トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

今日のとんぼ「ショウジョウトンボ出た」

2019-05-22 | 小父のお隣さん
 22日真っ赤なにショウジョウトンボの初見となったが撮影できなかった。ようやく今日23日に撮影した。何時も感じるのは出現したての頃のトンボは神経質に見える。撮影しようとしても直ぐに飛び立ってしまう事が経験的に多い。
 一方では小生に原因があるかもしれない。初見の焦りで動きが急になりがちとか・・・。クイックな動きはしないように十分注意を払っているつもりでも気持ちのクイックさまでは神経が行き届かぬ。

 S氏から「18日に初見」のメールがあったけれどフイールドでは無く至近のY川であった。この河川にはフイールドでは見る事の少ないトンボがいて、たまたまフイールドに来る供給源でもある。先日初見したミヤマカワトンボ、ここのせせらぎ近くには結構数をみる。

24時間雨量204mm

2019-05-22 | 今日は真面目に
 雨脚がはっきりしてきたのは20日の夕刻なので翌日の昼では20時間足らずだが降水量は190mmに達した。昼過ぎには止み、およそ20時間雨量は204mmを超えた。
 レーダー画面で降水の激しい部分は去った事を確認してからフイールドに行った。増水時や出水時に出かけても手を出すどころか事故の危険も近寄せる事になるのは承知でも水系の溢れた状態は自己責任で知る必要があるのだ。
 補正すべき部分は早めに補正や補修を施さないと環境の致命的損傷をもたらしてしまいかねない。水商売で自転車操業の小生には手抜きは許されず手入れを怠ればなし崩しに環境は破壊に向かう。そのベクトルは何時も破壊に向いている。

 駐車場は下手なので下流域から水見回りする事になるのだが、この増水で破壊された部分は無く小生が泣く事態は無かった。
 それでも第二トンボ池の越流があり食草園が水に浸かっていた。この要因は路面の下を通した600φの管にゴミなどが詰まり越流している為とも考えられるのだが、低い部分から排水の窪みをつける必要があるだろう。
 温水田と棚田は満水だが越流はせずギリギリの状態で、更に畦の上面を高める必要が見えている。

 分水池と放流路は機能していて、とりあえずの補修や拡幅の必要は薄かった。分水され隣の沢に放水される流量を見ていると、この水量が泥水池と二つ池に流入すれば一発で越流を起こし破壊されかねない力がある。堤を流出させれば小生に復旧の力ははもう無い。
 分水池と放流路を掘り上げる手間はあったけれど水辺の保全には欠かせない設えである。放流路を見るたびに思い起こすのは六年生の修学旅行で見学した大河津分水である。子ども心にも巨大な流路と言うだけは理解したが洪水調節の機能まで理解したかどうかは記憶にない。
 それでも水辺の設えに分水路を導入したのは分水の意味を理解し修学旅行が役に立ったと言えるだろう。
       分水池1と放水路      分水池2と放流路、泥水池へは120mm管で流入制限

 現在、新池を掘削中の場所も特変は無く、オニヤンマのパトロール流路として護岸工事を施した結果も安定しており一安心だった。
 まだ完成していない林接した池は想定満水位に近くなっており、この水位に合わせ水糸を張り直しかったが傘を差しての作業でも無いから断念した。底の魚溜り形成が出来なくなるだろうが漏水孔の確認には役立つだろう。
 流路下部の堤      流路上部の堤      新池の雨水

 降雨があれば最初に懸念する送水状態だが、濁り水が出ているのは当然だとしても吐水量が低下していた。取水升への土砂流入と取水路の埋没などあるのだろう。雨が上がればいの一番で水源地の手入れに向かわねばならないし折をみてポンプでの排泥作業も必要だ。
 そのうえで上の池のオーバーフロー部の漏水防止作業もしなければならない。降雨前の見回りで基盤と土嚢の間に漏水孔が出来ていた。それを引き起こした要因は土嚢を動かされた事に由るのだが、削り直して積みなおさねばならなくなった。小生等の勢力圏ではないので保全の設えには了承を得るが破壊する側は了承を要しない浮き世である。
              送水管吐水量       上の池のオーバーフロー

