ヤポネシアンレゲェ

新しい日常を追い求めるギター弾きホワイト教授のゆるゆる人生散歩日記。目指すは架空のリゾートミュージックアイランド。

建築の日本展

2018-07-31 12:18:00 | 東京フラッシュバック
思えば、高度経済成長期の子供時代に、テレビ、レコード、本、ラジオ、映画などから20世紀カルチャーを浴び、20代にバブルの都会を過ごしたワタシにとって、
東京と言えば西新宿の高層ビルが都会の象徴で、小学校の時家族旅行で登った京王プラザホテル(47階)が当時一番高いビルだった。

今回、六本木の森ビルから眺めた西新宿はなんだか小さく感じ、逆の海側にこんなにたくさんの高層ビルがいつの間に建ったのかと、驚かされた。
いつまで、この東京という町は地方や遅れをとった外国を食い潰して変貌していくんだろうか?





奇想の建築「会津さざえ堂」


丹下健三の自宅


古代の出雲大社の48メートルはあったと言われる木造建築

などを、巨大模型で展示してある上、
千利休作の茶室、国宝《待庵》を原寸で再現していて、実際に入れると聞いて、
小屋好きとしては要チェック、
水曜日のカンパネラsen no rikyuを聞きながら向かった六本木は森美術館。

夏休みで家族連れから外国人観光客で賑わう六本木ヒルズ。
森ビルの最上階へ。

隣では、少年ジャンプ展やっていて大盛況。
少年時代読んでたけど、もはやこち亀以外は興味ない。ワタシとは無縁のオタク文化。世界中へ叫びたい、もっと他に面白いものありますよ!


建築展の方もヒトは多いが、なんだかインテリジェンスな空気。


あまり時間もないので、さっさっと見流して、お目当ての待庵へ。

淀川の屋形船からヒントを得たと言われるにじり口。
窓は、土壁を塗り残して出来るという斬新なもの。どこでも、マドーだ!


たった2畳が、広く感じる、、、
無駄をそぎおとした中に見出だす素朴な美。

なるほど、隅の柱を壁で隠すと何となく広く見える。
向こう側が茶室、こちらは控え室か?


こういった日本の美学を、ジャンプ展に来てる外人さんは分かるのかな?














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上京物語part.3浅草観光

2018-01-12 14:18:00 | 東京フラッシュバック
正月初笑いといえば、寅さん映画を満員の熱気ある映画館で観るのが結構楽しかったんだけど、
もうそんなの昔の話

せっかく正月を、内地の都会で過ごすってんで、浅草『寄席』見物で初笑い


予想はしていたけど、半端ない人出
ランチは、老舗名店の類いでもなく、昨日今日出来たようなお店でも、どこも行列!
なわけで、デパ地下で、カツサンドやお稲荷さんを仕入れて浅草六区へ

入ったのは、元ストリップ小屋、ビートたけしが売れない頃活動していたフランス座
今は、東洋館
ここは通常昼のみの公演。1時過ぎ開演を過ぎているが、まだ席はありそう
普段は2,500円のところ、正月料金3,000円



漫才がメインだが、針がねでいろんなもの作ったり、緻密な切り絵など、色物が充実
まったく飽きさせない

ロック好きにも多い、落語も良いけど
儚いもの、消え行くもの、路地裏に咲く雑草の花のような者たちの哀愁がたまらん。

ここは、売れない芸人、既得権に守られた奴等から弾き飛ばされた者、才能あっても不器用な者たちが、、、どっこい生きているのを感じられる聖地
バブルな東京、正月で浮かれた東京のいっかくでは、このように日々を淡々と過ごしている表現者たちがいる
もちろん、各々浮き沈みや華やかなときまもあったかもしれないが、連日公演の行われるここでは、毎回が日常


