玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

五人組の生き方

2021-04-23 14:25:13 | 

尤も驚かされた近現代史の本と言ったら、寺崎英成の『昭和天皇独白録』かも知れない。題名は文芸春秋社の社命をかけて付けたのだろう。単なる『昭和天皇回想録』なら買わなかったかも。

私の手元の単行本は1991年初版、一方、木下道雄の『側近日誌』は1990年初版である。しかし独白録の方は既に1990年12月号の「文芸春秋」に掲載済みなので両本も世に出たのは1990年ということになる。

となると、当然に1989年1月の昭和天皇崩御がこの種の本の解禁になったのは誰もが気づくことであろう。

本文を読み、解説を読むと頭がゴチャゴチャになるが、いつの頃から天皇の回想を聞いた「五人組」というフレーズが記憶されてしまう。

五人とは、松平慶民宮内大臣、木下道雄侍従次長、松平康昌総秩寮総裁、稲田周一内記部長、寺崎英成御用掛ということになる。

このうち、天皇崩御後に遺族から著作物が一切でなかったのは、両松平氏であった。松平春嶽系統の二人は死後一切の書き物は燃やしたそうである。天皇の藩屏たちの処し方、生き方であろう。

至上の忠義をもってお仕えしても、どこか割り切れなさを抱えて去った者の遺族はそれをいつか晴らしたいと思うのだろう。

いま、まだ「側近日誌」を読んでいる最中だが、気になったところがあった。

昭和21年4月27日

松平(慶民宮内)大臣来室、…(侍従次長)後任には稲田周一内記部長、予に退官を求む。予も快諾。

4月28日 退官のことを家内一堂に話す。【()内は補充】

戦後のどさくさの1年数カ月、侍従長の藤田尚徳は公職追放対象、次長として両役を勤めた。しかも、その10日前の4月18日には、侍従長の内示を受けていた。

この10日間で何が起きたのだろうか?

昭和天皇の不起訴がほぼ確定したこと。必死に努力をしたのは五人組だったが、そうでない人達も宮中の中に居たということかもしれない、…。或いは、又別の理由か、…。

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4人では危ない

2021-04-22 16:40:14 | ブツブツ

今日は、とても天気がいい。それだけでも気分がいい。この国は今まで何となく安全だったが、どうも最近はそうでもない。

頭の隅に「国家の緊急時に最少4人で決定できる」という事柄が気になった。確か「日本版NSC」とか報道された。最近の劣化政治家を見て、急に心配になったのだ。

国家安全保障会議の緊急時対応の4人は、議長(総理)、外務大臣、防衛大臣、官房長官の構成だった。

この設立時の時もAとSの二人が怖いと思った。現在の該当のメンツを浮かべると、誰一人信頼のおける人は居ないようだ。

それに彼らを支える官僚の資質能力もコロナ対応で馬脚をあらわした。困ったものである。

話はずれるが、先の大戦の時に人々はあのような天皇の言葉によって戦争が終了するとは思っていなかった、と云う。多くは、あの「放送」を本土上陸戦の集団自殺命令だと予想していた。

終戦という停戦に持ち込めた最大の理由は、「最高戦争指導者会議」の構成が6人だったことだと思っている。

陸海の大臣・総長の4人と外相と首相だった。米内海相がポツダム降伏通告の受諾の方向に転じたために、賛否同数で天皇が決定をできた。今はそういう天皇制ではない。

繰り返すが、4人はあまりに少なすぎる。悪いが能力資質が信頼できない。はたまた、多ければよいというものではないが、…。

そう言えば、コロナも4人以上は危ない!?

