玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

また迷い道

2023-03-11 13:18:14 | つぶやき

四十歳の前半に北海道の夏を訪ねた。空港からバスに乗り、札幌市内まで空一面に白い花が光っていた。それがアカシアの花だと知った。友にそのことを話したら、「それはニセアカシア」だと云われて落胆したことを思い出した。

その友は今年年賀状が来なくて、家人から欠礼挨拶が届いた。

先日会った旧友もお互いに見ている相手の老いた顔に驚いていた。まあそんなものだ。

私は学者ではないが、一応、法律も政治も普通に知っているつもりだ。

何故、九条の解釈を自・公議員の閣議決定で行うことを操觚界(言論界)は許したのだろうか。しかも内閣法制局長の首をすげ替えて人的変更に依り実行した。

同じように日銀総裁を替えて人的変更に依り異次元金融緩和を行った。「私は間違えてなかった」と干からびた顔で辞める元財務官僚がテレビに映った。fade outしていく後姿に石を投げる記者は居ない。

たかが法律(放送法)の解釈変更なんか、あの無恥政権は朝飯前だったのだろう。それでもメディアはジッと耐えて、今も「捏造か否か」に焦点をずらしていく。

この國は懲りもせず、また戻りたい「もののふの道」があるらしい。そんなあやしいヤクザな道に戻る前に、fade away「消え去る」 したいものだ。fade out は「消える」らしい。まあ、よく分からないが。

最近、町で見つけた神社。しっかりした赤色でした。

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フェイド・アウトかフェイド・アウェーか

2023-03-10 13:58:07 | ぼやき

ずいぶん昔、ある職場に異動になった時に課内の掲示板には「fo」「fa」が並んだ。要するに「直帰」の意味である。

さんざん大手メディアが使ってきた人気の冷笑型、上から目線の高学歴コメンテーターに対して、手の裏返しのようにマスコミから「フェイド・アウト」すると書いてあった。何となくだが、この「フェイド・アウト」という和製英語を懐かしく思い出した。

昨日コロナの小康時期と見て久しぶりに古い仲間と会った。

ふと遠くから盛り場の裏路地に屯する数人の若い者を見た。パチンコで負けたのか、何か怪しい賭博の後か分からないが、そこを突き抜けて行こうとは思わなかった。

この時、外来の高学歴の丸四角の変形メガネのコメンテーターがけしかけた「集団自決」為る言葉が浮かんだ。彼云う処の金喰い虫の高齢者としては胡乱な奴らに十分注意を払って逃げ回ろう。

本来、自分の納得する時期に、自然と静かに「フェイド・アウェー」する自由を得たいものである。

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何となく感じていた

2023-03-08 19:05:47 | つぶやき

2015年1月に後藤健二さんがアベ政権に放置されてIS国に殺された時に、2015年3月に古賀茂明氏が報道ステーションで「アイム ・ノット・ アベ」と胸にプレートを掲げた時に、庶民は世襲三代のヒトの顔をよく観るべきであった。

あの方は戦後の大学を出ていながら「憲法は権力を縛るもの」という民主制の基本を知らない又は知りたがらない駄々っ子であった。

アベ官邸の番人のスガ長官は記者会見で「この圀は法治国家ですから」とよく呟いていた。その暗い目には「法で決まっていても裏でやれることがあるんだ」と言いたげであった。

二人に共通しているのは「主権は国民にある」という基本を認めず、「主権は支配層が持つべき」という種類のヒトだ。

この二人に2012年以降の日本を任せてきた人たちが、今のこの圀の状況を造った。

ブラックボックスの蓋が開き始めた。これから醜い事柄はどの位出るのだろうか。何となくこんなモノと感じていたが、…。

黒箱から出た幾つかの汚い流れは政治まで辿りつくのか?そのXデーが来れば、この圀は少し変れるかもしれない。

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先入観というモノ

2023-03-07 15:37:41 | つぶやき

「ネトウヨ」とは、一時言及された「dappi」系譜の実態の薄いモノではないかとの先入観を持っていた。

ところが、先日「デモクラシー・タイムズ」で、高千穂大学の五野井氏が自らもロスジェネ世代で、宗教2世であることを前提に、山上容疑者のことを話していた。

確かに非正規で、上場会社の就業経験が無く、日々の生活に追われて活字から離れ、情報がインターネットだけに偏るとなれば、ありうべき又はありそうな「ネトウヨ」の心情や考え方なのかもしれないということを感じた。

自分も現役時代は落ち着いて本を読む時間は殆どなく、その為に本と云えば通勤途中に読む文庫本ぐらいが精々だった。お陰で松本清張の新潮文庫版は殆ど読んだが。

日々の情報は、テレビや新聞と組織内の情報と微かな若い頃の知識しかなかった。したがって、政治的なことには為るべく目を瞑って耳を塞ぐことが生き易い術であった。

退職する頃には、既に「朝日」「読売」をやめて「日経」に換えていたが、さすがに政権批判を全くしない『新聞』というモノに金を払うのを馬鹿々々しいと思った。

以来、できるだけ本という活字情報を基本としてきたが、さすがに狭い部屋に積み上る本を眺めて、地震の時の怖れを直に感じている。終活の意味からも、購入を少なくして図書館で借りるのを増やそうと思っている。

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コロナ三年

2023-03-06 14:31:12 | あれこれ

振り返れば、恐ろしいほど何もなかった三年間であった。多くの人間が日常の活動や行動をそれぞれが考える、又はできる範囲で制限した三年間であった。これで終わるかどうかも分からないが、ともかく三年間が過ぎた。

振り返れば、よくもマア安倍政権は八年も持ったものだ。よく八年間もこの國の国民は許したものだ。いまだにその後遺症が残存しているのがチラホラ出て来ている。

ふと街を歩くと、辛夷の花が咲いていた。

実は木蓮の一種かと思ったがケータイでは「姫辛夷」だそうだ。辛夷が咲けば、もうすぐサクラだが、・・・

既に咲いていた。但し、雲南桜だったが。

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