ヤポネシアンレゲェ

新しい日常を追い求めるギター弾きホワイト教授のゆるゆる人生散歩日記。目指すは架空のリゾートミュージックアイランド。

記憶喪失者の日記

2014-08-26 16:13:56 | Weblog

つい最近、

「ブログのタイトルってどういう意味?」

と、ブログを読んだ人に聞かれ、イイ具合に説明できませんでした。

「ま、その、、、あの、、、琉球弧ってのがありまして、、、えーっと、えーっと、、、、あ、レゲエ特に好きってわけじゃないッス、、、」

記憶喪失症の自分のための記録として始めた日記(今ではS.N.S.中毒のカミサンへの覚書)ですが、もう少し長生きできれば10年選手となります。そう、10年も前に考えてつけたタイトル、当時の記憶は普通に失われ、覚えてる訳ありませーん。

そんなんで、ちょいと真剣に記憶のほそーい糸をたぐり寄せて、じっくり思い出してみようとかと、、、

 

「ヤポネシア」という言葉は、作家の島尾敏雄が考案した造語であります。簡単に言うと、「日本国」ではなく「日本列島」という意味。

 

ヤポネシアという着想は、インドネシア、ポリネシア、メラネシアといった大平洋の島々の連なりの中に日本列島があるという捉え方から生まれています。中央から見た日本と違ったもう一つの日本。

 

いやいや、

ブログのタイトルの由来はそんなんじゃなくね、そもそも「ヤポネシア論」で島尾の考えていたことから来てるのでした。

日本の社会には、「みんなが一色に塗りつぶされてしまう息づまるような何か」つまり「固い画一性」があり、それが「日本人というものを狭くしている」と感じ、こういったあり方から抜け出すにはどうすればいいのかと、長く島尾敏雄は考えていました。

そして、奄美に暮らすようになって、琉球弧の人たちには、そういう「固さ」がないことに気づき、『ナイーブな生命力のようなものが、この琉球列島の島々の生活にはひそみ、人々の挙措のあいだに、日本本土では 忘れられてしまった「やさしさ」を見つけだすことができた』。琉球弧の人たちの発想や挙措のこうした「やわらかさ」と本土の 「固い画一性」の違いはどこからくるのだろうか、と考えていったところから、「ヤポネシア論」は生まれてきたのです。

 島尾は、日本社会の 「固い画一性」は、近世の徳川時代の体制やその時代の武士道や儒教的倫理とのつながりが強いと考えています。

この肩肘を張った「固さ」は、さまざまな文化を受容 してきた中国大陸に対するコンプレックスを裏返しにした虚勢のようなものと結びついています。他方、琉球弧は、長く琉球王朝の支配下にあり、中国の影響も受 けているが、南の島々から入ってきた南方的な要素が強く、それが「本土(ヤマト)」の人たちのこわばった「固さ」のない「やわらかさ」を感じさせるのではないかと。

 あとねですね、レゲェという言葉は、まあ「ぼろ」とか「ぼろ布」みたいなフィーリングでしょうか。一応差別化するため小さい「ェ」でレゲェとしてます。ボブマーリーとかと差別してね、、、

そして!ジョナサンリッチマンの曲に「エジプシャンレゲエ」というインストの名曲がありまして、それに対抗すべく「ヤポネシアンレゲェ」としました。

あ!重大なことを喪失していました。「ヤポネシアンレゲェ」という曲を我が最愛のバンド・スペシャルビューで作っていたのでした。

曲が先か、ブログが先か?

もはや覚えてませーん。

 


幻のバンドin残波ロイヤルホテル

2014-08-08 16:13:56 | 音楽フェス

若かりし頃のローバートワイアットを彷彿させるHくんの「歌うドラミング」!

であったはずなんですが、あまりにアバンギャルドというか、フリーキーになり過ぎ、母ちゃんにとがめられて初日ステージでエンエンしてしまいました。

おかげで、ホテル側から子供N.G.との指令。

ま、そりゃ仕方ないと、2回目からはプロのベーシスト・ドン久保田を迎えて大人の編成でカッチョ好くいきました。

「夜9時以降は子供は禁止なんだって」と、伝え納得してたHくんですが、それでもリハーサルには登場!リゾートホテルのプールサイドステージですが、これはちびっ子ウッドストックか


この仕事(お弁当とギャラ付き)が9回入ってましたが、実は2回で中止になってしまいました。子連れファミリー観光客相手に、即興の劇は難しすぎたんでしょう。ご近所で暇つぶしとおこずかい稼ぎ、さらにプールでチャプチャプできるというオイシイはなしでしたが、、、スケジュールが無くなって気楽になったというか、この夏暇になってしまったH君と私。内緒で、チャプチャプだけはやりに今でも通ってます。