水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

経験(2)

2013年03月14日 | 学年だよりなど

 学年だより「経験2」

 頑張ってもうまくいかないことは山ほどある。
 世の中に出たら、むしろそれが普通なくらいだ。
 ただし、勉強については、努力した分がかなりの割合で結果になって表れる。
 先日、マンガ「ドラゴン桜」の「桜木先生」から受験生へのメッセージが新聞に載っていた。


 ~ 「本番」が近づくと、人はつい弱気になったり、失敗したときの言い訳を考えてしまう。「受験勉強なんて何の役に立つの?」「試験が人生のすべてじゃないんだし……」などと。
 一見まっとうな疑問に聞こえるが、よく考えてみろ。じゃあ、すぐ使える知識や技術ばかりを仕入れたいのか? そんなものはどうせすぐ役立たなくなるし、応用範囲も限られる。覚えたときはどう役に立つかわからないような、知識こそ、その後の人生で広く、長く使える武器となってくれる。
 知識はものを考える土台だ。深い考察をするときには、まとまった量の知識がどうしても必要になる。おとなになって知識の蓄積が足りないと気づいたってもう遅い。受験のためだろうとなんだろうと、とことん知識を詰め込んだ経験は、あとで必ず効いてくる。「ああ、ラッキーだった」と思うはずだぞ。
 試験の合否が人生のすべてじゃないというのも、その通り。が、だからといって受験に全力で立ち向かわないのはおかしい。そもそも受験とは、公平でオープンなシステムだ。社会に出れば面接や縁故や相性……、自分が評価される尺度は曖昧になっていく。対して受験は、獲得した点数で合否がはっきり決まり、過去の出題も公開されている。ルールが明快な「ゲーム」だ。結果を出すには、地道に努力しさえすればいい。そう、受験で問われているのは、その人に努力を継続する資質があるかどうかだけなのだ。
 受験のルールに則って挑戦すると決めたのなら、つべこベ言わず全力を尽くせ。後ろ向きな姿勢では、何かを得ることなんてできないぞ。 (ドラゴン桜受験生応援企画 龍山高校特進クラス担任 桜木健二のことば「朝日新聞2月9日」) ~


 生きることは、何らかの経験を積み重ねていくことだ。
 ただし、その経験の「質」はやはり問題になってくるだろう。
 人は生きているだけで幸せだ、そのこと自体を感謝しなければならないと、よく言われる。
 しかし、だからといって漫然と日々を過ごすだけなら、それは生に対する感謝を持った生き方とは言えない。少しでもよく生きようとしてはじめて感謝の気持ちは本物になる。
 もしかしたら、どんな種類の経験を積むかよりも、その質をどれだけ高められたかの方が大事なのかもしれない。対象がなんであれ、「つべこべ言わず全力を尽くす」経験を積むことで、人は経験値を高める。前の号で書いたように、経験値を高めることは精神的に成長することだから、自分の成長自体が他人のためにいかされることになる。そういう成長の仕方こそが本当の成長だと思う。

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3月14日

2013年03月14日 | 日々のあれこれ

 合宿初日は、2部のお芝居の読み合わせ、演奏とのあわせ、3年生のソロの確認でほぼ一日費やした。
 最近まじめな曲をやってないので、少し不安だ。
 夕飯はトンカツにショウガ焼き、スパゲッティサラダというヤング向きメニュー。ショーガ焼きというか味噌味の方が強かったかな。日本酒がほしかった。
 夜、春休みの宿題一覧をまとめ、学年だよりを書く。
 ちょっと疲れたのもあり、引用が長めになった。それでも「天声人語」よりは中身があると思う。
 たとえば先日の東京大空襲の日、「戦中派には恨み重なるB29を、昨今の若者は濃い鉛筆のことか?と問うそうだ。」なんて書く。なめてんじゃね?
 最近の若者を見てて、おバカだなあと思うことはあるし、電車の中での傍若無人ぶりにいらつくときもある。
 でも、それ言い出したら大人もひどいからなあ。部活でもまれに大声で怒鳴ることはあるけど、基本は敬意をもって接しているつもりだ。毎日休まず練習に来るというだけでも、部活を続けられなかった自分よりエラいのは間違いないし。
 「話半分に聞くにせよ、いまや戦後生まれがほぼ8割を占めるのは事実である。」と続く。
 「話半分」て何を半分?
 今の若者のうち半数は、「B29」と聞くと濃い鉛筆のことと理解する、って天声人語氏は思っておられるのだ。
 そこまで若者を小馬鹿にした書き方をおれはできない。
 「天声人語」(しかし「天声」ってすごいね)を書き写して文章の書き方を身につけましょうという教材もあるが、自分の品性を保つためにもやめといたほうがいいと思う。
 小論文の勉強の仕方を聞かれて、「天声人語」や「社説」の要約をするといいと答える国語の先生が今もいらっしゃるならば、ちょっと敬遠しといた方が無難だろう。

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