『新明解国語辞典』の広告を最近見かける。
「普通の辞書よりおもしろい」「読んで楽しい辞書」「ふみこんだ解釈、おもいきった説明」などと評されて、売れ行きも大変いいようだが、個人的にはこれを辞書と認める気持ちはない(どしたの? けんかごしで)。
有名なのは、「恋愛」の語釈で、第四版ではこう書いてあった。
~ れんあい【恋愛】特定の異性に特別の愛情をいだいて、二人だけで一緒に居たい、出来るなら合体したいという気持ちを持ちながら、それが、常にはかなえられないで、ひどく心を苦しめる・(まれにかなえられて歓喜する)状態。 ~
この第4版の時代のころからかな、赤瀬川源平『新解さんの謎』ほか、おもしろおかしく紹介する本が何冊もでて、それで有名になってここまで売れる辞書になったんじゃないかな。
この「恋愛」も「出来るなら合体したい」なんて露骨な、しかもほとんどの人にとっての真実が書いてあって、もちろんそれは従来の辞書にはないものであったために話題になり、好意的に受け止める人も多かった。
用例のおもしろさや偏向具合、独善的な語釈もおもしろいと言われた。
辞書をつくっている先生方はどこまで本気で書いていたのだろう。
学問的整合性とウケねらいの比率は、ご自身のなかでどの程度の割合だったのだろう。
何人もの先生方それぞれであるのだろうが、世間での評判が先生方を「いい気にさせた」ことは想像に難くない。
調子にのった方もいらっしゃるのではないか。
純粋に読み物として、『筒井版 悪魔の辞典』みたいな扱いで世に出るのならいいが、普通に国語辞書として世に問うものであるなら、「先生、まじめにやりましょう」って言いたくなる代物ではある。
その恋愛の語釈だが、最新版(第7版)からは、「合体したい(第4版)」、「肉体的な一体感も得たい(第5版)」という切実な思いは削られているみたいだ。
~ れんあい【恋愛】特定の異性に対して他の全てを犠牲にしても悔い無いと思い込むような愛情を抱き、常に相手のことを思っては、二人だけでいたい、二人だけの世界を分かち合いたいと願い、それがかなえられたと言っては喜び、ちょっとでも疑念を生じれば不安になるといった状態に身を置くこと。 ~
純粋に日本語上の疑問が二つある。
「かなえられたと言っては喜び」の「言っては」は、後半部の「といった状態」と同じに形式用言と扱うべきではないだろうか。いちいち「かなえられた!」と言いふらして歩く人ばかりではない。
「状態に身を置くこと」ってあるけど、ちがうんじゃないの。
ふつうは、「身が置かれてしまう」んじゃないのかな。
「よおし恋愛感情に身を置こう」ってみんな思ってから恋愛する?
そんな気がないのに、落ちてしまったり、そんな気を持ってはいけないのにそうなってしまったりするから、時に非常につらいのではないか。
しかも、どんなに辛くても表面上なんでもないようなふりをしてないといけない場合だって相当ある。
もっと言えば、「常に相手のことを思っては」とあるけど、「常に」はないっしょ。
それじゃ、色ぼけじゃん。みんな勉強も仕事もあるんだよ。
高校生ぐらいのときって、「常に」が可能かもしれないけど、「やべえ、おれあいつのことしか考えてない、24時間考えてる」というヤツでも、目の前に置かれた牛丼大盛りをかきこむ時は一心不乱だ。
それはつけ麺テツでもいいし、ヨーロッパ軒のソースカツ丼でもいい。ただし吉野屋で最近発売された新豚丼は微妙だ。
この語釈だったらいっそ「肉体的欲望」を中心にすえるするこれまでの版の方が、より「恋愛」感情の実態に近いと思える。
読売新聞の広告には「凡人」の語釈がひかれていた。
~ ぼんじん【凡人】自らを高める努力を怠ったり功名心を持ち合わせなかったりして、他に対する影響力が皆無のまま一生を終える人。[家族の幸せや自己の保身を第一に考える庶民の意にも用いられる] ~
わるかったね。努力してなくて。
「上から目線」というのは、こういうのを言うのだろうか。
ちなみに辞書をつくってらっしゃる先生方って、年収どれくらい?
毎日書く文章量はたぶんおれより少ないことが予想されるのに1500万を優に超えている朝日新聞の論説委員の先生ほどではないだろうが、それに近いのかな。
悪かったね。家族の幸せ考えてて。
こっちはね、毎日朝から晩まで働いて、税金だってすっごく納めてるんだよ。何が悪いの、凡人で。
それにしても為政者は楽だ。こんな辞書があって、それが一番売れているというのは。
たくさんの人がたとえば「せんりょう【選良】選出された立派な人の意。代議士の異称。理想像を述べたもので現実は異なる」とか、「ぜんしょ【善処】政治家の用語としては、さし当たっては何の処置もしないことの表現にもちいられる」とか読んで溜飲を下げる。
こんな手のかからないガス抜きはない。
この辞書が売れることに文句はないけど、「こんなの辞書って言っちゃだめでしょ」という人を見かけないのが不思議だ。