誓って出来た事にするマリオネット「リトルミイ」16 (傀儡師の終焉)

2019-05-21 | 何よりの楽しみ
 ようやく完成したと思ったのも試し操作をするまでで、やはり修正を加えてしまった。操作盤を伝統的なトンボ形にするのと糸をテグスにして目立たなくし調節も容易にする事と頭部の糸取り付け位置を前側に移して前後のバランスを向上させる事などである。

 頭部の糸取り付け部は重心が前側になって顔がうつむき加減でよろしくない。そこはミイちゃんらしく「キッ!」と前を向かせておきたい。
 糸はタコ糸からテグスに変更したのだが「見えにくく邪魔にならない」事だけでなく糸を張る時の調整のし易さも大事だった。タコ糸では狙った長さに固定するのが至難の業で辟易したのである。今回、テグスとビーズ玉を使い調整固定した方式はミリ単位の精度であっけなく長さが決まった。決まれば瞬間接着剤で固定し完了。

 操作盤の新機軸はそれなりの効果もあったもののオーソドックスなトンボ型でも遜色は無く、幼児が操作するには単純明快な操作木が好ましい。伝統的な形式と言うものはそれなりに取捨選択されてきた物で、それなりの理由がある。今回は否応なく実感した。
 オーソドックスなトンボ形だが両手同士と両足同士の糸は独立させたものの頭部左右の糸は連結してある。操作木上で左右に滑らせば頭を傾ける。こういう工夫が既にあるかどうかは承知してはいないものの爺我自賛としては花丸扱い。

 結局は試作品と改良品の双方に変更を加えてみたが、欲を言えば試作品の肘関節を付けたりゴム関節を紐関節に変更したりと改良したいのだが、もうずーと後回しにする。傀儡師いいや傀儡爺はしばらく離れて山仕事でくぐもる…。
 そう思う端からバイキンマンも作ってみたいなあ、とモゾモゾが始まる。この際限もなく続く欲望の輪廻は神仏に頼っても救われない領域で、これも「三途の河原の石積み」に等しいが、やって来るのは鬼でなく天邪鬼。

 試作品と二号体     操作盤不採用     トンボ型の操作木

アリ地獄、地獄のお釜の地獄

2019-05-20 | 旅行記
 少年の頃、アリ地獄の番地は「お社様の縁の下」なのだった。今回帰省した折り、お稲荷様や鎮守様を詣でたのだが、やはり行うべき行動は参拝では無く「覗き」だった。少年の頃とは異なり縁の下や床下に入り込めないように風通しを妨げないように板張りになっていた。

 そこを覗いてみたら「開けてびっくり玉手箱」ならぬ「覗いてびっくり地獄の地獄」だったのだ。地獄の全てを写真で網羅してはいないが3枚をアップしている。大きなサイズはプリンのカップ程7㎝前後はある大きさだった。
 どれほど大きい幼虫が居るのか掘り取って確認したい衝動もあったけれど、基本は「写真に撮るだけ」を曲げず「惜しいかな惜しいかな」と薄くなった後ろ髪を引かれて帰ったのだった。

 拠点道具小屋の床下にもアリ地獄は出来るのだが濡れ縁を取り付け屋根を取り付け木工工作をするようになってから木屑や木挽き粉で環境を消失させてしまった。だから久しぶりに見た大群落?、いいえ地獄の釜が密集している場所だったのだがニュースと重ね合わせると爆撃の跡にも見えてくるのだった。

 つらつら覗いていると「まっこと地獄は幼虫の方だ」と気付いた。見ていても蟻っ子一匹動いていない。何時ご馳走に有り付けるか判らないまま空腹の刻を過ごす胸中はいかほどだろうか。爆撃に恐れおののく人々の静寂が見える。

