ヤポネシアンレゲェ

新しい日常を追い求めるギター弾きホワイト教授のゆるゆる人生散歩日記。目指すは架空のリゾートミュージックアイランド。

島中が大忙し、旧盆到来!

2012-08-31 21:17:21 | 沖縄
沖縄は、今でも旧暦を中心に暮らす土地です。
今年のお盆(旧暦7月13~15日)は、8月30~9月1日の三日間。
釣りしたり、畑したりと自然に即して暮らすためには、当然お月様の満ち欠け頼りに行動します。珊瑚(動物だぜ)や海亀の産卵や、ドラゴンフルーツの開花、人の行動までも月からのお知らせによります。
お盆は、もちろんまんまる満月、島民みんな大興奮中なのです!

初日は、ウンケーといって、ご先祖様を迎える日。
最終日が、ウークイといって、送る日。その日に提灯行列したりするもあります。


コザの銀天街のワークショップで、提灯を一家で手作り合作しました。 
何故か、ゴーヤのかたち。

表側、イラブーチャー(ぶ鯛)かい?


裏側、こちらもサカナっぽい、、、


アップ


↓注目!!!ヒビビ君、初テレビ出場!この日のことが、ニュースに放映されてました。H君、主役か、、、

琉球放送・the news

台風で三日三晩、部屋にポーク缶詰

2012-08-27 15:38:32 | 映画・読書
覚悟はしていたが、予想以上の強い台風。窓やベランダ側の引き戸の下から、雨水がジャブジャブ上がってきます。耳栓しても眠れない轟音の暴風雨。ガソリンスタンドで洗車の車中に延々閉じ込められてるかのよう。人生初体験です。
食料は、危うく米がきれるところを他の物と買って置いたので、ポーク三昧ってことはないですが、オヤツが切れてしまった!

月曜日も朝から沖縄本島は総て休止状態。路線バスや病院は休み。当然学校も休校。


台風前に北谷と読谷の二つの図書館から大量に借りている本とDVDを消化しています。まず映画を二本。

「太陽の子 てだのふあ」


神戸で沖縄料理屋を営む沖縄出身の夫婦と小学生の娘。そして、その店に集まる人々の暖かい交流と背後に隠された暗い戦争の傷あとを描く映画。
灰谷健次郎の同名の小説の映画化で脚本、監督は「キューポラの街」の浦山桐郎。
主人公の少女がひたすら可愛い。広島長崎などとは、かなり違う不の遺産・沖縄戦というものを知るきっかけによいです。
さらに比嘉慂(ヒガススム)の一連の漫画とあわせて観るとより分かりやすいんじゃないかと思います。映画が撮られた1980年頃は、波照間での離島残置工作員の活動、戦争マラリアの悲惨な実態は、まだ世の中に知られてなかったんじゃないでしょうか。
比嘉慂さんの漫画を読めば、その辺の話や島の古来からの文化も含め、事実をもとにした沖縄戦の秘話が明らかになります。しかも読後は、何故か優しい気持ちに包まれる、、、また、読谷図書館で借りて読みましょうね~(映画はもうどうでもいい、漫画お薦めです)

本土のお年寄りに、戦争時のことを聞けば、あれこれ苦労した話を聞けるでしょう。しかし、沖縄のお年寄りには、簡単には戦争の事を聞く事は出来ません。



「いのちの食べかた」




台詞も音楽もなく、ひたすら映像を観るのみ。

私たちの望むものは、生きる苦しみではなく、私たちの望むものは、生きる喜びなのだ

2012-08-26 12:06:44 | カフェ
伊計島の帰り、途中で見かけた移動販売車の100円のぜんざいを我慢して、いっぷく屋という高台にあるカフェに寄りました。いろんな眺めの良いカフェです。
入り口からは、一見「海の家」?風かと思いきや、いい意味で期待を裏切らない雰囲気。大阪の中崎町か東京の高円寺にいるかののよう、ある意味都会的センスです。
窓際の長テーブルなどは、サバニに天板を乗っけたものでカッコイイ。



沖縄へ移住して半年、本格的に終の棲家を探そうと思います。

読谷を経由してやんばるへ引っ越したがる人は多いですが、本部半島あたりはもう移住者で混雑しいてそうだし、中部の東海岸辺りがまだまだ素朴でいいかもと目をつけての現地調査。
浜比嘉島なんて、みやげ物店化している南部のパワースポットより霊的な匂いがぷんぷんしてるし、面白そうです。旧盆になると、昔ながらのエイサーが見られるようです。本島の橋でつながった車で行きやすい離島の割には、八重山の離島のように辺境の地を感じられる気がします。


