水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

零戦

2013年07月26日 | 日々のあれこれ

 夏期講習は第2クールに入った。昨日までと同じ教材なので気持ち的に少し楽だ。
 1時間目、「ロビンソンクルーソー」という小説は今こそ読む価値のある作品だ、なぜなら … 、という評論文を読む。
 「ロビンソン漂流記」って読んだことある人? しーん。
 だよなあ。先生が小学校とか中学校のときは、けっこうみんな読んだもんだけどなあ、そっか、今読まないか。
 「ロビンソンクルーソー」は一般に無人島の物語として知られているが … とその評論は始まる。
 いいですか、評論文とは筆者の主張が述べてある文章だよね、主張というのは、他の人とは考えが違うときにするもんでしょ。
 一般的にはこう言われている、世間の常識ではこう考えられている、しかし自分の考えはこうだ、という内容が筆者の主張になるのです。
 だから、あるテーマについて語られはじめたら、それについての「一般論」「常識」は何かを考えよう。するとその反対側の意見が筆者の主張だからね、的な話を評論を解く最初にすることが多い。
 ただ、「一般的」見解がどういうものかについて、なかなか共通の土俵にあがれないことも多いのが現状だ。
 だから、「最近の高校生は一般常識を知らない、世の中のことを知らない」とか、すぐ言いたくなってしまうけど、高校生の側からすれば「先生たちは、ほんと世の流行にうといなあ」と思ってるのかもしれない。

 だれかの(水道橋博士かな)メルマガに書いてあったけど、映画「風立ちぬ」は零戦を設計した人のお話なんだよ、って若者に語ったら「ゼロセンて何ですか?」とかえってきたという。
 一般的な高校生の感覚ってどんな感じなんだろ。最も近いところにいる自分が言うのもなんだが。
 週明けの講習できいてみようかな。
 太平洋戦争って知ってますか? って。堀辰雄知ってますか? これは知らないだろうな。
 「風立ちぬ」という松田聖子の曲知ってますか? これもきびしいなあ。
 でも大人だって、零戦をつくった堀なにがしさんを知らない人の方が多いし、小説「風立ちぬ」を読んだことある人に、街を歩いていて出会う確率は限りなく少ない。
 一般常識とか、教養とか、そういうものを設定するのが難しい時代になりつつあるんだろう。

 午後は、部活。応援の合間をぬっての(笑)貴重な練習だ。
 本番が近づいたD部門に出場するチームの、入場からの通しをする。
 とりあえず入場してきてごらんと言って歩かせてみると、足下がおぼつかない。
 前の本番はいかに先輩にたよって歩いてたかがばればれだ。
 今の入場のしかただと、審査員の先生は曲を聴く前に最低点をつけるぞ! とげきをとばし、上級生に指導を頼む。
 Aチームは、テンポをおとしてハーモニーや音形の確認を中心に。適当だった箇所がいくつもみつかった。
 残って文化祭の曲決めしていいですか? と言われ、いいよと答える。
 目の前の野球応援、すぐに訪れるコンクール、文化祭、男祭り … 、盛りだくさんな日々だ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする