別所温泉から、上田城址へ。
ナビに従って車で行くのですが、比較的近いところです。
上田城址といえば、真田のお城。
真田幸村の父、昌幸が築城した城ですね。
「真田丸」が放映されたときは、かなりにぎわったと思います。
ミーハーな私も、当時に行きたかったです・・・
徳川軍を二度も撃退したといわれる難攻不落の城。
関ヶ原の合戦後破却され、仙石氏が城主の時代に再建されて、
7基の櫓(やぐら)と2基の櫓門が建てられたとか。
明治維新後、西櫓1基を残してそのほかの櫓・櫓門は取り払われたそうです。
城外に移築されていた2基の櫓は後に買い戻され、
現在の南櫓・北櫓は、昭和に再移築されたものだそうです。
東虎口櫓門は、平成6年に復元されたもの。
左に見えるのが南櫓。右側に北櫓があり、それらをつなぐ楼門の上とが、
見学できるようになっていました。
櫓門の手前右側にある石垣に、ひときわ大きな石があり、
これが真田石。 (この上に、北櫓があります)
正面から見ると、かなり大きいです。
高さ約2.5m・幅約3m。。
幸村の兄・真田信之(信幸)が松代城移封にあたり、
父・真田昌幸の形見として持っていこうとしたところ、
微動だにしなかったという言い伝えが残っているそうです。
櫓門をくぐると、正面にあるのが真田神社。
真田氏、仙石氏、松平氏と、歴代の上田城主がご祭神。
御朱印長を持っていくのを忘れたので、書いたものをいただきました。
いろいろなパターンが用意されてたけど、人気あるんかな。
当時のまま現存する西櫓。
移築、復元された南櫓の中に入ってみました。
窓に五円玉が!
真田の旗印、六文銭をもじってますよね。
窓の外は、かつて千曲川支流がお堀の体をなしていた天ヶ淵。
今は駐車場になってます。ブラタモリでやってましたよね~
西櫓越しに見た天ヶ淵。
下から見たかったけど・・・もう、暑くて挫折(汗)
なので、このまま、次の目的地長野市へ。
続きは、また次回・・・
ナビに従って車で行くのですが、比較的近いところです。
上田城址といえば、真田のお城。
真田幸村の父、昌幸が築城した城ですね。
「真田丸」が放映されたときは、かなりにぎわったと思います。
ミーハーな私も、当時に行きたかったです・・・
徳川軍を二度も撃退したといわれる難攻不落の城。
関ヶ原の合戦後破却され、仙石氏が城主の時代に再建されて、
7基の櫓(やぐら)と2基の櫓門が建てられたとか。
明治維新後、西櫓1基を残してそのほかの櫓・櫓門は取り払われたそうです。
城外に移築されていた2基の櫓は後に買い戻され、
現在の南櫓・北櫓は、昭和に再移築されたものだそうです。
東虎口櫓門は、平成6年に復元されたもの。
左に見えるのが南櫓。右側に北櫓があり、それらをつなぐ楼門の上とが、
見学できるようになっていました。
櫓門の手前右側にある石垣に、ひときわ大きな石があり、
これが真田石。 (この上に、北櫓があります)
正面から見ると、かなり大きいです。
高さ約2.5m・幅約3m。。
幸村の兄・真田信之(信幸)が松代城移封にあたり、
父・真田昌幸の形見として持っていこうとしたところ、
微動だにしなかったという言い伝えが残っているそうです。
櫓門をくぐると、正面にあるのが真田神社。
真田氏、仙石氏、松平氏と、歴代の上田城主がご祭神。
御朱印長を持っていくのを忘れたので、書いたものをいただきました。
いろいろなパターンが用意されてたけど、人気あるんかな。
当時のまま現存する西櫓。
移築、復元された南櫓の中に入ってみました。
窓に五円玉が!
真田の旗印、六文銭をもじってますよね。
窓の外は、かつて千曲川支流がお堀の体をなしていた天ヶ淵。
今は駐車場になってます。ブラタモリでやってましたよね~
西櫓越しに見た天ヶ淵。
下から見たかったけど・・・もう、暑くて挫折(汗)
なので、このまま、次の目的地長野市へ。
続きは、また次回・・・
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