カフェのマスターに「きっと良い刺激を受けますよ」と、最北の地・国頭村奥に最近出来た宿のチラシを頼りに、次回は北へも調査のハネを拡げます。


映画『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』 歌/阿部芙蓉美




アートで島おこしの行方

2012-08-24 18:06:40 | 877プロジェクト
瀬戸内海に浮かぶ静かで美しい島が、経済成長期以降に公害や廃棄物問題によって沈みかけていました。それらの島が、「アートの島」で復活し、今や世界中の旅行者や、カップル、ユーミン、おばはん軍団まで訪ねる名所となってます。

昨年、短期大阪市民だった時に小豆島から、その直島、豊島を巡り大いに楽しみました。
そこはまるで、アートの万国博覧会のようでした。世界的名画が置かれている安藤忠雄の美術館から、あじのある島の集落に点在するアートプロジェクトまで盛りだくさん。
高級リーゾート雑誌に魅せられて来る欧米人が、瀬戸内海の小島の路地裏を歩いたり、銭湯に入るなんて、なんとも素敵な日本旅行じゃありませんか~

お子様教育とらじろうで有名な民間企業がパトロンになってることもありますが、何十年もかけて地元とアートが共生共存できるようになったようです。


さて、沖縄の橋で繋がった離島、うるま市に属している伊計島でも規模は小さいですが「イチハナリアートプロジェクト」というのが始まったので遊びに行きました。


うるま市の学校統廃合で廃校となった小中学校と寂れた集落が会場。
米軍基地だらけで、人口密度の異常に高い沖縄本島。しかし、仕事や買い物で便利な都心部や大阪東京へ人口が流出し続け、不便な離島ややんばるの山奥は過疎化が危惧されています。

ここらは、四つの島が長い海中道路と橋で結ばれていて、海がきれいな沖縄観光ドライブコース。
伊計島はその最終地点に位置する美しい小島。きれいなビーチがあるけど、どこも有料、しかも素朴な島で客引き合戦まで見せられては興ざめです。
せっかくここまで来たら、何かないと。金網の先の海を見て、Uターンするだけじゃつまらない。
そこでこのアートプロジェクト、今後長く続けて定着していって欲しいです。


いつか、この神出鬼没のおばぁが人気者になってるかも、、、

ばな便り「なぜ、今イスラムか?」

2012-08-22 08:05:06 | ザ・バナナメイツ
時々、思うんです。
あの騒がしいアザーンを聞きたい、、、

アザーンというのは、礼拝時間を告げる呼びかけの歌で、イスラム圏の街に滞在していれば必ず耳に入ってきます。しかも、同じ時刻に各所から響いてくるので、頭の中グルグルになります。音のゆらぎ、歪み、ノイズ、、、パンチの効いたブールスとでも申しますか、特殊な気分になれるのですよ。


「ここらで、知らぬ間に動かなくなってしまっている脳みそをこねてみましょう。衰えてるわけではないのです、ただ使ってなかっただけのこと。今まで吸収してきたことを整理して、再構築することも出来るでしょうに。」

などと、考えていたら、この時期にして愛息子「ひーさん」が熱発。38度5分。
原因は、人形巡業に引き続き、調子乗りすぎの母子の頻繁な遠方外出と思われます。ワタシは、その前から学校のリフォーム実習の疲れがたまりクタクタ。
深夜、アザーンのように急に赤子の鳴き声が響きわたるウチのアパートに安眠の余地なし。

「バナナメイツの見た世界」シリーズ

トルコ篇、その1.
the bananamates 「プロローグ」



トルコ篇、その2.
the bananamates 「イスタンブール夜想曲」(ウスクダラの謎~トルコ風呂行進曲)



トルコ篇、その3.
the bananamates 「シシケバブ!」



トルコ篇、その4.
the bananamates 「メデューサの首」



トルコ篇、その5.
the bananamtes 「地球脱出」



しかし!今朝急に回復し、アザーンの本人だけ早朝から元気に歩き回っています。早朝アザーンでたたき起こされ、毎日寝不足で旅をしていたトルコ旅行の時の気分かな。


伊波緑

2012-08-17 07:44:56 | 音楽
やっとこさ、伊波緑さんのピアノソロ弾き語りライブを見ることができました!
数ヶ月前、慣れない運転で豪雨の中をグルーブまで見に行った時は、突如ライブ中止と聞かされ、虚しくも長い道を帰りました。
今回は慎重に、

