水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

俺はまだ本気出してないだけ

2013年07月02日 | 演奏会・映画など

 一時間目のクラスで、教壇のすぐそばの生徒さんが、かえってきた模試の結果を見てた。
 ちらっと見て「やばくね?」と声をかけると、「ですよね。先生こんな感じでも、大学行けますか?」
 「やばいって思って今からやり始めたら、ぜんぜん余裕だから」
 「がんばろうかなあ」
 そうそう、おれも昔、そう思ってたよ。
 でも高校2年のときに心入れ替えて勉強をし始めたかと言えば、そうではなかった。
 さすがに高校3年の後半は少しはやった気がする。
 それでも、「いいかげん、やばくね?」的な声が常に聞こえていた。
 で、その後どうなったか。大学でも、そろそろ本気出して勉強しようかと思いながら、のんべんだらりと六年通い、就職してからも少しは勉強したけど(切羽詰まっていたので)、いまだに「そろそろ、やばくね」って声が時折聞こえる。

 映画は、大黒シズオの内面をイメージ化したシーンから始まる。
 「神様」的風体の堤真一が、シズオに向かって語りかける。
 「やばくね?」「いいかげん、やばいっしょ」
 42歳にして勤めていた会社を辞め、漫画家の道を目指し始めたシズオ。
 かといって、ひたすらマンガを描き続けるわけではなく、テレビゲームに興じたり、朝酒してしまったり。
 First Kitchenでバイトをして、小遣い程度は稼ぐ日々。
 高校生の娘が一人。奥さんどうしたんだっけ?
 同居する父親の年金が大黒家の一番の収入源だろうと思われる家族状況。
 誰が見てもやばい。
 その年で漫画家目指すと言ってること自体、傍(はた)から見たらイタい。かたはらいたし。
 バイト先では年齢ゆえに「店長」とあだ名で呼ばれるが、20代の本当の店長からは叱られるわ、バイト仲間に誘われて行った合コンで若いおねえちゃんから「ちゃんとした方がいい」と言われるわ。
 ただ … 、不思議と不幸には見えないのだ。コミック読んでたときも同じ感覚だった。
 なんでだろう。
 かりにシズオが現実の友人だったりしたら、どうだろう。
 生瀬さん演じる友人の宮田が、「おれ、おまえがうらやましいよ」と呑みながらつぶやくシーンにはげしく同意してしまったが、そんな目で見るような気がする。
 自分のやっていることが100%正しく、何のまちがいもなく日々を過ごしているという確信のある人って、たとえば100人のうち何人ぐらいいるのだろう。
 商売柄「自信をもってやるべきことをやれ、道は開ける!」と時々語る。
 一方で、まあ、人生ちゅうもんはなかなか思い通りにはいかへんからねと思う自分もいる。
 かりに、すべてがうまくいく人生があったとしたら、かえってつまんなくない? てか、あきんじゃね?
 シズオを見てて感じる不思議な愛おしさは、たぶん自分の人生に対するそれだ。
 大人になればなるほど、しみてくる作品だろう。 

 あ、不幸に見えない明らかな理由はあった。
 娘と父親の存在だ。
 友人だったら、「おまえはいいよな」と言ってられるけど、一緒にくらす家族だとそうも言ってられない。
 父親はシズオに愛想をつかしながら見捨てないし、娘の橋本愛ちゃんはグレたっておかしくないのに、けなげに家事をこなす。
 人柄なのかな。
 実は娘の鈴子には、コミック5巻で描かれた厳しい現実がある。
 二時間の尺で、そこまで描くのは難しかっただろうが、その背景を知ってる身には、彼女の笑顔を見るだけで泣けてくる。それにしても自分が語る必要など何もないけど、すごい女優さんだ。
 編集者の浜田岳くんも、やる気はないけどちょっと怖い感じの若者の山田孝之くんも、実力を発揮しまくっていたし、マニアックなことを言うと看護婦役でちらっと出た池谷のぶえさんまで、ぴたっとはまっていた。これが日本映画の真骨頂だと思えるくらい愛おしい作品だ。
 まさかこんな映画になるなんて … と一番感慨深いのは、おそらく原作者の青野春秋さんだと思う。

 ああ、続編観たい。コミック番外編「俺はもっと本気だしてないだけ」に、本気でシズオを好きになる女の子が登場する。ブックデザイナーの上野マキ。この役はぜひとも成海璃子さまにおねがいして、続編つくってくれないだろうか、福田雄一監督。

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7月2日

2013年07月02日 | 学年だよりなど

  学年だより「皿回し」

 「ものがなかなか覚えられない」「自分は暗記が苦手だ」という人でも、たとえば親の顔を覚えられない人はいないはずだし、自分のなまえを言えない人はいない。
 しつこいようだが、暗記は繰り返しだ。
 個人的な脳のキャパシティの問題とか、機能の問題ではない。
 繰り返しインプットされる情報は重要と判断するように、生き物として設定されているのだ。
 キムタツ先生は『ユメタン』についてこう述べる。


 ~ 僕はこの単語集を作るときに、ある落ち着きのない脳科学者の本をたくさん読みました。彼の本には、「人間の脳は、記憶するために新情報が入ってくると旧情報を押し出す」と書いてありました。月曜日に1〜10、火曜日に11〜20、水曜日に21〜30と10個ずつというのは、まったく力のつかないやり方だということが判明したのです。
 新情報が入ってくると旧情報が押し出される。だから旧情報をなんぼ覚えてもだめなんです。ただ、旧情報が“鉄板”になる条件があって、その覚えようとする情報が、個人のサバイバルにかかわるものだと脳が認識した場合は忘れないのだそうです。effort、dawn、supplyなんて単語はサバイバルにかかわるのでしょうか? 実は脳は何度も入ってくる情報に関しては、けっこう簡単にサバイバルに関係あると誤解してくれるのだそうです。「もしかしたら、こいつを忘れたら死ぬんじゃないか?」とね。
 だから僕は、生徒にいつも「テストに出るから覚えなきゃなんて思ってやってもつまらない。脳をだますゲームだと思って何回も口に出してみろ」と言っているのです。 (木村達哉「灘高は英単語をこう教えている」東洋経済ONLINE) ~


 効果的に「脳をだます」ためにも、目で見て、手で書いて、音声を聞いて、声に出して言ってみてという作業が大切になる。
 覚えられないのは、純粋にその作業量が不足しているだけだ。
 ただし、十分な作業量があって、自分ではしっかり覚えたつもりでも、そのままほおっておくといつの間にか記憶がなくなってしまう。
 これは倉庫の奥深くにしまわれてしまった状態だ。
 せっかく長期記憶化させた事柄は、繰り返しアクセスし、使える状態にしておかねばならない。
 新しい内容を勉強したら、それによって前に覚えたことを押し出してしまうのではなく、それらがつながっていくようなメンテナンスをしていく必要がある。
 最初に回し初めた「皿回し」のお皿が落ちないようにしながら、どんどん新しい皿をまわしていくのが、おおまかな勉強のイメージだと思えばいい。
 皿を落とさないためにも、前号で書いたように応用問題を解くことが大切だ。
 応用問題はスポーツで言えばゲームにあたる。基本的な動きを無意識に使えるようにする「素振り」の練習と、実際にそれを使う「試合」の両方が勉強には必要だ。

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