卒業式が行われた。
祝辞をいただいた方のお話には「これからの日本を背負ってほしい」「日本の未来はみなさんにかかっている」というお話が必ずはいっている。
大変だね、高校生って。
こういうお話を、実感を持ってきける高校生が、日本に何人くらいいるのだろう。ほとんどが東大受けますみたいな学校の生徒さんだと、あれかな「まかせてください」とか思うのかな。
ひょっとしたら、本校にもそう思った子がいるかもしれない。
自分が高校の卒業式ってどんなだったか、思い出そうとしたみたけど、うかんでこなかった。
卒業式前後の、みなそれぞれに進路が決まって、物足りないような落ち着かないような微妙な空気感があった日々がなんとなくうかんでくる。
当時一番気になってた子とは遠く離れてしまうからコクる計画しようとか、内心二番手の子は同じ大学だからそちらに動きはじめようかとか、今のメンバーでのマージャンうちおさめになるのかなとか、いろいろと日本の未来について思い描いていた日々。
高校の友人は一生つきあう仲間になると言われるほどには、その後つきあってないけれど、何かの機会に会えれば、多少ぎこちなくではあるが話はできるし、むしろ長い年月が経った今の方が親近感がわくような気がする。
若いころって(いまももちろん若いけど)、なんやかや言ってみんなぎらぎらしてた。
高校時代を懐かしがっているひまはなかった。
何者かになれるはずだともがきくるしんでいた。
ただ、絵に描いたような成功として扱われるような人生を送る者も、大多数のそうでない者も、本当のところではそんなにかわんないかなと思えるぐらいの年代になった今、同世代の人間にはふつうに親近感をおぼえるようになった。羨望やライバル意識が皆無とは言えないし、悟ったわけではないけれど、柔らかなまなざしを同級生たちに向けることができる。
同級生、同窓生だけでなく、同世代全体に対してまで、何か「戦友」的な感覚があるかもしれない。
あいつも、あの子も、いろいろあったんだろうなと思えるようになったからだ。
なかでも子育てを終えた感は大きい。もうしばらくは稼がないといけないけど、入試も終わったし、部活や勉強で悩んでる様子をみて親って何もできないなと悩むこともないし、お弁当づくりも終わったし、いじめられてないかな、不良になってないかなとも心配しないし。
そんなことを気にしながらも自分の仕事についてもあれこれもがき苦しみながら過ごしてきた年月を思うと、途中経過や現時点での結果に関係なく、同じぐらいの年数を生きてきた同世代に対して抱く連帯感はある。
それは同世代、もしくは同世代に近い、本日ご来校された保護者のみなさまにも同じだ。
みんなさ、けっこう頑張ってきたよ。
けっこう日本をささえてんじゃね? われわれって。
おつかれさまでした。