学年だより「武器2」
たとえば、駅のホームで目の不自由な人がいて困っているように見えたとき、自分はどうするか。 みんなは、すぐに声をかけられるだろうか。
電車に座って乗っていたら、年配の方が目の前に立った、さあ、すぐ立てますかでもいい。
たとえば部活の仲間が大けがをするなんてこともあるだろう。
親しい人が、ものすごく落ち込んでしまう状況におかれていることに気づくこともあるだろう。 そういう時にどういう態度をとれるかが、その人の人間性というものだ。
楽しくわいわいやっていた時にまったく現れなかったその人の人間性が現れてしまう。
逆に、自分がなんらかのつらい状況におかれたとき、それは身体的なものだけでなく、精神的な面も含めて、不幸な状態になったとする。
周囲から見てもそれがわかる状態の時、周囲の人が自分にどう接してくるか。
その接し方によって、その人の人間性を垣間見ることができる。
そう考えれば、身体的ハンデでさえ、スカウターだと考えることができると西原氏は言う。
~ 『ドラゴンボール』に出て来る道具なんだけど、瞬時に相手の戦闘能力を数値化することができるの。あなたはハンデを抱えてるんじゃない、いいスカウターを手に入れたんですよ。人の心の機微や痛みがずっとよくわかるようになったの。
誰だって、たいてい何かしら負い目はあるからね。言わないだけで。だから凪心さんも「こんな私じゃ悪い」「申し訳ない」みたいに自分を低く見て、しょーもない男にまた開いたら絶対ダメですよ。せっかくいいスカウターを手に入れたんだもの。人の気持ちがわかる、優しい、いい人探してくださいね。 (西原理恵子『スナックさいばら おんなのけものみち』角川書店) ~
人の弱みにつけこむヤツ、触れられたくないことをついてくるヤツ、自分より下位の人間を見つけよう見つけようとしているヤツ … 。
自覚症状があまりない場合もあるので、残念ながらこういう人がいなくなることはない。
そういう人の心ない言葉を耳にしたとき、いちいち傷ついているばかりではだめだ。
ほどよく距離をとる技術も、大切な「生きる力」の一つである。
意図的にそういう経験を積んでいけば、距離をとるべき人も自ずとわかってくる。
さて、今年度最後の試験を迎えることとなった。
単位の心配もないしほどほどでいいだろうとか、来年は文系(理系)だからこの科目はそんなにやらなくていいとか、そういう発想をしてはいけない。
くどいようだが、定期試験一回分はセンター試験のすべての範囲の10分の1だ。
そして、試験にどう臨むかは、どういう高校生活をしてるかを表す。大げさと思うかも知れないが、どう生きようとしているかの現れでもある。何か理由を探してテキトーな取り組みにならないよう、気合い入れて頑張ろう。