                        

                 狩るなれの飢餓より強くありそよぐ木々

                 辛抱や辛抱の果て夏の空

                 カゲロウの命なれども耐えて羽化

水田地帯の砂漠化

2019-05-19 | 旅行記
 久しぶりに郷里を法事で訪れた。百名山にも加えられたる魚沼三山の峰々はまだ残雪が多く春には遠い。
 この郷里の名峰でも登頂はして無いから「せめて中腹のトレッキングコースでも」とゴンドラを利用してプランを立てたのだが開山の7月にならないと運行は無く登る事は叶わなかった。

 余る時間を少年時代の記憶を頼りに歩いてみた。遠くまで出かけられないので歩いていける範囲だったが惨憺たる有様だった。水田地帯が広がり田植えが進行中で風景としてとらえれば「懐かしい」一言の情景だったもののマクロからミクロに視点を移すと、もう驚愕と落胆しかなかったのである。

                   
 魚沼連峰や谷川連峰の豊富な雪解け水と、それを運ぶ母川の賜物で肥沃な土壌が与えられお米の名産地として世に出た田舎であるが、うわべの栄華はそのままでも内実はすっかり砂漠だった。「こんな郷土に誰がした!」と叫びたくなる実態があった。あの名作「沈黙の春」を切り取って再現した光景に他ならなかったのだ。

 実家の裏手の農道から歩いてみた。既に昔の水路は無く耕地整理された水田が見渡す限り続いている。用水のほとんどは暗渠とパイプラインで配水され小さな水路は三面張りかU字溝だ。堤を土で形成した水路は全く無いし田圃以外の水溜りも存在していない。極めて効率的に「米作」一点に集約された環境になってしまった。
 そのうえ収穫が終われば次の代掻きまで水の入らない乾田となる。この条件は田圃を頼りに世代を重ねてきた生物に致命的。壊滅的被害を与えている。

 湛水した水田で動くものはアメンボだけ、ミジンコすら見えない。U字溝にはタニシさえ居らず、当然のごとくドジョウも見る事叶わなかった。農道や畦を歩いても植生の大半はスギナであって単純植生ここに極まれりである。
 水生生物がいない。植生が貧弱だから蝶も飛んでいない。二日間の歩きまわりでもトンボ一匹出会わなかった。すでに里山里地とは言えない、お米もゲージに入れられて産卵だけ期待されるニワトリみたいになってしまった。

 次兄の住む地域は丘陵部を背景にした平野部に入るが、雪解けの頃、数少ない小さな水溜りにトノサマガエルが産卵に集まると、これを目当てにタヌキやカラスが集まるのがお約束なのだそうな。運よくオタマジャクシになったとしてもその頃に田圃の水が抜かれ「土用干し」が始まる。このサイクルで少ないオタマジャクシまで死滅への道を与えられていく。
 産地によっては「乾さない水路を残す」手間を捨てず保全を図る動きもあるようだが、わが郷里はそこまでに至っていない。かくして生物は絶滅へまっしぐらである。沈黙の春ならず寡黙の春だったのは法事のせいだけではなかった。

 豊かな水資源と肥沃な土壌を有していても実態は砂漠そのものだった事実は哀しい。これはそのまま労働市場にも当てはまり労働者もゲージのニワトリに等しい。これでは既に労働者とは言えないか・・・。それなのに馬鹿どもは「生めよ増やせよ!」だとか。馬鹿しても身分保障の完璧な畜生は偉い偉いと怖いもの知らずでのさばっておるのだ!!!。

                     浮き世さえ涙累々の砂漠なり

林接した水辺の創出 5(漏水孔を潰す)

