「有吉・マツコの怒り新党」の「三大○○」というコーナーは、もう少し短い尺でいいかなと思うこともあるが、昨夜のはよかった。
スルヤ・ボナリーという、女子フィギュアスケート選手のお話。
フランス国籍の黒人選手で、抜群の身体能力をもち、両親を知らずに育った幼い頃から体操競技に親しみ、フィギュアスケートを始めるや、めきめきと頭角を現す。
はじめて四回転ジャンプを成功したのも彼女だったが、そのときは回転不足とのジャッジで四回転は認められなかった。20年ぐらい前の話だから、いかに突出した技術をもっていたかがわかる。
ただし、つねに芸術点が伸びなかった。
いつ変わったか覚えてないけど、昔のジャッジはわかりやすかった。技術点、芸術点のそれぞれを、審査員が6点満点でつけていく。
「5.4、5.6 … (ファイフォー、ファイブシックス … )」って読み上げるのを一度はまねしたよね。
たとえばソ連と西ドイツの選手が争っていると、ソ連と西ドイツの審判は、それぞれ相手国の点数を低くして、自分の国の選手を高くする。
今思うと、なんと人間的な審査方法だったのだろう。
ただし、近代スポーツの採点としては問題が多いとみんな思ったからこそ、今の方式になったのだ。
この問題は、早稲田にスポーツ科学部の小論文の練習になるはずだ。
そんな時代だから、やたら技術の高い黒人選手に、芸術点がつかなかったのは当然だともいえる。
日本人でさえ、西洋発祥のいろんな競技において、さまざまな不遇な目にあってきたのだから。
「スルヤ・ボナリー、異端の女子スケート選手の三大なんとか」だった。
つねに金メダル候補と言われながら、大会ではとくに芸術点が伸び悩む。
あまりに低い審査点に抗議して銀メダルをはずしてしまったこともあった。
そして、現役最後の試合、長野オリンピックでは、フリーにのぞむときすでにメダル圏外だった。
彼女が最後に見せたのは、危険度が高く禁止されているバク転。度肝をぬかれた観客はやんやの喝采をおくるものの、審査員は4.9とかつける。
わずか数分間で知ったボナリーさんの選手生活だが、泣けた。最後に自分を貫いて意地を見せたところはとくに。
それでVTRがおわってスタジオになったら、マツコさんと夏目ちゃんが泣いてる。
マツコさんも、夏目ちゃんも「異端」の彼女の気持ちがいたいほどわかる人生送ってるんだよなと思ったら、また泣けた。
こういうのを道徳の教材にしないといけないなあ。