週刊文春のクドカンの連載に、「嵐のワクワク学校2013」に行ったという話が書いてあった。
「あまちゃん」を書き上げた後体調を崩し、仕事を忘れて家族サービスしてきなさいと奥さんに言われ、娘さんとでかけてきたという。
嵐のコンサートではない。メンバー5人が先生になって、ファンに講義を行うイベントだ。
クドカンさんも書いてるが、そういうイベントを、東京ドームに五万人集めて出来てしまうとこが嵐のすごさだろう。チケットもライブと同じくらい手に入りにくかったんじゃないかな。
松潤さんが、二十歳のとき10年後の自分にあてて書いた手紙に心打たれたという。
「まだ芸能界にいますか?」
という一文があったんだって。
「いる」なんてもんではない。占拠してるといっていいぐらいだ。
しかし若いころは、松本くんですらそんな覚悟で仕事していたのだ。
そう思うと、あらためてアイドルやら芸能界やらの世界の大変さに、気付かされる。
指揮台にのぼりはじめた十数年前、今の自分あてに手紙を書いてたらどんなことを書いたかな。
「まだ吹奏楽の顧問やってますか?」
やってるよ、あいかわらず。学校もつぶれず、解雇もされず、好きにやらせてもらってるから。
たいした指導もできてないのに、ついてきてくれる部員にも恵まれてるし、こまったときは助けてくれる友達もできてるから心配しなくていいよ。
ただ、普門館とか、笑ってこらえてとか、そんな話にはならないから。
嵐のこの10年の成長に比べて、こどもができたこと以外になんの成長も自分はしていない、とクドカンは自分のことを書く。
そんなことはないでしょ。本気で言ってる? ひょっとしたら本気かもしれない。
男30歳から40歳過ぎの期間において、自分は中身がすごい成長したと言い切れる男子はたぶんそんなにはいないから、そういう感覚かもしれない。
しかし、クドカンさんは「あまちゃん」を書き切ったではないか。
この先どう展開するかわからないけど、あまちゃんフィーバー(この言い方古いかな)はますます盛り上がるだろう。連続テレビ小説の、いやテレビドラマの歴史に残る作品として語り継がれるものになることは間違いない。
この先ももちろんいい作品をつくりあげていく方だろうが、「あまちゃん」は、業田良家氏における『自虐の詩』の位置づけのような大作になるにちがいない。
だから、三日分かな、観てなくてたまっているのを、はやくみたい。