい新鮮な物だった。胴径は3センチはあったから体長は70~80cmくらいの個体だろうか。
上をみればマツボックリが鈴なりで、小鳥が啄ばんでいるのが見てとれる。同じ命を繋ぐための行動でも、動物が餌になるのと植物が餌になる場面の感じ方が異なるのはどうしてだろうか。
どうでも良いことだが、自宅には冬牡丹が一個だけ開花してくれた。生きとし生きるものの営みは寒の時期にも休むことは無いが、命を繋ぐことは「頂きます」に他ならないのを実感した日でもある。
『大蛇になれただろうに寒ざらし』
『地をよそに松かさ渡るウソの群れ』
『凍てし日々首折りて咲く寒牡丹』
斜面に切り倒した竹の処理が進んで、根こそぎ倒れた杉の付近まで来た。竹の集積に倒木が邪魔で思いもよらず片付ける羽目になった。作業は多少の目当てがあるにしても「成り行き次第」の面もあり、今日はその見本みたいな日になった。
掛かり木の処理は「危険度大」が常識中の常識だから、いつになく緊張して注意深くせざるを得ない。ともかく昼食に入るのは遅れたが、危険箇所の掛かり木は概ね処理することが出来て、落とした幹で侵食の激しい沢に丸木橋を架けることも出来たから今日は大満足の一日と言って良いだろう。
太い幹は直径30cmを越えていたが、利用価値となると20cm位の径が使いやすい。丸太が大量に利用できるので「下の沢筋の侵食防止の段差工に」と食指が動き始めた。
こんなことでとりとめもなく作業は続く。
東西の尾根両脇に繁茂していた孟宗竹のほとんどを切り倒したから、北側の日照の届かない谷に光が溢れるようになった。太陽の南中時には、まだ高度が低いので北向きの斜面に直射は届かないが間接光は十分に届くようになっている。残りの竹はようやく二桁になった。
夏になれば斜光とは言え、直接光が届くと林床の植生の回復も促進されるだろう。まあ、だからと言って小生の植生回復まで期待は出来ないのだが…。
光が溢れた谷を見ていると「ようやくここまで」と言う思いも浮かぶ。繰り返しになるが、これで林床の植生回復はスタート台に立ったと言えよう。林床が下草に覆われてくれれば、少しは土壌浸食は緩和される期待がでてくるのだ。
この北向きの斜面は侵食もあって作業しにくい斜面だ。傾斜も強く、その上起伏も崖地も存在する。これから倒した竹の処理と集積をして、ようやく風倒木や立ち枯れ木、掛かり木などの処理に手が出せる。
この侵入竹の除伐をしている斜面の対岸は大きなドングリをいっぱい落とす木が並んでいる。安全が確保されれば子ども達の格好の遊び場になると思い描いている場所なのだ。
とは言え春の生物が活動するまでに、棚田の畦の補修、水漏れの激しい溜池の替わりに新たな溜池の造成と、森の手入れ意外にやることはいっぱいあるのだ。
『正月も四日となれば山が良し家は閑散物みな凍る』
『年明けも小雪となれば皆払い一人立つ居間見下ろすテレビ』
『明け四日空蝉のごと家は在り』
『冷えし夜はヤマネのごとくもぐり寝ぬ』