トイレのタイルが妙に素敵すぎ



フランス座おみくじ付き羊羮
羊羮を取り出すと、ケースの裏に
中吉🎵



夜の浅草は、空いていて浅草寺のライトアップ、夜の遊園地やスカイツリーの眺め等々情緒たっぷり
ただ、一人で入るような飲食店が今一ない

街中の銭湯、蛇骨湯であたたまり、アーケード下の昔から知ってる中華屋を探すが無くなっていた

この辺では一人でも入りやすい、捕鯨船へ

そういえば、ここもビートたけし御用達店
煮込み以外の鯨料理のメニューはいきなり高額
売れない芸人が頻繁に通える場所とも思えない

しかし、カウンターだけの店内は、中々楽しかった~









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上京物語part.2デザイン銭湯にブックゲストハウス

2018-01-10 05:49:00 | 東京フラッシュバック
今回宿は、airbnbで中央線吉祥寺~中野
辺り探したけど、やはり良い所はなく、いつもの高円寺宿泊場で

バス一本で美術館のようなデザイン温泉銭湯
久松湯


有名な建築家が建てたのか?だが勿論、銭湯価格



ランチは新宿西口ハイチのドライカレー
懐かしの地下の店舗はもうない
しかし、調度品など当時の雰囲気のまま




最終日は寄席を楽しもうかと思いまして、浅草へ
book and bed tokyoへチェックイン



ゲストハウス乱立気味の浅草で、最安のドミトリーで6,000円と高額だったし、本の揃えはビレッジバンガード並で平凡だったけど、泊まれる隠れ家カフェみたいで、流行っている理由はなんだか分かった

入り口が重圧感あり、玄関では監禁されたかの錯覚を覚える仕組みは、部外者完全入場お断りという安心感に繋がる。
スタッフも、節度ある友達的な対応で好感度大


この穴蔵の外は、即お洒落空間なのでうかつにパジャマ姿では出られない

ここへ、かがんで出入りする格好がどうもダサい気がする

『ベッド出口の書棚を、ベレー帽丸目がねのシャレオツ女子が眺めているかもしれない』
スマートに座った格好で出ようと試み「君たちはどう生きるか」
の所に頭ぶつけること三回



都内の女の子が、いつもと違った週末を過ごすにはいいかもしれない

出歩く旅行者にとっては無駄な出費だ

が、人と話さなくてよいゲストハウスとして、ある意味価値はあるのかも
ヒトと話さなくても、ヒトが居る気配を欲するのが今時の感覚の一つなんだろう



うちの宿も、四部屋の個室だけど他人の気配を完全には消さない工夫でデザインしている

プライバシーは、そこそこ保護

共有の広いリビングや縁側でゆっくりするもよし、小屋の屋根付きウッドデッキで読書したりお星さま眺めたり、裏の眺めの良いツリーハウスor物見台(製作予定)に登ってヤッホーするもよし
 
海まで車で5分












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上京物語part.1小さい沖縄みーつけた

2018-01-09 07:58:00 | 東京フラッシュバック
毎日がハードワーク、アハードデイズナイト、
毎日のように寝ションベンの布団一式始末、朝起きない、ウンコ拭けない、ぱんつはけない、学校行かない、等々の困難、掃除洗濯家事親爺

息つく暇もない御年玉として与えられた、
4日ほどの休日

上京してきました
 
とは言っても、どうしてもメインはインテリア関係からアンティーク店を回ることに

今回は、丁度大井競馬場で大型フリーマーケットがあったので行ってみた
何故か、ここへ来て沖縄感(駅降りた辺りからも)を感じるが、掘り出し物目指してチェック、チェック

ほとんどつまらないモノばかりだかが、潰れた金物屋の商品を並べるブースがあり、真鍮の蝶番三個で2,500円のモノをめでたく300円でゲット


あと、印象に残ったことは、

名古屋モザイクのショールーム行ったけど、殆ど放置状態で無駄足
平田タイルの方は、インテリアやカラーコーディネートに自信のありそうな店員?ショールーム嬢?に色々、相談所アドバイスも貰えて、収穫あり

sampleも、沖縄から来たと言うと郵送してくれるって

シャワー棟の内装は、平田に採用決定だ!


