玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

どうしても呑み込めない

2021-04-03 13:32:10 | 政治

それは、ずいぶん昔になってしまったが、2014・7・1集団的自衛権の行使を認める憲法解釈の変更の閣議決定である。

これが何故許されるのか、ずっと小骨のように喉にひっかかっていた。

かつて自民党政権は奥ゆかしかった。

今や、当然に行われている、「全国戦没者慰霊祭」は1963・5・14第二次池田内閣で閣議決定された実施要項が法的な根拠となる。

その後も、1982・4・13「戦没者を追悼し平和を祈念する日」と正式名称が鈴木善幸内閣の閣議決定で名称を定めた。

これらの閣議決定は周辺国への配慮のもとに、法律化を避けた苦心の方策であった。

こういうのが「閣議決定」の効用であり、重みであろう。

ところが、安倍政権は閣議決定で、「セクシーという語の正確な訳出は困難」、「妻昭恵は公人ではなく私人である。」なども行う。これは閣議の私物化という一種の独裁政治である。

 

平和国家として礎となる憲法9条の法解釈を閣議決定で行うという手続きはふさわしいとは思えない。

ここから安保関連法案へ進むのだが、法律化手続きの瑕疵と言いたい。道義的な意味でだが。

あの時、誰もが不審に思ったが、マスコミも学識者もあまりの非常識に唖然として反応できなかった。

これを許してしまったところに、現在のご飯論法やすり替え、と言った国会無視の自民党一党独裁の国家になってしまった顛末であろう。これじゃ北朝鮮や中国の一党独裁を批判できない。

 

ところが、最近ネットで、「文理解釈の枠を超えた法解釈は許されない。・・・それは法解釈に名を借りた法創造(立法)を行っているからである」という論考を読んで、少し気が晴れた。(引用文献:棟居快行『政府の憲法解釈雑考』)

コメント (1)
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21GRAMS

2021-04-01 11:00:04 | 映画

はじめ予告編を見て、心臓移植をめぐっての複雑な人間たちの葛藤の物語と思った。まあ、そういう物語だったが。

主役はショーン・ペンナオミ・ワッツ。二人とも素晴らしい役者だ。

私は、ショーン・ペーンという役者の演技が怖い。多分「アイ・アム・サム」を見てからだろう。ロバート・デニーロより狂気を演ずるのがうまい。過去の配偶者がマドンナとロビン・ライトというから驚きだ、まるで筋肉との結婚だ。

ロビン・ライトは数年前にケーブル・テレビで見たドラマ「ハウス・オブ・カード」で副大統領の妻役で見た時から注目していた。硬質な魅力を持つ女優だ。

ナオミ・ワッツは始めて見た時にニコール・キッドマンの小型版かと思った。ところが、二人とも無名の時にオーストラリアの同じ演劇学校で、今も個人的に仲がいいと、後から知って驚いた記憶がある。

ストーリーは時間の前後が錯綜しているが、途中からわかりやすくなる。白黒映画のような色彩感であった。

ネットで映画を見るときは、いつも細切れに見るのだが、これは通しで見てしまった。

久しぶりに肩が張った映画であるが、良かった。

タイトルの21グラムは初めは心臓の重さかと思った。どうも魂の重さであるとか。人は死ぬと21グラムだけ体重が減るそうだ。

日本人的には魂の重さが2.1gぐらいなら信じるかもしれない、…。(2003年公開)

 

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