てんでんこ此岸掴めて春彼岸
カサコソと鳴る箱胸にかすみ空
食べてるよ生きてる証お中日
裸木のよう断舎利と剥ぎ取らる
山笑むも人見ぬ里の二十キロ
辞める辞めない 斑目模様
分裂融合 現資力 ハア コリャコリャ アイーン酒多飲
生き残る掟はひとつ核子愛 村長
減思力安全言えん会の怪 妖怪
減思力暗然放安院の淫 主因
ほほいのほい規制を規整着せ替える 繰り人形
「ダーッ」じゃれ合って隠蔽村の算役人 意之気
「ダーッ」じゃれ合って隠蔽砦二本バレ 黒茶話
句は五時間五分で終わるいいんかい トロル小父
馴れ合いの三兄弟なら意のままに言葉は要らぬ願いは一つ 永劫
まつりごと伊呂波も隠し地位利用この期に及びいけしゃあしゃ ガマ
拠点近くの風害木の処理は終了し、一尾根北の沢で作業を開始する。遊歩道直近だし、いつ何時に遊ばれても危険だからと思っての事だが、3本とも沢を渡って弓なりだ。北側の斜面で、数年前までは侵入竹が密生していた箇所なだけに、太りは悪いが背丈はある。
不用意に鋸を入れれば、裂けるか跳ねるか、どちらにしても危険この上ない挙動になる条件が揃っている。まず枝払いをして、幹の周辺を歩き易くし、先端部から寸切りする事にする。それでも立ち木の陰に入っての防御体勢は必須なのである。
最終的には木元を根株と切り離して両端から弓なりになる反発力を減じながら終了させた。三本とも胸高直径35cm前後だったが、年輪は小生の年齢より多かったのだ。正確な数値は細かくて数えるのを放棄したから判らない。80年は越えていたかも…。緻密な材だった。
上部が掛かり木となって未処理のままの一本を処理することにした。一発では済まない事は承知だったが思いのほか大変だった。手順どおりにツルが折れる所まで進んだけれど、掛かっていた枝の一段下の枝で再度止まってしまった。こんな時だけ「思ったとおり」になる。
幹のところで径5cm位の枝に支えられ落ちてこないのだ。ロープを掛けて右方向から引いたがびくともしない。完全に切り離して切断面を地上に落とすことにした。危険行為に違いないけれど、立ち木が盾になる掛かり木の左方向に位置し、ハンマーで叩いて右に落としたのだが状況は変わらない。最後の手段として牽引器で引き落とす事にする。
ところがである。曳いて木元が空中に浮いても落ちないのである。障害になった枝の丈夫な事はいつもの事であるが、更に1m曳いてようやく地上に落ちてくれた。掛かった状態で放置は出来ないので、何としても当日処理が必須な作業なのだ。「一日一本、三日は散歩」で丁度良い作業負荷だった。使える道具は総て運んで使ったのだから…。樹齢30年だった。
風害木を処理して寸切りにしたのが大量に出る。細いところは杭にしたり護岸の土留めに活用したりするのだが、太いところは使うに困る代物だ。製材すれば柱や梁に使えるサイズも多い。もったいないことである。
今回、幹元の太い部分を半割りにして、泥水地の排水口の渡し木に使用した。幅は一尺はあるし、耐用年数も10年はあるだろう。泥水地の畦は歩道ではないものの、水を通すために切った部分は渡る場所になってしまう事が多い。そのため踏み削られて崩れてしまうので調度良い設えになる。
切り取られた所を飛び越えるのは大人の足では造作も無いが、おチビちゃんでは少々非力だから、材料があるのを幸いに3箇所の切り通しに渡した。おチビちゃんたちにはちょっとした冒険かも。
水辺は水生生物「小さき者」のために築いたのだけれど、おチビちゃん達も「小さき者」には違いない。幼児期の水辺の活動を通して自然環境を守る人材が育ってくれればこの上ない喜びでもあるが、植樹と同じで成長を確認することは叶わないのだ。
雨天で2日間休んでいる間にヒキガエルが産卵していた。それも思ってもいなかった新設の泥水地とトンボ池の両方にである。
ヒキガエルの産卵は「生まれた水辺で産卵する」と何かの本で読んだ事があって、産卵は数年先の事と、期待はしていなかっただけに嬉しい出来事である。どちらも昨年に卵塊を移植して孵化させたから、親に成って産卵に帰ってくるのは、早くても2014年頃と推測していたのだ。
