ヤポネシアンレゲェ

新しい日常を追い求めるギター弾きホワイト教授のゆるゆる人生散歩日記。目指すは架空のリゾートミュージックアイランド。

那覇から本部が90分!

2018-08-26 06:45:00 | やんばる
空港のある那覇から、美ら海水族館のある本部までの交通手段、
旅行者の多くはレンタカーを選択するけど、バスの便がやたら増えて便利になってきた。

路線バスの117系統
空港リムジンバス
やんばる急行バス

に加えて、
沖縄エアポートバス
というのも最近できた。

レンタカーは、借りるのに時間がかかるし、交通事故がけっこう多い。

自分などは、内地へ出るときに、空港の駐車場料金や予約の煩わしさを考えると、バスは楽で最近良く利用している。

ほぼ同じ路線で、違うバス会社がいくつもあるのは、さすがアジアっぽく、判りづらい。

↓は、見やすいので、大変ありがたい。
http://oki-park.jp/sp/kaiyohaku/acc/147



そして、とうとう試験的にではあるが、那覇から直行の高速船が出ると。
時間にして、なんと90分!


http://taxitrip.0152.jp/marine/

本部港に着いてからどうすんの?というのが、問題であるが、1日乗り降りフリーになる循環バスが出されるよう。



あとは、那覇~名護までの電車ができればね、那覇でライブや映画見て呑んで帰るなんて夢みたいなことが出来るんだけど、、、

生きている内にできると良いな。
 







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「森のおうち」小屋三棟目 半分青い、シャワールーム

2018-08-14 19:43:00 | 877プロジェクト
そもそも、数年間放置されて、亜熱帯の過酷な山の気候の中、周りの森は荒れ放題、
ウッドデッキは朽ち果てて、
小屋の土台は白蟻が食べ放題魑、
そんな森の中の廃墟のようなおうちのなかでも、
魅魍魎が跋扈すると言われていた、森のおうちの鬼門、
「シャワー棟」

屋根組が半露天で、様々な闇の生物の住みかになっていた。
その扉を開けると、この小さな廃墟のようなお化け屋敷から何が飛び出てくるか怖くて、見ない振りをして数年間放置してきたが、、、

ついに、半年前コンクリートブロック積みの壁のみ残して、木造の隙間だらけの屋根組を撤去、古い便器やシャワー水洗も処分。




東側の木々も少しずつ隙間をあけるように切り倒してきたら、明るくなって向こう側に三角山も見えるようになった(冬場はイルミネーションがあるから楽しみ)
岩が目立ってきたので、シャワールームからの眺めは、カルスト岩と蘇鉄とオオタニワタリという渋めで攻めよう。夜はライトアップすべく照明を用意。

カーテンで仕切られていた、ありがちなトイレ&シャワーのワンルームから、眺めの良い豪華シャワー室+脱衣室にリノベーーーション!

残るは、扉2つと外装と内壁のタイル。
鉄の配管を見せる電気工事と水道工事も残ってるな。ガラスも入れなきゃ。


まず、タイル。
面積小さいから、ケチらず一流メーカー品をchoice。

床だけは、既に平田タイルのヘキサゴンを採用。
既にはってある。



前後二面の壁は、平田タイル カターニアの青(150×300)
を、縦張り



スペイン製


よく見ると、つるつる表面が細かく綺麗にひび割れていたりして上等







残り二面は、アドバンのアウトレットもの200㎜四方のアンティーク仕上げの白




イタリア製




を、張っていくのだ。こちらも、よく見ると一辺に白い顔料が入っているのがランダムに混ざっていたり、三辺が波打っていたりと、手が込んでいるタイル
安く手に入れたけど、高級品だ。

しかし、何だか重いぞ






ご近所のとっても優しいタイル職人のオジサン(ワシとさほど年違わないが)の指導のもと、
古い防水ペンキを、ベビーサンダーで削って、合板部分にはフレキ板を上から張り、
水平とって、基準線から二枚とメジ分の大きさで墨を打っていく。
端の部分のタイルが小さくなりすぎないように割り振りを考える。

漆喰塗りでもそうだけど、事前の下準備が大の事!




よっしゃ、オジサン、後は任せて!
と、言ったものの、大きなタイル張りは、初めて。

そう、掃除を少しでも楽にしようとモザイクなどの可愛いヤツはきっぱり諦め、大判にしたのだ。

セメントみたいなボンドをこねて、壁側とタイルにすりこんで張るんだけど、メジ幅ピッタしにやったつもりが、いつの間にかずりずり重さで下がっている。
木片を間に挟むと、今度はまたその下の綺麗にくっついていたと思ったやつがずり落ちる。

もう、パニック、

気が変になりそう!


って、わけで、オジサン~やっぱヘルプミー!
リンリンリン🎵

電話!