川の波紋・・・。

 

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この国の貧困化

2021-04-21 12:01:06 | 政治

ふと今回の首相訪米を見ると、やはりこの国はアメリカの属国という感がした。

思えば1951年9月に「サンフランシスコ講和条約」を結んで、独立し、主権を回復したというが、裏で吉田茂がたった一人で隠れるように米国陸軍第6兵団下士官クラブに行き、僅か5ヶ条の「日米安全保障条約」を締結した。

翌52年2月28日に「日米行政協定」が結ばれた。条約は国会で批准しなければならないが、政府間協定はその必要がないのだ。豊下はそれを「国民に閉ざされた条約」と言った。

この国が実際の独立を取り戻すのは、条約が発効される4月28にまで待たなければならなかった。

満を持して、4日後の1952年5月2日に昭和天皇を迎えて「全国戦没者追悼式」を新宿御苑で挙行した。やっと約7年間の日本占領が終了したのだが、その3年後の1955年 11月に自由党と日本民主党が合同し自由民主党ができる。

そこから、この国の55年体制は樹立される。その後70年近く自民党政権が続いた。

改めて、自民党とはアメリカの属国党なのではないか。

特にアメリカが民主党政権の時に強くそう感じるのだ。

バイデンの紺のスーツとレジメンタル・タイに対して、我が国の首相のドブネズミのような倭人スタイルはマッカーサー元帥と昭和天皇の写真を思い出させる。

主体性も、科学性もない、神頼みのコロナ対策では、早晩この国の政治は行き詰まるだろう。

対外的にはアメリカに従属し、国内的には戦前ながら政友会方式で地方に金を落として票を買ってくる政権基盤はこのコロナ禍でどこまで有効に機能するのだろうか。

実は、もうこの国にはお金がないのではないか!

日本銀行の黒田バズーカは実体のお金ではない。今や自民党政権は地方を、弱者を、切り離しにかかっている。それでは公明党も離れるだろう。そして、自民党は利権の取り合いで内部から崩壊していく。立民党は単なる議員の互助党だ。

政治家が国民を見てないことがみんなに解かってくるだろう。

政治が貧弱で、国民が貧乏になる。この国が戦後のどさくさのように、貧困や貧乏がすぐそばに現れてくるのかもしれない。今でも、周りをよく見ると、貧困の果ての浮浪の姿がチラチラと見えないだろうか、…。

 

 

(参照文献:豊下楢彦『安保条約の成立』岩波新書/孫崎享『戦後史の正体』/『語りつぐ昭和史〔5〕』朝日新聞社)

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空恐ろしい国になった

2021-04-20 11:05:27 | 時事

何にも確かなモノはないのにワクチンを貰えるとか、オリンピック開催の努力は支持されたという訳の解からん報道を繰り返すこの国のマスコミ。

報道の看板を外して普通の会社なりたいのだろう。その前に台湾や尖閣で平和国家の看板を外され、アメリカに従属する普通の軍事国家になれるよ。

共同記者会見で「専門家が日本が準備ができていないのにオリンピックをするのは無責任ではないか」の質問に、彼は全く答えず、「日本から、共同通信さん」と官房長官の癖で自国のメディアに振ってしまった。

開いた口が塞がらない。テレビや新聞ではこのことをちゃんと伝えているのだろうか?twitterで見て驚いてしまった。田舎の爺さんがホワイトハウスで村の掟の通りに振舞っているような感じだね。

たぶん戦時中の報道もこんなふうだったのだろうか。肝心なことは何も言わず、在りもしない勝った戦果ばかりを並べる。

まあ、我々はそろそろ長い旅に出るからいいけれど、若い人は可哀そう…、こんな國で。

今日は良い富士が見れました。

 

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参勤交代

2021-04-19 11:20:14 | 雑感

一番乗りしたのですから、さぞ誉められて立派なご褒美をもらってきたのでしょう。

絶句!です。今まで香港にも、ウィグルにも腰が引けて何も言えなかった弱腰政権がこれからどう対処するのでしょうか?

本当に自分の力量を知らないお爺さんには困ったものです。これで財界や産業界のお偉方にも今の切羽詰まった政治の貧困がわかったことでしょう。自由な言論も必要なのです。

それにしても、こういう結果が予想できない外務省も、総務相や財務省、厚労省と同じにうつけ者ばかりの忖度集団なのですか…。

最後に二人の前に大きなバーガーがありましたね。とても印象的でした。

あれを食べなかった理由は判りますよね。二人ともマスクを外すの恐かったのだと思うのですが、…。違いますか?

先週、晴れた日に海へ行きました。途中で買った弁当を食べようとしたんです。半分ぐらい食べたところで急いで仕舞いました。

実は頭上にトンビが数羽、弁当を狙っていました。仕舞った後もまだ2、3羽いました。コワ!

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