玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

警察が国民主権を脅かす

2023-09-05 16:39:07 | 政治

五大新聞が書かなければ、テレビが報じなければ、あった事が無かったことになる?時間が過ぎて人々の脳裏から事件への興味が消えれば、事件性が無くなる?

キハラ事件は時間的な風化策を進めている。誰もが思うことは、初動の警察判断が問題である。

この國は、安倍政権以降、官邸権力を警察出身者が牛耳って来たことが気に懸かる。

昔は、竹下政権以降七つの内閣、約8年間勤めた石原信雄氏のような学者肌の文官が官邸の要だった。

安倍・菅官邸では警察官僚の杉田氏をずっと重宝に使って来た。その影響として、警察権力の持つ暗闇がこの事件を噴出させているのではないか。

あの頃の自民党政治には「国民の主権」が幾らか有ったような懐かしい気がしている。

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ネットの忖度

2023-09-04 13:09:09 | 報道

最近気づいたが、一月万冊の佐藤氏、アークタイムスの尾形氏、二人ともキハラ事件やジャニーズ問題を大手新聞・テレビが報じないと問題視する。とくに「記者は書けるのに書かない」と記者個人の勇気や力量を責める。

二人は元朝日新聞、尾形氏の退社理由は知らないが、佐藤氏は自ら書きたいモノを書こうとした結果、資料室や週刊誌に左遷されたと言っていた。

この国の組織では、空気を読まずに正論やまともなコトを言えば、場合によって左遷、下手すれば馘に追い込まれる。

どこの記者も書かないのは、どこの社もその上層部の方針ではないのか。ということは、その上のメディア業界があり、政治という名の自民党が関係しているのではないか。

自らの経験に戻って、何が真の原因か、何が理由かを突き詰め、それを発信して欲しいものだ。ネットは自由度が高いはずだが、推測だけでは言えないという矜持なのか、単に元のメディア業界への忖度なのだろうか?

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「血の歌」なかにし礼

2023-09-03 12:09:31 | 

この本は何で読んだかと云うと、ネットでなかにし礼の死後に机の中から出て来た遺作であり、内容はなかにし礼の姪が森田童子であることが書かれていると聞いたからです。

戦後生まれの七〇年代を生きた者にとって、森田童子は全く素性や素顔のわからない歌手でした。私の頭の中ではあがた森魚と重なって性別すら有耶無耶になっていました。

かなりたってから、テレビドラマ「高校教師」の中で歌(「ぼくたちの失敗」)が流れていたのを記憶しています。真田広之と桜井幸子の主演でした。そう言えば、この二人も近頃は映像やTVで見れません。

つまり色々な理由があって読みたいと思うのですが、買うのはもったいないので図書館で借りて来ました。たった二晩で読んでしまいました。原稿用紙六十枚だそうで、なかにし礼の書いた「兄弟」の基になる習作だったのかもしれません。

読んでいて、作詞家だから当然に言葉は豊富でしたが、情景描写がお座なりだったような気がしています。

近頃小説というモノをめったに読んでいないので、少しは昔の学生の頃に戻ったような新鮮な体験を貰った気がしました。

昔気取って銀座の「銀巴里」に行くと、入り口の後ろの席で立教大学の学生だったなかにし礼がシャンソンの訳詩をしていたと店の人から聞きました。そんな薄暗い店内の隅の席を思い出します。

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戦争の足音

2023-09-02 13:48:59 | 政治

ともかく自民党は長過ぎる。長いことは良くない。政官財の癒着が一つの固まった利権というコア(核)になってしまっている。

昭和的に云えば、大衆はかつての民主党の政権交代によって自民党に喝を入れた積りだった。だが、国有財産の上に建つ自民党本部で彼らは何を反省したんだろう。

政権奪回後は妖怪の孫が警察官僚を使った戦前レジームへの回帰だった。今まで沈黙していた戦前の支配層の末裔たちが右傾岩盤層として台頭してきた。不思議なことだが、この戦前回帰はアメリカへの敗北感、従属感の上に成立している。

ここらで立民党(民を立てる党)は、自民党(自ら民と云う党)が宗教党と連携し、新興宗教とも組んで、政権を奪回した苦渋の決断を見習う必要がある。

いわゆる野党共闘は政権奪回の結果は出ていないが実体の成果を上げている。それが証拠に、自民党が焦って統一教会に頼り、得意の人事操縦で連合会長の政治性を剝いで行った。

2015年9月、安保関連法案強行採決の時に、瀬戸内寂聴が国会に来て「すぐ後ろに軍靴の音が聞こえる」と言った。今まさに、大衆にも戦争の足音が少し聞こえるのではないか。政権交代すれば、所詮「法」は変えられるものだ。

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デパート・スト、いいね!

2023-09-01 11:42:07 | 雑感

若い頃、春闘と云えば、「スト」それも鉄道ストでえらい難儀をして通勤したことを思い出す。

西武鉄道や京浜急行はストをしなかったが、デパートの西武はストをするという。ストは嫌いだったが、特に労働者の人権が軽視される今の時代には、企業に社会的な雇用責任を自覚させる意味でやらねばならない事であろう。

特に労働権という感覚が欧米に比較して薄いこの国の人々には、是非ストをやって、こんな人権表現もあると広めて欲しい。

デパートはストによってブランドイメージが傷つくような感じがあるが、近頃の販売分野ではセルフ・レジに移行する流れがあって、人が客に商品を介して対面で労働を売る職場としては、デパートは最後の牙城であろう。その代表としての労働スト権の発動は他の分野の見本となって欲しいものだ。

昔、東京では西武と伊勢丹はファッション・リーダーだった。今度は労働運動の復活の旗手というのも洒脱である。

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