尤も驚かされた近現代史の本と言ったら、寺崎英成の『昭和天皇独白録』かも知れない。題名は文芸春秋社の社命をかけて付けたのだろう。単なる『昭和天皇回想録』なら買わなかったかも。
私の手元の単行本は1991年初版、一方、木下道雄の『側近日誌』は1990年初版である。しかし独白録の方は既に1990年12月号の「文芸春秋」に掲載済みなので両本も世に出たのは1990年ということになる。
となると、当然に1989年1月の昭和天皇崩御がこの種の本の解禁になったのは誰もが気づくことであろう。
本文を読み、解説を読むと頭がゴチャゴチャになるが、いつの頃から天皇の回想を聞いた「五人組」というフレーズが記憶されてしまう。
五人とは、松平慶民宮内大臣、木下道雄侍従次長、松平康昌総秩寮総裁、稲田周一内記部長、寺崎英成御用掛ということになる。
このうち、天皇崩御後に遺族から著作物が一切でなかったのは、両松平氏であった。松平春嶽系統の二人は死後一切の書き物は燃やしたそうである。天皇の藩屏たちの処し方、生き方であろう。
至上の忠義をもってお仕えしても、どこか割り切れなさを抱えて去った者の遺族はそれをいつか晴らしたいと思うのだろう。
いま、まだ「側近日誌」を読んでいる最中だが、気になったところがあった。
昭和21年4月27日
松平(慶民宮内)大臣来室、…(侍従次長)後任には稲田周一内記部長、予に退官を求む。予も快諾。
4月28日 退官のことを家内一堂に話す。【()内は補充】
戦後のどさくさの1年数カ月、侍従長の藤田尚徳は公職追放対象、次長として両役を勤めた。しかも、その10日前の4月18日には、侍従長の内示を受けていた。
この10日間で何が起きたのだろうか?
昭和天皇の不起訴がほぼ確定したこと。必死に努力をしたのは五人組だったが、そうでない人達も宮中の中に居たということかもしれない、…。或いは、又別の理由か、…。