近代国家とは電気が潤沢に使えることだ、と簡明に答えた経済学者がいた。そう考えると、東京電力以下の大会社が日本中に原発を持つこの国は紛うことなく近代国家なのだが、戦前の総動員体制の軍事国家とさほど変わらない精神主義、自助努力指導が21世紀にも横行している。
戦前とどこが違うのだろうか。戦前も国民は戦争したくなかった。でも、戦争しなければ国が亡びるという危機感のもとに、天皇という神のもとに、この国の膨張の前にたちはだかる国を敵国として捉えて、国民一丸となって攻撃をしていった。
今、何故か、何処か、同じような状況になっている。敵はコロナである。国民の生活の中に紛れ込んだウィルスという極小の敵である。それに対して、また政府は総動員の精神主義と自助努力を強いている。
この国にお金がないのか。それは違うだろう。いらないマスクを数百億で作り、コロナが収まる前にGO TOで何兆円も使った。国民にカネをばらまくと云ったら、どこかの宣伝業者に請け負わせて、それこそ数百億の金を中抜きさせた。コロナを利用して商売させている。
かつての戦争は一部の軍人のエリートたちが栄華や出世のために戦争業に励んだという見方もできる。今、之をあてはめると、一部の政治家の利権や政闘のためにコロナ非常時を利用している、或いは、意識的に手をこまねいて静観しているという結論にならないか。
この電気が潤沢に使える近代国家であるのに、世界に恥を晒して、身の繁栄にうつつを抜かし、国民から報酬を受けながら、日夜、怠惰に勤しむ政治家諸君(与党は当然、野党は野党なりにできることがある筈)は、敢えて昔流に言えば、万死に値する。
政治家は国民のために働く公務員である筈だ。なのに、自らの欲にかられた卑しい顔で官僚の作った空虚な言葉を、時には料金払わせられて、又は企業の宣伝入りで、コロナから疎開して自粛しているのに、毎日見せられる我々国民は、実に歯が浮いて抜ける程の滑稽感と、今や聖上もいない救われない絶望の底に居る。
日本の国民は磊落なのか粗略なのかわからん。