2019-05-19 | 水辺環境の保全
 堤の法面をすべて叩き板で固めるのは根気がいる。池は掘ったものの壁となる面には横穴が多数見えている。棒を差し込めば奥行きがあるから湛水できる前に漏水していくだろう。この顕在化した漏水予備孔を潰しておかないと堤を固め護岸木を敷設してから漏水では踏んだり蹴ったりだ。
                 

 堤に法面を仕上げる前に穴を潰す作業を行った。杭棒の先端に土塊を当て掛矢で打ち込み穴に土を充填しておき、さらに大きい土塊をあてがって掛矢で叩き潰して固めた。この上から法面となる土を重ね叩き板で更に固着させる。
 この日の午前中はこの漏水孔を潰す作業で終わったようなものである。池の堤は全周仕上がってはいないものの池の雰囲気だけは感じられるようになってきた。もう数日骨折りしなければならない。

出来た事にするマリオネット「リトルミイ」15 (山がミイを呼んでいる)

2019-05-18 | 何よりの楽しみ
 改良版として2作目、ようやく「完成だろう」までこぎつけた。どんな玩具制作でも同じなのだが出来上がって最初の試しは少なからず心躍るものがある。子ども時代、玩具など家に無く日々の遊びの中で作っていくしかなかった環境では異年齢集団での餓鬼大将・外遊びが当然の帰結か…。玩具に飢えた記憶が今になって奔らせる。

 小学生の頃だろうが、玩具屋を営んでいた母の妹の葬儀の後に母の姉妹が実家に立ち寄りお土産の玩具を分けていた事があった。その中に赤いラッパがあったのだが小生はとても欲しくて欲しくて固唾をのんで見守っていた記憶が今でも鮮明にある。勿論、野山でラッパを吹きたかったのだが、近ごろはTVでラッパーが吹く。
 結局は母の取り分の中に入ってこなかったラッパであるけれど、あの時の残念な気持ちは忘れてはいない。丁度ソ連がライカ犬を打ち上げた頃で、従妹あてに一度だけ年賀はがきを出した覚えがあって、葬儀の翌年あたりなのだろうけれど母に促されての年賀はがきで「ラッパを貰えなかったのに・・・」と理不尽に思ったものだ。

 さて工作の方はと言うと途中で操作盤の握り手をピストル型から中央部での握り棒式に変更した。その理由は重心が握りの部分より外れているから持ち重りがする。短時間の操作なら問題ないけれど子どもにはちときつい。そこで支えるに楽な重心近くに握り棒を付け替えたけれど、これに依って握っている手の親指で頭部レバーの操作が難しくなって操作は右手に委ねられる事になる。

 糸で繋げて試し操作をする。やはり問題が出てくる。脚の糸が顔前を通るので見る方はうっとおしく感じるだろう。ここは操作盤で左右の間隔を取るべきだった。一般的な操作木は左右の距離を広く取っている。自作して初めて納得した。

 「新機軸」あるいは「特許」にも相当するかと思えた腕の操作機構だが、これも見掛け倒しに終わった。上下の動きは問題が無くても左右の動きに反映がほとんどない。棒状の剛体で接続してあるなら遊びが無いのでダイレクトに伝わるだろうが所詮、糸のような伸びる素材では操作盤上の動きが腕へ同じベクトルとして伝わらない。

 頭部の動きは傾けるのはスムーズだったが左右への振り向きは胴体が付いてくるから動きとして現れない。これも見掛け倒しだった。
 しかしながら2体制作して動かしてみると操り人形を操る奥深さみたいなものが何となく分かる。結構リアルだし操作盤あるいは操作木であったとしても、ランダムな動かし方で人形も思わぬ姿勢と動きを表現してくれる。これでは子どもたちにとっては術中にはまってしまうだろう。

   ピストル型から握り棒式に変更        二体目のリトルミイ

 まあ、欲を言えば直したいところはあるけれど「遙かなる山の呼び声」が空耳でも聞こえてくる若葉萌え出づる頃では蟄居工作で遊んでもいられない。「山がミイを呼んでいる」と言えば「ジイを呼んでいる」とチャチャも聞こえてくる。今季こそは水源地の谷止工を終わらせたい。