沖縄のお店ではまずあり得ないこの感覚。
そういえば、これ普通だよな~

自分の働いている店の商品に興味もって誠意を持って接客するってこと

島じゃ、そんな事より子供に飴くれたり馴染みの客とユンタクしたりだから


あと、中目黒で携帯電池切れて目的地のカセットテープ専門のSHOPの名前も場所も分からなくなった
目黒川周辺は、代官山、恵比須から徒歩圏内のお洒落SHOP街

シャレオツdiy雑貨のgallaupで、若い女子店員に
「知らんかね」
と尋ねるが、
なんだか笑って
「分からない」
と、済まされた。

ほれ、そのカウンターのPCで、カセット 中目黒 と入力すれば必ずや情報がトップにあがるがね

あああ、
ここにも小さい沖縄発見~
静電気が嫌な感じの内地の冬だが、一瞬空気がどんより湿気を帯びた気がした

いや、もしや「カセット」という未知の言葉に恐れをなしたのか?
日本国籍でなかったのか?
原因は不明


先に進んで、目黒川沿いの今時のセレクト古書店、
ハードカバーが2,000~3,000円と強気だ。
伊丹十三のエッセー等、文庫で読めるけど宿に置くにはやっぱ装丁も楽しいハードカバーだ。
色川武大や車谷長吉さんの本も、東京出るとき二束三文で売ったけど、持っとけば好かったな。

ここで聞けば、さすがにインテリジェンスな対応、もしくはSHOPカードでも即出てくるかも
と思ったが、携帯が奇跡的に復活。普通に検索できた。


カフェのようなSHOPの中では普通にダサい系の洋楽がABC順に並んでいた
しかも、ここもその辺のリサイクルSHOPで50円で売ってそうなものが、2,000円代という強気な価格帯
他にアナログ盤やラジカセ本体もあった

那覇の浮き島通りで、資金もなくすぐ開業出来そうな商売
でも絶対成り立たないだう
いや、中央線沿線でもマドンナのカセットを2,000円で買うヒトがいるとは思えない
東京は、スポット的にバブルなのか



 













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バンコクナイツ、オキナワナイツ

2017-06-15 03:17:00 | 東京フラッシュバック
梅雨も後半の沖縄

本日、どしゃ降り。

このバケツをひっくり返したような大雨と台風の凄さは、現地で経験したことないと中々伝わらない。



車で行くと、本部半島の山の道は、あちこちがけ崩れや、倒れた木の枝で危険注意報。

道路の脇の側溝のからは、噴水のように雨水が吹き上がる。

川はまっ茶色、で今にもあふれて流れ出そう。

土木工事の質の悪さゆえか、ちゃんとした道路も水溜りがあちらこちらにあって、急に水しぶきを上げて川を横切るようなことになってしまう。

夜もカミナリ、ゴーロゴロ!
フラッシュライトがピカピカ!!


こんな日は、
フルボリュームで
V.U.の「ホワイトライト、ホワイトヒート」

田舎の山の中の生活で腐って来た脳味噌に、歪んだ音の注射液を打ち込むと、正に東京フラッシュバック。

パラダイスでも夢でもない現実のオキナワからしばし逃避行。


唾をはいては歩いた、夜の街、、、


踏み切りと、電車がうるさい酒場、、、


半年でワタシは止めました、と見せられた腕の血管の注射針の跡、、、




シスターレイが始まると、それまでの全ての曲が、この17分にもおよぶ楽曲の前奏であることに気づく。


そういえば、映画「バンコクナイツ」のサントラのために結成された、
Suri Yamuhi And The Babylon Bandに参加しているベーシストのN野氏、

「どの曲も、俺が弾くとシスターレイになる」

って、言ってたな。

さすが、、、



西荻ロック物語 

2014-07-04 07:44:43 | 東京フラッシュバック

9・11テロが起きた頃(2001年)、いや2000年問題が空振りになった頃だったろうか、西荻に永遠の美少年・我らのアイドルが引っ越してきた。

人があまりに多すぎて出会うべく人と出会いにくいと言われる広い東京でも、歳や嗜好が近い彼とはいつの間にか知り合いになり、みんなで近所の公園で花見をしたりするようになりました。

