水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

9月3日

2013年09月03日 | 学年だよりなど

  学年だより「島はぼくらと」

 この夏(ここ何年かのベストと言ってもいいかもしれない)最も心動かされた小説を紹介したい。
 辻村深月氏『島はぼくらと』は、瀬戸内海に浮かぶ架空の島「冴島」を舞台にした物語だ。
 母と祖母の女三代で暮らす、伸びやかな少女、朱里。美人で気が強い、網元の一人娘、衣花。
 父のIターンで、幼い頃東京からやってきた源樹。演劇が大好きで、自分で脚本も書き、演劇部に在籍していながら、ほとんど練習に出られない新。この4人の高校生が主人公である。
 毎朝、毎夕、4人はフェリーに20分乗って本土の高校に通っている。


 ~ 人口三千人弱の島に、中学校まではあるものの、高校はない。朱里たち島の子どもは、中学を卒業すると同時にフェリーで本土の高校に通うことになるわけだが、その時に、諦めなければならないことがあった。 … 朱里と、衣花、新、源樹の四人は、ともに冴島で育った同学年で、高校二年生だ。そして本土と島を繋ぐ最終便の直通フェリーは午後四時十分。
 そのせいで、島の子どもたちは部活に入れない。 (辻村深月氏『島はぼくらと』講談社) ~


  冴島の子ども達は、「熱闘甲子園」にも「笑ってこらえて」にもでられない。勉強と部活という意味での「文武両道」は諦めざるを得ないのだ。
 そして高校を卒業すると同時に、島を出て暮らすのか、島に残るのかの選択に迫られる。
 島に生まれた子どもたちは、高校での部活動を諦め、大学に進むためには島での暮らしを諦める。
 島に残る人生を選んだ者は、会社勤めとか、盛り場で遊ぶとか都会的な暮らしを諦める。
 自宅から大学に通い、そのまま就活をして、通うの大変だけどしばらくは自宅から通勤しようか … 、というような人生を想定できるみなさんには、ぴんとこない感覚だろう。
 しかし考えてみると、関東近辺をのぞけば、同じような選択を迫られる高校生は、実は日本中ではかなりの比率に達する。それなりの大学に通おうと思えば、自宅を離れざるをえない地域がほとんどだから。
 冴島で生まれた子ども達は、島で生まれ育った以上いろんなタイミングで「諦める」べきものが設定されていて、本土の子ども達よりも早く、そして強く覚悟を決めることになる。
 それは子どもから大人になるということでもある。
 都会で暮らしている人たちのように、いつまでも子どもか大人か判別のつかないようなメンタリティでは生きていけないのだ。
 だからこそ、島の子ども達がこどもから大人へ覚悟を決めて踏み出していかねばならない時期、つまり青春期のせつなさと愛おしさが、この物語から伝わってくるのだろう。
 みなさんの高校生活は、あと一年半で終わりになる。
 長い人生のなかの、たかが一年半、という感覚の人もいるかもしれない。
 一年半しかないとか言われても、いやいや長いでしょ、と思うかもしれない。
 しかし、有限である人の一生の、さらに限定されたこの残り一年半を、どれほど愛おしいものにできるかどうか。それはどの程度覚悟できるかにかかっているのだろうと思う。

 

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