水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

アニバーサリー

2013年03月28日 | おすすめの本・CD

 窪美澄『アニバーサリー』は、冒頭で二人の女性が出会おうとする場面が描かれ、すぐに、そのうちの一人の生い立ちが語られ始める。昭和十年、東京の下町に生まれた晶子は、両親や三人の兄に大事にされながら何不自由なく育っていった。しかし、戦争が晶子の生活を一変させた。疎開による家族との別れ、終戦後の親友との別れや生活の苦労、結婚して東京を離れて子どもを産み、家庭を顧みない夫との生活と子育ての苦労。死別と流産。そしてだんだんと自分なりの仕事や存在価値を見いだしていく過程。昭和から平成を生きた一人の女の人生としてこの第一章だけで十分読み応えがある。
 昭和五十五年生まれの平原真菜は、幼いころ母親が料理研究家としてブレイクしはじめ、小学校卒業まで家政婦の宮崎さんに育てられる日々を過ごした。母親の望む私立中学には合格できず、母親が毎日つくってタッパーにいれておく食事が食べられなくなる。早くこの世が消えてなくなればいいと願いながら、援助交際に身を任せる高校時代。カメラマンになろうと志し、師匠との子どもを身ごもり一人で育てて決意するまでの様子が描かれる第二章は、やや類型的に過ぎないかとちょっとだけ思ったけど、女の子のひりひりした孤独感が伝わってきた。
 まったく接点のないような二人の人生が、2011年の3月11日に交差する。

 y=x+2の直線と、y=2x-6の直線は、(8,10)で交差する。
 人と人との出会いは、二つの線が交差する点のようだと書きたかったのだけど、精一杯がんばって、この式しか書けなかった。せめて片方は曲線にしたかったよぉ。
 関数を表す線は、一点で交差すると再びそれぞれ自分の道を進んでいく。
 人と人は、別々の人生を生きてきて、ある一点で交差したとき、それまでの軌跡の延長上とは異なる人生を歩みはじめる場合がある。
 式で言うと、その点以降は傾きが変わるみたいに。
 傾きを変えるような交差の仕方を、われわれは出会いと呼ぶのではないか(やった! まとまった)。

 窪美澄氏は、交差前の二本の線の軌跡をこれでもかと描く。
 だから、交差後なぜその二本が傾きを変えざるを得ないかも、必然性をもってせまってくる。
 いや、読者としては、交差する必然性さえいつのまにか見いだしながら読み進めているかな。
 出会いはさらに、血縁を超えた結びつきに発展していく場合があることは、窪氏は今までにも描いてきた。『ふがいない』でも『くじら』でも。
 考えてみれば、男女のほれたはれたは、赤の他人同士が何のゆえにか結びついて、時に生涯をともにまでしてしまうことになるわけだし、逆に親子だからといって無条件に絆が存在するわけではない。血がつながっているからなおさら一緒になんかいたくない関係なんてのはざらにある。
 
 戦後すぐ別れることになった千代子と、晶子はある偶然で再会する。彼女はまた別種の苦労を重ね、自分の子をもうけることはなかった。
 真菜は、震災後の不安のなかで、もう女が迷いもなく子どもを産める時代は来なくなったとの思いを抱きながら、絵莉菜を出産した。
 この四人が家族のように寄り添っていく最後の場面に、光を差しているように思えた。


 ~ 「こんな可愛い子に、私みたいな苦労はさせたくないねぇ」
 目をぱっちり開けて、千代子のほうを見ている絵莉菜に向かって、千代子がしみじみと言った。
「 … でも。この子は生まれたときから苦労続きです。父親もいないし、地震も続いているし、原発も。人生の始まりから、茨の道を歩かせているんじゃないかと不安になります」
 真菜の顔を見て、千代子が笑い出す。
「 … あなた、ほんと馬鹿だねぇ。そんなこと言ったって、今さら、この子の人生、無しにはできないじゃない」
 絵莉菜が小さな口を開けて、またぐずり始める。真菜はシャツのボタンを外し、乳房を口にふくませた。
「どんなにひどい世の中だって、親がいなくたって、子どもは育っていくわよ。その子の親は、あなたしかいないんだから、あなたが育てたいように育てればいいじゃない。あの人にしてもらいたかったこと、その子にしてやればいいんじゃないの」
  …
「だけどね、あなたが正しいと思ってしてあげたことだって、この子は嫌がるかもしれないよ。いくら親が愛情だと思って、子どもに差し出したって、子どもは毒に感じることだってあるんだから。その子もいつか、母親を憎むかもしれない。 … あなたみたいに。 … でも、それでいいのよ。そうやって続いていくんだから」 (窪美澄『アニバーサリー』)~

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