**泥中除草

2019-05-17 | 水辺環境の保全
        池の草這い抜きとればあの頃の除草の手練腕に再び

        泥底を掻きつつ根株引き抜けば指にも目あり掌にも

        泥中のイバラの棘の一刺しに菌を恐れて帰るあぜ道

        沼草を抜き捨つ我に次々と泥跳ね憑りつく汗は滴る

隣接した水辺の創出 4 (池部の掘り下げ)

2019-05-17 | 水辺環境の保全
 オニヤンマのパトロールが見られる水路を安定させたいのが第一義で、その脇の草地は氾濫部でもあるので池を創出し水辺環境を増やしたいがそもそもの動機だ。
 水路の護岸と堤の掘り下げが同時進行出来るのは、ひとえに会友Yさんが助っ人をしてくれたからである。小生が水路の護岸や堤を設えている間に池の大部分を掘り取ってくれた。小生より小柄でも持久力はある。

 池の広さは最初に丸太を置き大まかな目印として掘り下げてみたが「せっかく掘るのだから…」と何時もの欲望が頭をもたげ畳一枚分大の追加拡幅となった。こう言う場合スイカは全く役に立たない。
 Yさんが掘り取った後なので小生が拡幅したけれど、小生はこの部分と水路の堤にする用土を掘った場所程度しか掘削をせずに終わった。まあ、大助かりなのだったが作業は終わった訳では無く整地・突き固め・導水管の設置・漏水の確認・護岸木の敷設とまだまだ作業は目白押しである。

 そんな塩梅でようやく池の掘り下げが終わった。まだ予定の水位面に対して水底面が決まっておらず、水準測量を基に想定水面から水深を決める水底位置を削りだしたいが、その前に堤となる部分の法面を固め漏水防止の算段が必要だ。水準の決め出しはYさんがレーザー水準器を用いて印してくれた。今までは目分量での設えで、修正は湛水してから行っていたので省力化なるかどうか・・・。

 掘り上げた ➡  水準指標を置く      蝉の幼虫が幾匹も出た


今日のとんぼ「今季、初観測でも分からん…」

2019-05-16 | 小父のお隣さん
 そろそろショウジョウトンボも見ても良い頃だと思いつつ水見回り。カサスゲを分けて進むとシオカラトンボの羽化体が次々と初飛行していく。トンボもそうだろうけれど小生だってびっくりする。決して小心者ではないものの出現には焦心がある。

 そしてようやく「ショウジョウトンボ出たか!」と一匹を見出したのだが「少々違うのではないか」とも思ったのだ。腹部中央に線が明確では無かった。若い個体だからとも思いつつ翅の基の色も薄い。翅全体も薄橙色に見えているし、のっけからボケ状態だ。
 まさかムギワラトンボとも思えないし、まっこと通常生息種でも分からんものは分からん。

          腹部中央に線が見えない    O池の個体は線も翅の基色も鮮明

「おお!」もあれば「うわっ!」もある

2019-05-16 | 小父のお隣さん
 水見回りや作業中、偶然だけれど足を止めたり手を止めたりする事はままあるのだ。世間様から見なくても主観的にも大した事象では決してないのだが、それはそれ主観であるから何に気を取られようと自分にも世間様にも頭を垂れなければならない事もなく恥ずかしい事でもない。
 それはひとえに加齢に由る感情失禁の出現しやすさなのであろう。まあ、あちこち緩んでくるのは致し方ない事象、いいえ爺症であるか・・・。

 水見回りの途上、シェルター水路の堤にイモリを見た。既に絶命をしていたが背中に傷口が開いている。眼球も白濁していたが体表面の艶やかさは失われてはいなかった。前の日には無かったからそれほどの時間は経過していないだろう。
 気を止めたのは「捕食者の仕業」と思ったのだが食べずに去った事と白濁した眼球の理由である。それがどうしたと言われれば脳内白濁間違いないけれど、365連休の御身分様には格好の「ちょっと一杯」ならぬ「ちょっと一枚」なのだ。

