昨日マクドでポテト(S)食べながら中谷彰宏氏の本を読んでたら、「社会人になってからも反抗期はある」というところに納得して、思わず赤線ぐりぐりしてしまったから、もうブックオフには売れなくなった。
反抗期あったなあ、たしかに。
この職場にご奉公して、わりとすぐにきた。
今の校長にかわらなかったら、どうなってただろう。
それなりに「反抗期」を終えて、腹をくくって働かせていただくようになり、お役に立ててる部分もあるようになったんじゃないかな。ずっと反抗期のまますごさなくてよかったと思う。
40歳とかなって「上司がバカだ」とか文句を言ってるのは、「親はおれの気持ちをわかってくれない、うるせえ、クシジジイ」と言ってる子どもと同じだと、中谷氏は言う。
たしかにいるような気がする。
上が悪いからとか、バカだからとか、この環境では能力が発揮できないとか、いつまでも言ってる社会人て。
もちろん、真性のおバカもいるに決まっているが、それが娑婆なんだから、そこに拘泥し続けていても何も生み出さない。
~ 「上司がバカに見える」というのも一種の自我の目覚めです。
成長の第一段階であり、プロセスです。
そこでとまっていたら、一生、社会的な子どものままで終わります。
会社を移ろうが、仕事を移ろうが、そのままではどこに行ってもうまくいかないのです。 (中谷彰宏『「あと1年でどうにかしたい」と思ったら読む本』主婦の友社) ~
反抗期は自我の目覚めだから、社会人の反抗期はできるだけ早く来た方がいいという。
居心地のよすぎる会社とか、やさしい上司のせいで、反抗期が来るのが遅れるのはかえってよくないと。
はやくそれを経験して、それを乗り越えて、成長してはじめて社会的な大人になれる。
もっと短いスパンにおいても、反抗期、乗り越え期、成長期というサイクルはあるかもしれない。
たとえば部活で。たとえば学校で。
最初からなんの疑問も違和感もなくその新しい組織になじんでいく子も多い。
その素直さで、そういう子はどんどん伸びていく。
すぐにはなじまない、人付き合い的には不器用なタイプで、しかも組織のいろいろな伝統やしきたりに納得できないものを感じていながら、とりあえず与えられたことに一生懸命取り組み、乗り越えていく子もいる。
こっちのタイプもつかえるヤツになる。なんか合わないと言ってやめていく子もいるが、少しもったいない気はする。そればかりはしょうがないけれど。