平成生まれには、わらんか?
(海外から取り寄せた真鍮ゴールドのシャワー水栓をchoice)



ずり落ちる時は、ボンドを塗って少し乾かしてから貼っていくあるね。

少し上くらいに貼って、落ちてきたら、玄能の木の部分でコンコンするさぁ。


目地は、タイル業界で最も評判の良い、LIXILの耐水性の強いヤツを採用。
タイルは半永久的にもつけど、この目地ってやつは掃除なんかでどんどん削れていくので、大事なところ。





木の下地とコンクリート下地の間の目地は、ヒビが入るおそれがあるので、シリコンコーキング。

焦げ茶の窓枠と、アンティーク風の青いタイルがベストマッチ!




そして、、、

半分、青い‼











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「森のおうち」小屋二棟目 8 木枠のサッシ

2018-08-12 04:19:00 | 877プロジェクト
二棟のホテル小屋の木工仕事も最終段階。
大工道具がいつも整理できなくて、バラバラのまま運ぶのに苦労してた。

今頃、気が付きました!
「道具箱」が必要だったと。

やってるうちに、いつの間にか工具も揃ってきて、知識だけは建築士なみに、腕も多少は上がったような気が。

初心者女子diyを卒業、風合いもオヤジdiyへ。でも、小型思考はあい変わらず。
木の枝(御気に入りの楠木)を、生まれて初めて使って、木工おやじ入門。
銅の釘をふんだんに使い、色もナチュラルに。
使い込んで、古びたときのことも計算に入れて


瓶の牛乳って、美味かったよな~


女子diyは、まぁどうやってもチャラいけど、
オヤジdiyは、ぎりぎりヤボったくなる線を守りきれば、渋い。
さらに心と腕がバランスよく上達すれば、わび・さびの世界まで到達可能。




本題
外観の仕上げ、サッシの窓枠作り。

本当はね、すべて木製で作りたかった窓。
台風時の浸水や、数年後の木の動きで不具合が出るのを恐れて、fix窓以外はサッシを採用。木製サッシも考えたが、ひとつウン十万もして、破産してしまうのであきらめた。

そこで、サッシの枠の上に木枠を加工して、オリジナル木製サッシ作り。

まず、問題になるは、左の切り込み部分と右の長方形の水抜き。これを閉じたらまずいので、



枠の幅を切り込みから1~2㎜小さくしてL字に加工。
それを三段階サンダーして、焦げ茶に着色、ウッドガードを二度塗り。長方形の水抜にあたる部分を蚤で彫る。
そこへは、念入りにウッドガードを塗布。


そして、下側に水の落ちる穴を開ける。



サッシをシルバーでなく、LIXILの黒いやつにしたからさほど見た目は悪くはないんだけど、今時の厚いサイディング向けなんで、少々出っぱっている。壁内空気層の胴ぶちを厚くするか、サッシの枠を設置するツーバイを加工しても良かったが、、、


この厚みを計算して加工したL字の材を真鍮釘でピタリと打ち付ける。一辺一辺1㎜でも誤差があると角がずれてみっともなくなる。
寸足らずになってしまったら、一から作り直しだ。
実は、ここが一番の難関。


最後に、塗料を先に塗っちゃったので専用のシーラーを塗ってから、サッシ側と壁板側の両方をコーキング。




小屋二棟の窓が、あと10ヵ所!







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日本のゲストハウスの歴史

2018-08-10 09:12:00 | 宿
数年前に大分へ移住した友人から、
素晴らしい荷物が届いた!

中身は、非常に貴重なミツロウと、たっぷりの蜂蜜!


もちろん国産。
と言うか、
都会の京都を出て、心機一転、養蜂をやっていたのだ。


彼は、京都でも老舗の文化的ゲストハウスの元オーナー。
ワタシが脱サラして東京を脱出しようとしていた頃、知り合った。
東北の震災の前だったか、後だったか、、、


で、ゲストハウスについてちょっと。


まず、ゲストハウスという言葉の意味。
京都や沖縄とは違い、東京では、地価が高すぎるせいかバックパッカー用の安宿が中々できなかったため、共同で住むシェアハウス=ゲストハウスという言い方の方が主流だった。
が、この10年位でバックパッカー用の安宿が下町を中心に増えてきた。最近ではちょいと高めだけど、新宿や池袋にも。

ウエディングなどで利用される一棟貸しきりの施設や、お客さんをもてなすための戸建ての施設で、母屋に対する呼び名として使われることもあるが、
ワタシがここで言うところの「ゲストハウス」は、
旅行者のためのドミトリー等を含む素泊まりの安宿で、
特徴としては、お客同志、オーナー、スタッフと情報交換や交流が広がる場所、というような感じ。


ゲストハウスに似た存在として、「ユースホステル」
日雇い労働者が泊まるいわゆる「どや」
「ネットカフェ・漫画喫茶」
が、ある。
中でもユースホステルは、海外で始まった宿泊のシステムで、70年代日本の若者の格安旅行に欠かせない存在だった。
セルフサービスが基本で、いろんな規則があるが、宿自体に楽しみや出会いがあり、フォークギターをバックに皆で歌を歌うなどの青春イベントがあったりした。
未だに北海道や沖縄の宿でも、同種の青春宿は存在する。そして、青春と言えども、オヤジが混じっていたりする。


安宿の歴史としては、今でも残ってるのが「木賃宿」
江戸時代、街道沿いの旅籠の中で最も安い宿で、米などを持参して燃料費としての薪代(薪=木)のみで泊まれることから、そう呼ばれたよう。

