舞台は1961年のロンドン。1961年といえば、今は亡きダイアナ妃が生まれた年だ。カールルイス、オバマ、そして日本では佐渡裕とこの私が生まれた年でもある。
郷里の実家では、この年テレビが入った。
16歳のヒロインがチェロをかかえて学校から帰宅する途中、30歳すぎの紳士がスポーツカーをとめて、そのチェロだけでも車に乗せないかと声をかける。
それをきっかけに時々会うようになった二人。自分の知らない大人の世界をかいま見させてくれるそのおっさんに、ヒロインはどんどん心惹かれていく。
ちなみに恋に落ちるときってどんな状態なのでしょう。
そのほとんどは、憑きものが落ちるように醒めるものだけど、平生にもどっているのを自覚しながら、いろいろな物語をつくって、その状態を維持しようとするのが人間の脳の役割だろう。
映画の登場人物に一瞬にして心奪われる瞬間というのは数々ある。
「パッチギ」。沢尻エリカちゃんがキムチの壺をかかえて登場しながら親指をぺろっとなめる瞬間。
「ハナミズキ」。塾からの帰り道、待っている生田くんの方にゴメンて顔で駆けてくるガッキー。このシーンの設定が橋の上にもってくるというところに、監督さんの芸を感じる。
「武士道シックスティーン」。成海璃子との対決シーンで「見つけてくれてありがとう」と竹刀をかまえる北乃きいちゃん。
「スイングガールズ」。紙を息でふーっと吹きかけるときの本仮屋ユイカちゃん。
ただのエロおやじか!
そんな一瞬が、このおっさんにはとっては、どこだったのだろう。どこかにあったのかもしれないが、見逃したか。
「ここでいっちゃったな、このおやじ、気持ちわかるわ」みたいな一瞬がもっとはっきりわかるとよかった。
そうしたら、最初は年上の余裕みたく見えてるおっさんが、だんだんヒロインを手放したくなくなっておろおろする様子にもっと共感できたはずだ。
おっさん、おっさんてすいません。よく見かける有名な俳優さんであることは存じているのだが、カタカナは覚えられなくて。
今の生徒さんがたは、テレビや冷蔵庫や車のない暮らしは想像もできないだろう。
我が家にテレビが入った1961年。われわれが幼少から思春期を過ごす時期に、日本の社会はやはり大きく変わったんだろうなと思う。
日本の1961年が舞台だと、だいたいイメージがわくのだ。そのシーンは時代的にはおかしくないかと感じるような面もふくめて。
イギリス舞台だとそのへんがわからないのが残念だ。
だいたい、おっさんが、最初からただのエロおやじにしか見えないというところにも難がある。
たぶん西洋の人は、女子高生が恋に落ちてしまう可能性をもつ紳士として把握できるのだろうが、そこに違和感をもってしまうと、その後のめりこめないのはたしかだ。
邦画だったらもっとのめり込めたかな。たとえば下町の都立高校に通う女子高生。成績優秀な高校3年生、多部未華子ちゃんと、一見いい人で実は裏の顔ももつ宅間孝行でこの映画つくってもらったなら、すごく入り込めただろう。 いや、こうなったら邦画界の二大至宝、成海璃子嬢と堤真一さまでいこうか、ALWAYSの時代設定で撮ってもらう。これはすごい。
もし現代が舞台なら、ヒロインはレイプされシャブづけにされててにおかしくないような危険を実はおかしているのだが、そんな状況に陥らないのは、49年前の話だからか。