 一方は気持ちよく魅入ってしまう対象で、この日も池の胴突き中に手を止めた。盛り上げた土の上にニホンアカガエルが飛び乗ってきたからだ。土を盛り上げた向こうはヤナギの林で林床は草深い。ここを通るとニホンアカガエルに遭遇するのは珍しくもないものの、隠すものもない高みに鎮座するなど滅多には見れない行動であった。
 それだけでなく体表面の模様と色調が見慣れている個体の色調より鮮やかで美しかったのだ。「来てー来てーサンタモニカ!」なんて歌詞があったが、さながら「見てーみてーさんざモニター!」と無言で言っているように動かなかった。
 掘られた池の底にいて上面からの位置で撮影しなかったのが悔やまれる。写真では判り難いが「美しい」個体だった。お爺はどだい打つ苦しい胴突き作業頑張ろう!。

今日のとんぼ「キイトトンボ出た!」

2019-05-15 | 小父のお隣さん
 水見回りの途中、泥水池2にカルガモのペアがいて回れず踵を返し棚田に上がる途中でキイイトトンボを見つけた。今季初観測である。
 これでイトトンボ類はクロイトトンボとキイイトトンボ、アジアイトトンボの三種が現れた事になる。

 ちなみに今季、今まで観測されたのは上記の三種以外にクロスジギンヤンマ、シオヤトンボ、シオカラトンボの六種類になった。ダビドサナエは下手のO川辺りには出現したのだが小生は見る事叶わなかった。イソップ風に言えば「どうせあっちには行ってないもん…」

にっくきはダンゴムシ!?・・・

2019-05-15 | 小人閑居して憮然
 油断も隙もあったもんじゃあない!と憮然としたところで油断も隙もあったのである。三月末に吸水させたキッチンペーパーの上で発芽しやすいように吸水させ発芽まで管理しポットに植えるはずだったキジョランの種子。半月経過しても吸水し膨らまず業を煮やしてポットに播種した。
 その後、兄も種子が欲しいと言うので「吸水播種」を伝えて送ったのだが、そっちは程なく発芽したとの電話である。何たる不条理、もう闇の世界だ鬼女の呪いだ。

 キジョランの播種はたびたび行っていて吸水発芽は一回とてうまくいったこともなく、播種してからも発芽する頃は忘れた頃ばかりだった。「キジョランの発芽は時間がかかる」のが小生の経験値で、この顛末をS先生にお話ししたところ意外な表情だった。やはりこれは小生とキジョランの間に鬼女の乱があるのだろうと言わねばならない。

 もうてなもんや三度笠で、五月も中旬になりポットに双葉が頭をもたげてくるのが見えた。「あら嬉や、天地神明我を忘れず」と三拝四拝、五体投地までは当地わが庭でしなかったものの安堵したのであった。
 ところがギッチョンチョン、数日後には発芽した先端が無い。数ある苗ではないから慌てて浸透移行性の殺虫剤を振りかけた。キジョランなどガガイモ科の植物は「有毒」という理解があるから油断も隙もあったのである。

 早い1本は食害されたが、その後発芽した分は安全と思っていたのに今朝は2本が新たに食い尽くされている。「にっくきナメクジ退治してくれよう!」とばかり更に殺虫剤を追加したのだが、どうも犯人はダンゴムシのようだった。まあ、どちらでもよい退治してやる。
 こういう場合、退治より郷里の方言で「シュウブしてやる」とかいう言い方がしっくりするのだが正しい発音が出てこない。辞書にも載っていなくて「退治」を用いたが、これで更なる葛藤と対峙せねばならなかった。ホント、踏んだり蹴ったり怒りの業である。
 もう薬だけに頼れず縁台上に上げた。双葉を失った苗は復活できないだろうけれど、取り合えず維持したままにする。何と言おうと、正真正銘フイールドで小生が採集した初の種子なのだ。

