ヤポネシアンレゲェ

新しい日常を追い求めるギター弾きホワイト教授のゆるゆる人生散歩日記。目指すは架空のリゾートミュージックアイランド。

昭和の男たち

2019-02-16 15:42:00 | 映画・読書
今月、図書館で借りまくって読んでいるのが、音楽家の書いた本。

ま、音楽家と言っても、、、

元一世風靡セピアの春海四方
「前略、昭和のバカどもっ!!」


から始まり、

矢沢永吉
「アー・ユー・ハッピー」

山本精一
「ゆん」

ウルフルズ、トータス松本「部屋の隅っこには恋のかけら」

等々。



極めつきは、先日早くもリクエストで入荷された掟ポルシェの
「男の!ヤバすぎバイト列伝」


オンボロで小さな本部町図書館で、エプロンつけたおばちゃんから「あの、リクエストの、来てますよ」と、呼ばれた。

恥ずかしかったな。

最近、高橋源一郎さんの現代国語で紹介されておりまして、などと言い訳してもど壺にはまりそうなので、そ知らぬふりして受け取った。

沖縄は本を読む人が少ないらしく、特に本部などの田舎で図書館を利用する人は少ない。
リクエストをすれば予算が余ってるせいか必ず入荷するし、新入荷の本を借りるだけで、

「まぁ、さっき準備したばかりなのに、もう借りてくれるの?うれしい❗」
と、おばちゃんに喜ばれる。
なんだか、こちらが嬉しくなる。





さて、
「前略、昭和のバカどもっ!!」

春海四方は、「半分青い」「いだてん」などに出ている地味な役者であるが、80年代にその名の通りテレビの歌番組を一世風靡した「一世風靡セピア」のメンバーだった。

白Tシャツの上にダブダブのスーツ
、赤い靴下がトレードマーク。
いわゆる寅さんスタイルだが、メンバー7人みな強面で、踊りながら和風の歌を熱く歌う。

その頃、ワタシは映画三昧音楽三昧で、殆どテレビを見ることはなかったが、そのスーツ姿だけは記憶してる。

劇男・一世風靡のメンバーになる為の掟、
「本業がなくてはならない」
「早く結婚して家庭を持つべし」
「メンバー同士で酒を飲まない」
の元、春海四方は親戚から託された風呂なしアパートの管理人をやりながら、活動を続ける。
テレビの歌番組に頻繁に出るようになっても、銭湯の時間にギリギリ間に合うように帰っていたそうな。

バンド等のグループって、だいたい男女がいたら必ずデキてたり、面子が凄い仲良しだったりする。
そのバランスが崩れたとき、存続のために我慢するか、解散するか誰かをクビにするか。

それとは、逆にメンバー同士ハナから距離をおいて活動する、一風風靡みたいなグループもいるんだね。


どうでもよい話だが、一世風靡セピアには、柳葉敏郎、哀川翔がいて、その元のパフォーマンスグループ劇男一世風靡はメンバーが40人ほどいた。
さらにどうでもよい話だが、その前身には、劇男零心会というのがあって、風見しんご、野々村真、羽賀研二がいたそう。いいとも青年隊だ。
バブル期のグループって、ちよっとだよね~








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子供もこんだけ育てば

2019-02-10 01:51:10 | 子育て
何の、脈絡もないが、オリンピックや、近所の景色の良いピザ屋や、クイーンの映画が嫌いである。
要するに、人があつまって、みんなが同じ方向を見るのが嫌いなんである。





脈絡ないついでに、
あ、いや、
なんとも感慨深い映像に出会った。

いろいろ、想像したり、つっこみたくなるようなこと満載だが、曲と演奏が素晴らしすぎて、ひたすらひれ伏してしまう。

音楽から生まれ、音楽で繋がるなんて、いやはやもう素敵すぎる。

"Caetano Veloso, Moreno Veloso - Deusa Do Amor" を YouTube で見る







もちろん、フレディみたいな異端者が、更に有名になったこと自体は喜ばしいことではある。
もはや、ギャル受けしていたエリックは流行らない人となったか?








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博物館自体が博物館入りの名護

2019-02-08 09:04:00 | やんばる
未だに謎の名護市。




沖縄自体がそうであるが、取り立てて何かを生産しているわけてはないが、人口だけは多い名護。

ホームセンターと図書館とパン屋さんへ行きたい時、おでかけする名護。

つい最近までは、映画館もあったそうだが、カルチャーらしき匂いがしない、がカレーの匂いのする名護。

旧市街を車で通り掛かると、赤提灯やタイカレーの看板に釣られ、ついつい散歩してしまいたい気分になるけど、那覇の賑やかな。公設市場裏とは大違いな名護。

ジャズやレゲェのライブハウスがあるが、やってんのかどうか良くわからない人の気配のない、名護。

唯一、中古楽器屋とサブカル系も扱う古本屋が各一店づつあるが、新刊書店にはレココレもギターマガジンもなく立ち読みできない名護。



そんな名護市の旧市街にある、博物館へ初めて行って来た。
清村勉という建築家の企画展があったから。


市営市場から、5分も歩けば到着する。
この辺り、どこもかしこも一歩裏路地へ入れば廃墟の街を歩いているような気分になれる。
昔は、この辺りが中心街で、こじんまりと栄えていたのであろう。

近くの馬鹿でかいヒンプンカジュマルもスゲーが、ここの入り口のカジュマルと、ど太いフクギもとってもディープオキナワンな雰囲気で、いとステーキ。そういえば、名護の食堂で食ったステーキ定食、かたかったなぁ、700円也。

ギャラリー以外は整理日で入れてないが、入り口売店辺りからして眩暈がするほどレトロな匂いが充満していた。このまま保存したい、、、





コンクリート建築自体にはあまりひかれないが、関東大震災以降に盛んになったらしい内地よりも先に、沖縄で盛んだったのはうなずける。極悪なシロアリや猛烈な台風を考えると、木造はやはり躊躇したくなるだろう。

庶民の住宅は、戦後アメリカーの影響でブロック積み、そしてコンクリートへと変化していった。




沖縄へ来て建築の勉強をした時、初めて知った大宜味役場庁舎。
まだ、手探り状態のコンクリート建築なのに、見た目も含めて素晴らしいものをつくった清村さん。


沖縄で現存する最古のコンクリート建築。
風には六角形が良いらしい。
清村勉さんが、手を振っている。

手掛けたのは学校や役場など、公共の建築が主であったが、72年本土復帰に伴い沖縄振興開発の金のせいで、沖縄の戦渦を免れた貴重な建築物が次々と立て替えられてしまった。

清村の建築した校舎は、風が良く通るように工夫されており、開口部が広く、天井に熱気を抜けさせる穴が開けられていた。
立替のために解体された鉄筋には全然錆が入っていなかったそう。
逆に、そのころ新しく建てられたコンクリート建築は、セメントの砂を良く洗ってないので、塩が残っていて鉄筋が錆びて危険ということで今や有名。当時も今も目先の欲に駆られて、何も学んでいなかった沖縄建築業界。仕事がなくなるから丈夫なものを作る気がないのか??




さて、沖縄としては有名なオリオンビール工場が博物館のすぐ隣りにあるが、最近外資と本土企業に買収された。ここの見学コースは最高!(要予約)無くならないことを祈るのみ。






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