読売新聞で、山崎正和先生の教育についての提言を読んだ。
低学力、学力格差といった問題を生んだ大元として、戦後教育のあり方からふりかえる。
戦後教育の特徴の一つに「つめこみ教育」批判があり、生徒の自主性、創造性を奨励したが、この考えが間違った方向にすすんだのではないかと。
自主性、主体性を第一とする前に、必要な基礎知識をつめこむことが大事だと述べられる。
ここまでの議論は、同じ趣旨の意見をいくつか見た事がある。
「そして、つめこみが何より有効なのが、実は道徳分野なのである。」
という一文には、深く納得した。
愛国心とか親孝行とか「考え」を教えることではなく、挨拶、そうじといった具体的行為を習慣として身につけさせた先委、自然と他人を思う気持ちや、倫理観は養われるという。
やるべきことと思っていること、やろうとしていることは間違ってないなと思う。
学年だより「五つの約束」
今年を実り多き一年にするために、昨年に引き続いて、次の五項目については学年の目標として徹底していこう。
~ 1 あいさつをする 2 ボタンをしめる 3 ゴミはそのつど捨てる 4 勉強道具を床におかない 5 騒がない ~
1 あいさつをする
人としてふるまうための最も基本の行いがあいさつである。
大げさな言い方に聞こえると思うが、われわれ人間は、一人では生きていけないし、社会的存在たり得ない。
人は複数で生活してはじめて、生物ではなく人間になれるし、文化的な生を送ることができる。
自分と他人とが共存するとは、それぞれが相手の存在を認めることである。
その人の存在を意図的に認めない行為が、「いじめ」として非難されるべき行いであることも、みんなは知っているはずだ。
相手の存在を認めるための一番基本的な行為が「あいさつ」である。
そんな理屈を言わなくてもわかってますよ、と思う人が多いかもしれない。
昨年から見ていて、みんなよくあいさつしてくれるから。
ぜひ今年度も続けてほしい。昨年以上にあいさつできるようになってほしい。
「こんにちは」と教室に入っていく私達をシカトしないでほしい。
あいさつにはもうひとつの働きがある。
それは、自分の気持ちを盛り上げることだ。
どんな時間帯でも「おはようございます」と元気よく現場に入っていくことが芸能人の掟であることはよく知られているが、それは現場のテンションを下げないためであり、その仕事に入っていく自分のテンションを気分をあげるためのものである。
運動部の人は、練習中に声を出してテンションをあげていると思う。
授業も同じだ。まずは「おねがいしますっ!」と声を出すことで、「よし、やるぞ!」という気持ちになれる。
われわれ教員も気持ちよく授業に入れるから、お互い様だ。
粉飾決算の罪で服役して先日仮釈放された堀江貴行氏が、メルマガの中でこう述べていた。
読者の質問に答えるコーナーがあるのだが、ある読者が質問する。
「会ってみたら『意外といい人だった』という有名人は誰ですか?」
~ A 大概よい人たちですよ。悪人はなかなか有名人にはなれません。 ~
あいさつ一つできない人が、自分の夢に近づけるはずがないのは言うまでもない。