ある日、何かの打ち上げの後であったろうか、彼を含むここいらで最強の泥酔野郎たちがウチの狭いアパートにやってきた。私がショボいミニコンポでサージェントペッパーズをかけると、黒グラサンの男がレコードに合わせて大声で歌いだした。

午前3時のロックンロール。

窓開けっ放しのアパートからその爆音は西荻中に鳴り響く。

後でこの黒グラサンの男は金子さんという、その道では有名な人だと判明。東京には、その道では有名な人がいっぱいいます。ワイルドサイドを歩くアンダーグラウンド人材の宝庫。人生を棒に振って野垂れ死ぬ覚悟の出来てる奴ら。凡庸な自分から見たら、憧れのアウトサイダーの星屑たちがキラキラまぶしくて仕方がありません。


朝まで呑んだあと、彼とグラサン男はさらにビールを求め2日目の飲みに入ると言う強靭ぶり。どこへ行けば朝でも呑めるかを検討中の彼らを見送った後、私はというと、人生を音楽にかけている彼らとの違いを感じながらトボトボと出勤の準備。もはや同じところに住んでいても、住む世界が違うかのように思いました。

1970年代後半から吉祥寺マイナーを拠点に灰野さんの不失者と共にアンダーグラウンド・ロックの暗黒の闇を蠢いてきたバンド、光束夜のギタリスト/ヴォーカリスト金子寿徳氏・そのグラサン男も2007年に永眠。

 

2011年の夏、東京を脱出して以来2度目の上京をします。そして今回は7月6日の午後、西荻のリンキーで「the special view」公開リハーサル大会やります。ドラマーは秋田から、バイオリンも入ります。スカルボ、カピパラスもいっしょです。

東高円寺UFOクラブで「しびれっぱなし」という企画タイトルで、彼のバンドと一緒にライブをやるようになりました。我がスペシャルビュー、朋友がドラムを勤めるピーフラン、そしてジャパニーズサイケデリック美少年ロックの最高峰・割礼。西荻では、まだまだ多くの才能を目にすることに、次回へ続く、、、

 


ロックンロール人生

2014-03-12 15:56:12 | 東京フラッシュバック

まったくもって残念。
吉祥寺のバウスシアターが、5月で閉館。
およそ30年。ワタシの東京人生とほぼ同時に始まり、同時にバイバイするんですね。

80年代のニューウエーブなライブイベントから、マイナーな映画、爆音レイトショーなど、バウスは同世代進行形でもあり、まことにもってありがたい劇場でした。
バウスでちょっと気分良くなって、帰りに酔舎というロックバーへ寄って、混雑する駅へは行かず井の頭通りから住宅街を迷いながらテクテク西荻まで帰るのがちょっとした楽しみでした。

何の映画を観るかはさほど重要でなく、どこを散歩して、どこの映画館へ行って、どこに寄り道して帰るかが大事。そのときの風景や空気を思い出すと、なんとなく観た映画を思い出すくらいで良いかと、、、誰と行ったかは不必要、だって映画は一人で観るもんです。


ところで、吉祥寺と言えば70年代末、ジャズ喫茶の吉祥寺マイナーを無理矢理ライブハウスにしたり、パンクフィルム上映会で壇上の音楽評論家渋谷陽一の頭にビールをかけたりしたと言われる、最凶の酒乱・川田良(the fools他)さんが1月末に亡くなりました。まったく残念なバイバイです。

まだワタシが20代の若造だった頃、まだお洒落ショップも少なくアングラ文化を引きずるうらぶれた下北が好きで、よく飲みに行っていました。
ある夜、電車が通る度にゆれるようなボロくて薄暗いロック飲み屋で、ヴェルベットだのオンリーワンズだのの話をしてると、それまでうつむいていた“その後のニールヤング”みたいな強面の男が声を掛けてきました。
袖をまくり上げ、腕の注射の痕を見せ

