いやはや、感染拡大に関しては、いよいよアカチチ(夜明け)が訪れようとしている沖縄です。
新規感染者は2週間以上連続で出てなく、町の公園も封鎖は解除になった。後は、学校が始まって何事もなければ、市中にはコロナがないと思って良いんだろう。
もちろん、基幹産業の観光が再開すれば、那覇空港を感染の入り口として、再び元に戻る可能性もあるけど。
それにしても、優秀な専門家と庶民に寄り添う県知事のいる沖縄で本当に良かった。こんな時に、もし東京や大阪、しかもブラックな職場なんかにいたら、不安とストレスで自己免疫が暴走(サイトカインストーム?)していたかもしれない。
自粛にしても、内地と違って、県内では「わ」ナンバー(観光客)の車や、細々営業し続ける「さしみ屋(鮮魚店)」に、貼り紙したりと言う話も聞かない。
「私も我慢してるんだから、あんたも我慢しなさいよ」
じゃなく、沖縄は
「あんたのこと許すから、私も許してね」
お互い様文化なのである。
ま、これには一長一短あって、時に苛つくこともないことはないが、やはり好きなうちなー文化のひとつだ。
もちろん、血縁も濃く地域の繋がりが強い沖縄には同調圧力というものはあるけれど、島国根性とも日本人気質とも呼ばれる自警団みたいな行為は、主には内地でのお話。
ただ、その息苦しい相互監視的で同調圧力的でお上に従順な行為にしても、実は長い日本の歴史の中で培われてきたもの
と言う訳でもないようだ。
豊臣秀吉の時代に来日した西欧人が見た日本人というのは、極めて自由で性に奔放で、かつ放任的な性格を持つ民族であったそうだ。
では、どこでこんなに息苦しくなっちゃったかと言うと、答えは簡単なのであった。
この自警団的気質というものは戦時統制下で形成され、その軍隊方式的体質が戦後もそのまま会社や学校などへと受け継いでいかれてしまったのだ。
今思うと、丸坊主にしなきゃいけなかった愛知の中学なんて本当に最悪だったし、上京して就職した所は給料くれる以外は、、、、、
さてさて、まだまだ終わってはいないが、アフターコロナをどう生きていくか、それを考えていかないと。
大きな一つのものにすがりついていると、一緒に沈没してしまうと言うことはハッキリした。
観光業一つではどうにもならない。
今の政府、それを支える堕落した日本人、と共に沈んでいくのはカンベン。
国や基幹産業に頼らずに、少し離れた所で経済圏なり人との繫がりを作っていかなくては未来はないと、ぼんやりとは分かるんだけど、、、
具体的には、出来る事はなるべく自分の手に戻して、小さく暮していくしかないということか。
あれ?
もう、既にそんな感じでやってますが。