今日、東京の靖国神社のメイヨシノが開花しました。昨年より15日、平年より10日早く、1953年の観測開始以来、2002年と並び最も早い開花となっています。13日に福岡と宮崎に桜前線が上陸し、その後は大分や鹿児島、高知と相次ぎ開花、今日は東京、長崎、熊本で開花宣言がありました。今年は例年になく春の訪れが急ピッチです。
明日は彼岸の入りです。ソメイヨシノが開花してから彼岸の入りといってもピンときませんが、墓参り客で混雑する前に上川霊園まで行き先祖の霊を供養してきました。両親と待ち合わせ、実家へ送っていく帰り、先週に続いて信松院を訪れてみました。3月9日に本ブログで紹介した満開の枝垂れ梅はほとんど散り去り、代わって河津桜がちょうど満開でした。

境内の河津桜です。僅か一週間で満開になりました。

駐車場前から見た観音堂と河津桜。駐車場も満開で、道路の両側がピンク色に染まっています。

お彼岸が近いということもあり、観音堂裏手の墓地にたたずむ「松姫尼公墓」を訪ねてみました。大きな松の木の横にお墓があり、お墓の屋根には武田氏の四つ割菱(武田菱)が輝いています。

墓地の近くに、松姫についての説明板があります。松姫は武田信玄の娘です。織田信長の長男信忠と婚約したものの、武田・織田両家が不和によりその約束は果されず、武田氏滅亡後に武蔵へ逃れてきました。恩方の心源院で出家して信松尼と称し、この地に庵を建て信松院を開基したのです。

台座の上に卵形の塔身がのせられた墓石は卵塔と呼ばれるそうです。別名は無縫塔。塔婆の頭にある「大圓鏡智」は、先祖のお墓の塔婆でも見かけました。実家も信松院も曹洞宗です。優れた鏡のようにすべてを映しだすという意味のようです。

最後に訪れた穴守稲荷神社です。神仏習合の名残です。
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明日は彼岸の入りです。ソメイヨシノが開花してから彼岸の入りといってもピンときませんが、墓参り客で混雑する前に上川霊園まで行き先祖の霊を供養してきました。両親と待ち合わせ、実家へ送っていく帰り、先週に続いて信松院を訪れてみました。3月9日に本ブログで紹介した満開の枝垂れ梅はほとんど散り去り、代わって河津桜がちょうど満開でした。

境内の河津桜です。僅か一週間で満開になりました。

駐車場前から見た観音堂と河津桜。駐車場も満開で、道路の両側がピンク色に染まっています。

お彼岸が近いということもあり、観音堂裏手の墓地にたたずむ「松姫尼公墓」を訪ねてみました。大きな松の木の横にお墓があり、お墓の屋根には武田氏の四つ割菱(武田菱)が輝いています。

墓地の近くに、松姫についての説明板があります。松姫は武田信玄の娘です。織田信長の長男信忠と婚約したものの、武田・織田両家が不和によりその約束は果されず、武田氏滅亡後に武蔵へ逃れてきました。恩方の心源院で出家して信松尼と称し、この地に庵を建て信松院を開基したのです。

台座の上に卵形の塔身がのせられた墓石は卵塔と呼ばれるそうです。別名は無縫塔。塔婆の頭にある「大圓鏡智」は、先祖のお墓の塔婆でも見かけました。実家も信松院も曹洞宗です。優れた鏡のようにすべてを映しだすという意味のようです。

最後に訪れた穴守稲荷神社です。神仏習合の名残です。