開場時間にtel確認
「やる予定ですが、まだ本人来てません」

開演30分前に再びtel
「少し遅れますが、来るという連絡がありました」

というので、浦添のグルーブまで車で向かいました。この店、ベーシストのgachaさんの経営するライブハウスで、沖縄アンダーグラウンドの聖地であります。

到着すると、演奏は始まったばかりの様子、約5名ほどお客がいました。すべて男子。
普段は2人位の前でやってるそうで、喜んでいるようでした。

演奏を聞いて、思い浮かんだのが、「ツイン・ピークス」「マルホランド・ドライブ」のデビットリンチ。

でも友部正人のカバーなど、ぐっとくるものがありました。でも、演奏してる本人が一番感動してしまうそうです。
演奏が終わると、挨拶だけして風のように消えていきました。

差別と偏見を失くす為には、、、

2012-08-08 07:10:38 | やんばる
まず、正しい知識が必要です。

無知、学習をしないことは、差別や偏見を生み出します。

ハンセン病の残酷な扱われ方も、無知から始まる差別と偏見でした。


沖縄は本土の僻地や離島以上に、汚いもの(と思われてるもの)や危険なものなどを中央から押し付けられているところです。長年人を殺し続けている米軍基地もそうですが、ハンセン病(ライ病)の療養所も宮古や沖縄に作られました。

ハンセン病の患者は、昔から差別と偏見のなかで暮らしてきました。日本では1907年(明40)に「癩予防ニ関スル件(癩予防法)」が制定されて、患者は公立の療養所に隔離されることとなり、1931年(昭6)には在宅患者についてもこの療養所への収容が始まりました。戦争へと進むなかで弱者であるハンセン病患者はいっそう強圧的にかりだされ強制隔離されていきました。
 戦後1953年(昭28)、すでに特効薬の発見により、ハンセン病は隔離から外来通院治療へと世界的な流れが変わっているときに、日本では「らい予防法」が制定され、従来からの旧法にしたがった隔離政策がとられ続けることとなったのです。
 
世界にも例をみないこの酷い政策が、旧法成立から約90年後の1996年(平成8年)、ようやく廃止されることとなりました。
ついこの間まで、差別にさらされてきたわけです。


今やエメラルドグリーンの海を見下ろせる橋が架かって、沖縄旅行者がちゅら海水族館の次に目指すドライブスポット、屋我地島にある国立療養所愛楽園へ行ってきました。
ここでは、約200人、平均年齢80歳の行き場のない差別にさらされてきた人々が暮らしています。

今回は同じ読谷に豪邸を持つ、古謝美佐子さんにくっついての参上。古謝さんはその長髪もステキで、ステージに上がるとものすごく貫ろくがあります。
祭りのトリのステージで、急な豪雨に見舞われましたが、歌いながらも観客を屋根のあるステージに誘導し事なきを得ました。
暑がりの古謝さんは、常に冷房設定20度!控え室はキンキンに冷えています。そんな中で食べた差し入れの温室みかんの美味いこと。
「このみかん、ぬるいのよ~」とおっしゃってましたが。

灰野敬二さんが沖縄へ来たときは、是非とも古謝さんと長髪デュオをやって欲しいと望みます。


遊びましょ~死ぬ気だして(嘘)

2012-08-06 07:59:34 | 音楽
組織を脱退して早一年、甘っちょろい生活を惰性で続けていたら何もなく人生終わってしまうところでした。
こちら(沖縄)でも、少しづつ知り合いが増えてきました。
独立して生きている人たちは、やはり面白い人が多いです。
逆に、ワタシみたいに組織にいた人は、やはり弱っちいところが大。
このままでは、糸の切れた風船になりそう?
いやいや、しぶとく生きていきます。




近頃、激しく遊んでます。
沖縄の夏は、梅雨明けのハーリー大会以降、各地でさまざまな祭りだらけ。


それらの中でも、我が家のメインイベント、




uaちゃん、初のソロライブ活動に同行します。あわよくばと、車にギターを積んでるワタシの役目は、ゲスト出演の人形の足を持つ相方の出演中の子供の相手、、、