「私は、半年で止めました」

「これのおかげで、女房に逃げられました」と、、、

上京したての頃は、下北近辺に住んでいましたが、その後中央線に引っ越してからは、あの辺の70年代から続くロック飲み屋へは行かなくなりました。

それからそれから、、、
2011年頃、aka-jamというトリオのジャムバンドのリーダー・アカさんを交えてセッションをやるようになり、原宿のように地方のティーンエイジャーが憧れる街に変身した下北に度々行くようになりました。時にはベース二台だったり、aka-jam+ワタシだったり。
夕方スタジオを出ると、時代から取り残されたような下北駅前市場の露天ロック飲み屋へ行って、一杯やるのが定番に。
そこで、店に借りていたらしいお金を返しに来ている男を見かけました。どう見ても朝からもしくは前日から飲み続けているかの泥酔ぶり。それが最後でした。

生きてるうちに一度でも、川田良がギターを弾く姿を見ておけば良かったと今更ながらyoutubeを見て思いました。
日本のパンク黎明期、オシャレな東京ロッカーズとはちびっと違い、村八分や頭脳警察からの流れを汲んだロックンロールの王道。酒とケンカと女が大好き(なはず)
Jungle's / Break Bottle(Dr.はaka-jam、The GOD etc...の清さん!)


歴史に残らない幻の迷バンド、その3

2013-10-27 15:27:33 | 東京フラッシュバック

スカルボのことを書こうと思ったけど。一時休止しただけで、また活動してるみたい。
って、わけで「歴史に残らない」なんていうと失礼だが、ちょっとだけ、、、
今後、このままま歴史に残らない可能性もあるからね。

リーダー(G&V)のM川氏とは、20代の頃から面識がありました。その後、人生の節目節目で偶然出会うことがあり、ソロやミルラ(スカルボ以前のバンド)を見にいったりしました。その後、第一期スカルボに自分はギターで参加することに。
この初期のメンバーが最高でした。みんな西荻在住のワケあり男子(男子と言うには年齢がいってるが)。リハの後はいつも、近所のジャズ処又右衛門で打ち上げ。オール350円と明朗会計の居心地の良い所で、侍の格好をした店主が時々店内で刀を研いだりしてるお店でした。

M川氏=スカルボの魅力は、ギリギリポップからはみ出しそうではみ出てない絶妙なコード進行と構成。甘い声だけど案外バカでかい声。ケビンエアーズ、シドバレット、ピーターペレットなどを思い出させるその立ち姿。
楽曲的には、ジョンレノンから、アレックスチルトン、ピンクフロイド、山口富士夫などの影響が強いと思われます。

そして何よりも、ギターの「出音の良さ」これが最高。
純粋に嫉妬心が湧くというか、身近にいたのに出音の出し方が気になって仕方ありませんでした。サムピックで強くはじくような奏法にフルテンのトーン。ポップな歌モノだけど音量の上がったギターがノイジーに響きます。


これは自分がギターで参加してた頃にもやってた曲。三人のほうが、まとまってよろしい。




とにかく東京というところは才能があふれるところでした。こんな口下手で、人付き合いが苦手なわたくしにも、素晴らしい才能との出会いや融合があったのも、東京という特殊な磁場があったからこそ。

さて来週の三連休、2年ぶりに人生の大半の30年過ごした東京へ行ってきます。何かしに行くんではなく、もはや墓参りがメインになりそうですが、、、


歴史に残らない幻の迷バンド、その2

2013-10-05 15:43:32 | 東京フラッシュバック

都会では、あちこちで山口富士夫追悼ライブなどやってるんだろうか、、、
日本不良ロックの最高傑作「ひまつぶし」が聞きたくて、部屋を探したけど持ってきてませんでした。まだほとんどの荷物が大阪にあるけど、「1年以上も使わないで平気なんだから全部捨てちまえ」なんて言わないで。そしてなんだか、ひつまぶしが激しく食べたくなったけど、沖縄では儚い夢。そんな特殊なものはともかく、こちらでは普通に食いたいけど食えないもの多し。安くて美味い鮨(しょっぱくないやつ)、なると巻きの入った普通の(東京)ラーメン、日本蕎麦、サクッとした天麩羅、水羊羹、、、