モリアオガエルは、新設した当初から産卵したから、環境さえ整っていれば誕生地でなくても大丈夫の様である。産卵してくれたことは嬉しいことに違いないけれど、水辺を整備したことで入りやすくなり、結果としてオタマジャクシや水辺の構造が被害を被るのが心配だ。
利用している団体が開催回数を増やしたのがHPに載っていた。デリケートな水辺を、バッタの大群の様に荒らして帰っていくのを何度も見ているだけに、トロル小父さんとしては新たな脅威なのである。「悲喜還る」なんちゃって!。
4本が絡まって「掛かり木」状態となってしまった危険箇所だ。実際は幹が途中で析損した1本も渦中にあるから5本の処理となった。
最上部の木は下側から反力を受けており、根元を切断すると根元に挙動が生じるし、枝がからんで人力では引き落とせない。下側から処理すると、弓なりの木は根元から跳躍する。そこで、写真奥へ斜め45度に倒れている1本と途中で折れた一本を取り除き三角関係までに単純化した。
3本のうち、下側の1本は根起こしされた根株と切り離し着地させ、問題は弓なりの木とそれをさせている木である。弓なりの木を上部に木がない向こう側で切断すると、幹の反発力で直撃を受ける位置、こちら側で切断すると頭上に根起こしされて絡んだ木が支えを失って落ちて来る。
ハムレットもこんな心境だったのだろうが、チェーンソーを入れる弓なりの木の裂ける音を頼りに切断する事にした。今は生きているから、この稿を入れているが、予想通り頭上に落下寸前で間一髪だった。安全作業は心掛けているけれど、それでもやらねばならない局面はあるものだ。でも処理が終わった林内は、雰囲気も一変して素晴らしい。
「作業してこそ」の里山保全だし「生きていてこそ」の結果なのである。心境は複雑だ。
泥水地を築くために棚田跡の葦原を掘り上げていた時、多くのケラが出てきた。土掘り作業はアキレス腱断裂させた7月以来の作業だから、それ以来のご対面である。
大きいのは体長40mm程度、小さいのは20ミリ程度だったが、大きいのは腹部が長かったからメスだったかもしれない。葦、モグラ、サワガニ、ケラに共通する点は何?
アメンボと同じで水中に没する事無く水面に綺麗に浮く。ただ滑るようで移動は稚拙だ。モグラもケラもそうだが、トンネル生活をしているのに体表面には汚れが無い。生活スタイルに応じて良く出来たものである。
小生もトンネル生活のような日々のありさまだし、「おけら」と言う点で満場一致で合致する同類項だ。さて、前述の共通点、それは「水漏れの原因を作る」油断なら無い生き物、と言うこと。「千里の堤防、ケラの一穴」とは、よく言ったものである。
斜面の遊歩道上に倒れこんだ3本と掛かり木状態の1本を処理する。4本とも根起こしされて倒れたもので、いわゆる「掛かり木」とまではいかない斜面上の3本は、作業する場所が雨水で浸食された深さが胸くらいもある溝の上だから、作業姿勢が真に厄介だった。残した一本は立ち木2本の間で枝同士を絡ませて斜め木状態だ。幹元を切断すれば落ちてくれそうなのだが、下にミツマタの大株がある。直撃は避けたいから、とりあえずは手付かず。
溝は枝を払って、その枝を溝に投入すれば、転落した時のクッションにはなるけれど、足場には程遠かった。幸い、下側の2本は並んで倒れていたから、先端から寸切りしながら橋渡しをし、足場を確保して終了した。斜め木になった1本は、根起こしされた根株と幹を切断することで地上に落ちた。楽と言えば楽だったが、この状態で切断すると容易に幹が裂けてくる。
ここでも活躍したのは鳶口で、先日、折れてしまったが新しい柄の確保が出来なかったから、残った柄の先端に取り付けて使っている。柄の途中に折れ傷が見えるから、長くはもたないけれど、丸太を引きずるのには無くては成らない道具だった。これがなかったらもっと苦労しただろう。