学年だより「経験2」
頑張ってもうまくいかないことは山ほどある。
世の中に出たら、むしろそれが普通なくらいだ。
ただし、勉強については、努力した分がかなりの割合で結果になって表れる。
先日、マンガ「ドラゴン桜」の「桜木先生」から受験生へのメッセージが新聞に載っていた。
~ 「本番」が近づくと、人はつい弱気になったり、失敗したときの言い訳を考えてしまう。「受験勉強なんて何の役に立つの?」「試験が人生のすべてじゃないんだし……」などと。
一見まっとうな疑問に聞こえるが、よく考えてみろ。じゃあ、すぐ使える知識や技術ばかりを仕入れたいのか? そんなものはどうせすぐ役立たなくなるし、応用範囲も限られる。覚えたときはどう役に立つかわからないような、知識こそ、その後の人生で広く、長く使える武器となってくれる。
知識はものを考える土台だ。深い考察をするときには、まとまった量の知識がどうしても必要になる。おとなになって知識の蓄積が足りないと気づいたってもう遅い。受験のためだろうとなんだろうと、とことん知識を詰め込んだ経験は、あとで必ず効いてくる。「ああ、ラッキーだった」と思うはずだぞ。
試験の合否が人生のすべてじゃないというのも、その通り。が、だからといって受験に全力で立ち向かわないのはおかしい。そもそも受験とは、公平でオープンなシステムだ。社会に出れば面接や縁故や相性……、自分が評価される尺度は曖昧になっていく。対して受験は、獲得した点数で合否がはっきり決まり、過去の出題も公開されている。ルールが明快な「ゲーム」だ。結果を出すには、地道に努力しさえすればいい。そう、受験で問われているのは、その人に努力を継続する資質があるかどうかだけなのだ。
受験のルールに則って挑戦すると決めたのなら、つべこベ言わず全力を尽くせ。後ろ向きな姿勢では、何かを得ることなんてできないぞ。 (ドラゴン桜受験生応援企画 龍山高校特進クラス担任 桜木健二のことば「朝日新聞2月9日」) ~
生きることは、何らかの経験を積み重ねていくことだ。
ただし、その経験の「質」はやはり問題になってくるだろう。
人は生きているだけで幸せだ、そのこと自体を感謝しなければならないと、よく言われる。
しかし、だからといって漫然と日々を過ごすだけなら、それは生に対する感謝を持った生き方とは言えない。少しでもよく生きようとしてはじめて感謝の気持ちは本物になる。
もしかしたら、どんな種類の経験を積むかよりも、その質をどれだけ高められたかの方が大事なのかもしれない。対象がなんであれ、「つべこべ言わず全力を尽くす」経験を積むことで、人は経験値を高める。前の号で書いたように、経験値を高めることは精神的に成長することだから、自分の成長自体が他人のためにいかされることになる。そういう成長の仕方こそが本当の成長だと思う。