さて、ヴェガポップというバンドがありました。男臭さナシの3人(男)のボーカル含むギターと、女子っぽさナシのベース(女)とドラム(女)の5人で結成。

東京では、バブル世代であるにも関わらず、バブルの恩恵を受けることも無く、イカ天(いかすバンド天国)に出ることも無く、都内のライブハウス(主に下北~中央線)を拠点として、手書きのチラシを配りながら地味に音楽活動してました。ヴェガが結成されたのは90年代に入ってからですが、皆それぞれその前からバンド活動はしてました。私も自分がリーダーのバンドとの掛け持ち。
おそらくあの時代の東京の地下でしかありえなかった、ある意味素でおかしいというか、天然というか、個性ある才能が出会ったすばらしいバンドでした。懐かしき携帯もインターネットもない時代に、、、

そんな状況で出会った仲間でしたが、一人抜け(ワタシ)、二人抜け、最後は3人でしぶとく活動を続けていましたが、2002年あえなく解散。人数が減るにしたがって、バンドサウンドが重圧になっていき、最初はベガなポップだった楽曲は、最後はヴェルベットのホワイトライト/ホワイトヒート化していきました。


ゆらゆら帝国でおなじみの「キャプテントリップ」から数枚CDがリリースされていますが、今では何枚目まで自分が在籍したのか記憶がありません。ファーストアルバムには自作でボーカルも取ってる曲「乙女の気分ではじめよう」が入ってました。
レーベルでの売り文句:テレヴィジョン、フォール、レッド・クレイオラ等にピンと来た人はマスト。東京アンダーグラウンド・シーンが生んだヘソ曲がりロックン・ロール!...


ギターが3人ですが、なんとなく皆弾き方や下手さ加減が似ているので、どの音が自分のパートなのかわからなかったりします。右チャンネルで沖縄的なキラキラな音を出してるのが私。


歴史に残らない幻の迷バンド、その1

2013-09-22 10:56:52 | 東京フラッシュバック

その昔、ヴェガポップというバンドで一緒だった友人と、テニスコーツの前身バンド、プカプカブライアンズのジャケットなどを手がけた友人が一緒に来沖するので、どこへ連れて行こうかあれこれ考えています。
沖縄は初めての上、旅行も久しぶりのようなので、是非とも沖縄にハマッてもらい、濃厚なリピーターにおとしめようとたくらんでいるんです。シングルレコード編集のレアな沖縄民謡のCDRを送ったり、沖縄に住んでる人から見てもエキゾチックで魅惑的な外国人用の沖縄観光パンフを送付したりして。
でも先ずは、お天気しだいだね、、、不安定な今週じゃなくて、本当良かった。


さて、ワタシが過去に数々こなしたバンドのうち、もっとも短命に終わったけれど激しく刺激的なのが「セコハン娘」でした。
「第5回大佛次郎論壇賞」と「アジア・太平洋大賞」を受賞した「中村屋のボース―インド独立運動と近代日本のアジア主義」を編集者として世に送り出したことで、初めてちゃんと仕事やってる人なんだと認識したS山氏(Dr.)、一緒にヴェガポップというバンドをやっていたのに、建築の仕事をしてるとは最近まですっかり知らなかったI井氏(B.)とワタシ(G.)の3人で結成。
とにかく、リハが凄かったです。特にS氏の鳥肌実をもしのぐ即興の危険な言葉の数々。スタジオで笑いが止まらず演奏になりませんでした。録音したものを家へ帰ってヘッドホンでこっそり何度も繰り返し聞いたものでした。数ヶ国語を操る明晰な頭脳からつむぎ出される悪意と低俗さにまみれたポエム。何度聞いてもハラハラドキドキさせられる、まさに危ない音楽でありました。
彼の存在自体、「ハプニングアートの極北」と言っても良いんじゃないでしょうか。
「みんな笑顔で前向きに」「みんなつながって」「みんながんばって」という風潮に抗うことになるこのバンドは、3.11の前に消滅。

円盤で出された作品

セコハン娘「セコハン娘の素晴らしき世界」

その後、I井氏はレーベル社長に、S山氏は闘病後天国へ、ワタシといえば息子が産まれ、翌年3.11の影響を受け、全てを捨てて東京を脱出、国内放浪後沖縄へ漂着。