2011年の震災以前から、なんとなく中央(東京)の生活から、いつかは離れようかとぼんやり考えてはいました。
今思うと、たまたま運が良かったのか親のおかげか、たいした努力もせずに金銭的にも自由な時間にも恵まれた東京の暮らしを享受してました。
ごみごみした都心には用がなければ出ないので、普段は井の頭公園や玉川上水路など武蔵野の緑の中を行き来する暮らし。満員電車など無縁で、徒歩や自転車が主な交通手段でした。
時代は「フィッシュマンズ」から「ゆらゆら帝国」な空気の中、閉塞感をなんとなく感じつつもフワフワした気分。
恵まれた暮らしといってもいたって質素で、流行にとらわれない長持ちする服を着て、外食するにも真心こもった大衆食堂を愛し、唯一浪費と言えば年に1度の1~2週間の海外旅行。
「9時5時」の仕事中は「何で自分はこんな職にしか就けなかったんだろう?」
と思いつつも、余暇をバンド、読書、映画で費やすことの繰り返し。
そんな中、
「辿り着くべき場所はなくてよいのか?」
「何かどこかにあるんじゃないか?」
そして
「ここではない何か」を求める気持ばかりがしだいに膨らんでいきました。
おそらく都会に挫折していたというより、自分に挫折していたんでしょう。
「自分を変えるには環境を変える」という短絡的な思考で何かを探していました。
子共ができた一方で、音楽活動には行き詰まり、生活の糧のみと割り切っていた仕事にも行き詰まり、そしてあの震災。
2011年はまさにターニングポイントでした。
さてどこへ脱出しようか?
案はいろいろあがり決まりませんでした。
この際東北へ?
いやでっかいどう北海道、
一度は住みたい京都、
西表島、
愛知、
大阪、
奈良、
長野、
箱根、
熱海、
尾道、
瀬戸内の島
あちこちへ1歳の子供を連れ旅しました。
時には住み込みで宿のヘルパー、時には農業手伝い。
そして最終的にたどり着いたのは、沖縄本島読谷村(ヨミタンソン)。
フクシマ同様、複雑な利害関係で成り立つオキナワ。
違いは、危険な原発か危険な基地かの差。
そんな島の田舎の中部から、ど田舎の北部・本部町(もとぶちょう)山里へ引越し予定。

そこは、2億年前の古い石灰岩が雨風に溶かされ、円錐状の小さな山がいくつもそびえ立つ、わが国唯一の「円錐カルスト」にあります。

そんな聖地(メッカ)の森の中、
夜明けと共に、
必死に火をおこす母子。
※ヒヌカンを祀るのは、女性の役目。
※沖縄で古代より受け継がれてきた民間の信仰、ヒヌカン(火の神)
海に囲まれている沖縄では、古代より太陽の昇る東の遙か彼方に理想郷(ニライカナイ)があると信じ崇めてきた。
その根底には、昇る太陽を神聖なものとして崇めたことに始まる。
そもそも火は、文明の象徴とも考えられており、生命力の象徴としてもたとえられている。
いつしか人々は、陽の昇るニライカナイから火がもたらされたと言う考えを持ち、
火は太陽の化身として崇められるようになった。
すると、地上で燃えさかる火にも神が宿ると考えるようになり、常に火が存在するカマドに対して、神を祀るようになった。

今思うと、たまたま運が良かったのか親のおかげか、たいした努力もせずに金銭的にも自由な時間にも恵まれた東京の暮らしを享受してました。
ごみごみした都心には用がなければ出ないので、普段は井の頭公園や玉川上水路など武蔵野の緑の中を行き来する暮らし。満員電車など無縁で、徒歩や自転車が主な交通手段でした。
時代は「フィッシュマンズ」から「ゆらゆら帝国」な空気の中、閉塞感をなんとなく感じつつもフワフワした気分。
恵まれた暮らしといってもいたって質素で、流行にとらわれない長持ちする服を着て、外食するにも真心こもった大衆食堂を愛し、唯一浪費と言えば年に1度の1~2週間の海外旅行。
「9時5時」の仕事中は「何で自分はこんな職にしか就けなかったんだろう?」
と思いつつも、余暇をバンド、読書、映画で費やすことの繰り返し。
そんな中、
「辿り着くべき場所はなくてよいのか?」
「何かどこかにあるんじゃないか?」
そして
「ここではない何か」を求める気持ばかりがしだいに膨らんでいきました。
おそらく都会に挫折していたというより、自分に挫折していたんでしょう。
「自分を変えるには環境を変える」という短絡的な思考で何かを探していました。
子共ができた一方で、音楽活動には行き詰まり、生活の糧のみと割り切っていた仕事にも行き詰まり、そしてあの震災。
2011年はまさにターニングポイントでした。
さてどこへ脱出しようか?
案はいろいろあがり決まりませんでした。
この際東北へ?
いやでっかいどう北海道、
一度は住みたい京都、
西表島、
愛知、
大阪、
奈良、
長野、
箱根、
熱海、
尾道、
瀬戸内の島
あちこちへ1歳の子供を連れ旅しました。
時には住み込みで宿のヘルパー、時には農業手伝い。
そして最終的にたどり着いたのは、沖縄本島読谷村(ヨミタンソン)。
フクシマ同様、複雑な利害関係で成り立つオキナワ。
違いは、危険な原発か危険な基地かの差。
そんな島の田舎の中部から、ど田舎の北部・本部町(もとぶちょう)山里へ引越し予定。

そこは、2億年前の古い石灰岩が雨風に溶かされ、円錐状の小さな山がいくつもそびえ立つ、わが国唯一の「円錐カルスト」にあります。

そんな聖地(メッカ)の森の中、
夜明けと共に、
必死に火をおこす母子。
※ヒヌカンを祀るのは、女性の役目。
※沖縄で古代より受け継がれてきた民間の信仰、ヒヌカン(火の神)
海に囲まれている沖縄では、古代より太陽の昇る東の遙か彼方に理想郷(ニライカナイ)があると信じ崇めてきた。
その根底には、昇る太陽を神聖なものとして崇めたことに始まる。
そもそも火は、文明の象徴とも考えられており、生命力の象徴としてもたとえられている。
いつしか人々は、陽の昇るニライカナイから火がもたらされたと言う考えを持ち、
火は太陽の化身として崇められるようになった。
すると、地上で燃えさかる火にも神が宿ると考えるようになり、常に火が存在するカマドに対して、神を祀るようになった。