やがて、明治以降都市部の貧民街に増殖、不潔で劣悪な施設となり「どや」と呼ばれるようになる。

終戦後から高度成長末期の70年代頃まで、季節労働者(出稼ぎ)を受け入れるための施設として多数のどや街が形成されるようになった。

やがて、工事現場の機械化や工場のオートメーション化により労働者需要が減り、故郷や家族から縁が切れてしまった季節労働者の老後のねぐらに移行したり、海外バックパッカーが利用するような宿に変貌していく施設も出てきた。




ワタシが初めてゲストハウスのドミトリーを経験したのが、たしか90年代初頭の京都。

名前も場所も、どうやって見つけたかも記憶がない。

それまで、旅行と言えばひなびた温泉宿か湯治場(これはこれで凄い宿泊施設だった)ばかり泊まっていたワタシは、
宿なのに、ただの民家(町屋?)というのにビックリし、
玄関から呼んでも誰も出ず、ドアを開けようにも鍵が掛かっていて、そうしてるうちに中にいたお客さんらしき金髪のオネェさんがドアを開けてくれてビックリし、
泊まる部屋が、押入れというか筒の中の布団だけの空間であることにビックリし、
宿の客が西洋人ばかりで、台所で自炊したり、テーブルで談笑している風景に、不思議な感覚をもった。

やがて、2000年を過ぎると、清潔できちんとシステムが整った、ジェイホッパーズ、五条ゲストハウスゲストハウス、などのゲストハウスが登場した。このあたりが、日本の老舗ゲストハウス。

その後、京都や沖縄で増え続け、2010年を過ぎると、東京や大阪でもできはじめ、地方の都市でも次々と増え続けていった。
同時に廃業するところも多々あった。
2010年前後辺りは、語学力のある元バックパッカーがdiy精神とコミュニケーション力をもって、空屋をセルフリノベし人を集め地域と繋がり共に盛り上げていくという、地方再生の一端を担うゲストハウスの存在が目立った気がする。
それに対して、最近ではカプセルホテルのような格安で泊まれるだけのドミトリー宿が増えてきた。









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半分、青い

2018-08-04 11:33:00 | Weblog
今、何が面白いかって?

それは、
SNS、でもない、
Youtube、でもない、
ましてや、映画でも、本でも、ない、

それは、、、


朝ドラ!



この、やんばるの森の中で、唯一電波が届くNHK
の「半分青い」
これが、今一番面白い。


もちろん、緊迫の朝タイムに見られるわけがない。
うかうかしてると寝床に戻ったり、その辺でごろごろしたり、妹をたぶらかせて遊び出すH君(8歳)を、車に乗せて学校(夏は学童)へ送るまでは気が抜けない。
ちょっとでも気を抜こうものなら、相方から矢のような催促のどなり声がこちらに飛んでくる。

おしゃべりで、だらだらのろのろ飯食うのを、促し、
食べ残しを口に押し込み、
ウンコさせるためにパンツを引っ剥がし、
うんちでたよコケコッコー!ケツ拭いて!!と、呼ばれて尻拭いの手伝いをさせられ、
着せて!と着替えするのを手伝わされる。

だいたい、妹の方は早く用意が済んで待っている。

そんなことおかまいなしで、ゆっくりゆっくり靴下をはいていたりする。
靴下の上部のゴムのところは、足に跡がつくからと丁寧に外側に折り曲げて、、、


そんなわけで、
「お、はよう!世の中🎵」
の、録画を夜な夜な見るのだ。

90年代から2000年代は、と言えば、どんなだったろうか?
自分の中では、ついさっきのようで未だまとめられないけど、テレビドラマでは、もはや一昔前みたいな時代になってる。


話は飛ぶが、ラジオを聞いてたらレッドツェッペリンの特集があった。
特集と言っても、このバンドのことを全然知らない若い男女の二人が、音源初めて聞きながら感想を述べるという趣旨。片方はフジロックにも出ているバンドリーダー。

いつの間にか、こんな時代が来てしまった。
しかも、バンドの写真を見て、お洒落とか言ってるし、、、


そろそろ、忘れないうちに東京在住時代の自分史と、世の中の歴史を整理したい。

キーワードは、バブル、阪神の震災、オウム、湾岸戦争、ニューヨークのテロ、東北の震災ってところか。
あれ?順番がわからんぞ、、、

青春の代名詞の中村雅俊がお爺ちゃん役で出ている「半分青い」
いつの間にか、時代は廻り、自分も浦島太郎。

いつもくよくよ悩んでいた青春ドラマの中の中村雅俊、嫌いだったけど、このドラマの若者たちには共感できる。
ホジティブ丸出しのヒトやJ-POPって本当苦手だけど、犯罪者の顔と似てると引き合いに出された星野源の曲も、何度聞いても悪い気しないし、
なんと言っても、
「自分の娘がこんな風に悩む年頃になったら、どうなんだろ」
と、
ついつい考え、涙を流してしまうのでありました。

なんだ、そんなことかい!









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