              食害部       健全は二鉢

カイゼンだべマリオネット「リトルミイ」14 (操作盤の改良)

2019-05-14 | 何よりの楽しみ
 人形本体二作目は完成した。残りの操作盤も多少の改良が必要なのだが、人形の腕の可動性が良くなったので、この動きを操作盤で表現するにはちと工夫がいる。

 操作盤の基本形状は試作品に同じだ。飛行機の翼に見える頭部の操作部は二軸式で頭部を傾げる量を決めるストッパー形状は最初から切り出せたので出来上がり感は向上した。プロペラ風に見える先頭のレバーは脚の操作レバーである。
 試作品も同じなのだがコンセプトは「両手同士、両脚同士の共調運動と単独操作」だ。

 大きく構造変更を行ったのは腕の操作部で、これは肘関節を増やした事での可動性を活かせるだろうと工夫した「両腕共調機構」だ。
 最初は加工が面倒なので歯車式を止め写真左端のようにプーリーをたすき掛けで連結し共調運動を出そうとしたのだが輪ゴムをベルト代わりに使ってみたら駆動させるプーリーより追従するプーリーが輪ゴムの弾力で遅れてしまう。これでは「共調運動」はおろか動かすたびに両腕の位置がずれて使い物にならなかった。
 結局、歯車式に変更したのだが、パーツは二枚とも同じ形にして、これも失敗。歯車は噛みあってこそ動くので同じパーツだと歯一枚分だけ左右のずれが生じてしまう。切り出して初めて、この当たり前の道理を思い知らされた。
 そこで新たにパーツ1枚を写真中央の様に作りなおした。歯車は半ピッチだけずらした設計で一件落着である。右の青いパーツは下敷きから切り出した安全カバーで、歯車の噛みあう部分を覆って指の挟み込みを防止するためである。

 出来上がった全てのパーツを搭載した2作目改良型の操作盤、試作品より脚の操作レバー位置は前に出ている。こうしないと脚の釣り糸に手先が接触して操作に支障をきたすからだ。後は糸でつないで試し操作をするだけ。

林接した水辺の創出 3 (流路の保全と堤)

2019-05-14 | 水辺環境の保全
 水辺創出の発端は「オニヤンマのテリトリーとなる流路の保全」だった。加えて水域と湛水量の拡大が送水に頼っている状況下では危機管理上、必要だと考えたからでもある。
 この流路の氾濫原は笹原で、すぐ脇はヤナギの林が続く。この氾濫原に池を設えれば林内環境を好むトンボを呼び込めるかもしれないとの皮算用があるのだ。

 護岸用の丸太を調達する時から作業は始まったものの、その時のプランは流路と池を一体にしての量的拡大だった。資材を用意し護岸部に仮置きしながら確認している過程で「流路は流路で、池は池で独立」が最適の様に思えてきた。池と流路を一体にすると流路の環境が半減してしまうのである。
 これでは流路の保全にはならない。短い流路なだけに100%維持する事が部分最適化と言うものだろう。急ぐ作業でも無いから、度々中断しては頭上のオオルリ様のお告げを聞いて出した確定結論だある。まあ、現実には「孤独主演」の立場なのでどうしようとも構わないのであるものの独断専行の理想形はあるのだ。

 流路となる部分は現行よりやや広めに護岸丸太を敷いた。堤に盛り土はするが出水時に越流しない規模は必要であろう。流路下流部にも2mばかり護岸と盛り土が必要な個所があり、ここにも丸太を敷いて杭で固定し、とりあえずの流路は見えてきた。
 堤となる盛り土は池を掘り下げた土を盛るから池の全貌が見えてこないと堤の全貌は現れては来ない。

   右が流路 ➡  胴突きで固める       下手流路の護岸