「今が働き盛り」と自認しながら、汗水流して働きに働いていたあの若いころ、青島幸男という直木賞作家が華々しい活躍をしていた。
マルチタレントなどという言葉では収まりきらない、それはそれは多才というか多芸というか、何をやってもズバ抜けた成果を残し、世間から高い高い評価を受けた。あまりにも時代にマッチしていて、小憎らしいほどの才能にちょっと反発したくなる部分もあったが、やはり大きな憧れを持った人の一人でもあった。
数々のヒット曲を作詞した中に「ホンダラ行進曲」というのがある。
♪♪ 一つ山越しゃ ホンダラッタホイホイ
も一つ越しても ホンダラッタホイホイ
越しても越しても ホダラホダラタホイホイ
どうせこの世は ホンダラッタホイホイ
だからみんなで ホンダラッタホイホイ
ホンダララ ホンダララ ・・・ ・・・ ♪
と続く、例のクレージーキャッツが演じ、かつ歌う無責任野郎のひと節である。
このところ、なんかしらこの歌に惹かれるというのか、身に詰まされるというのか、共感してしまう自分がいる。
「取り敢えず引き受けてやってみるか・・・」という、軽い気持ち?でもないのだが、誰かがやらなきゃならんことならやってみるか・・・と引き受けてしまう。
一旦引き受けたら「世間に対して恥ずかしくないように・・・」とか「同じやるんなら持てる力を出し切って・・・」などと、ありもしな力を振り絞ってみる。
ハマリ込んで取り組んでいる間は疲れなど感じもしないないほどである。
ふと我に返って振り返ると、それなりの成果は残っているように思うが、大きな大きな疲れも残っていることに気付く。
「今さら気が付いても遅いよ!!自分でのめり込めば疲れも出るだろうよ、そんなこたー分かってることじゃないか」と叱られたり笑われたりすることが多いのに、なかなか懲りない。これが私の生きる道・・・などと大袈裟に考えるわけではないが、そんな星の下に生まれたのかな~などと思う。
一つ山越えりゃまた次の新たな山が目の前に。まあ考えてみれば、その繰り返しが生きていることの証明なのかも。
目の前に越える山が存在しなくなった時は「ご苦労さん・お疲れ様」と手を合わされて楽になるのだろう。
その時が来るまでは、格別な意識をしないまま、流れに逆らうこともなく、今の状態で生きて行くのだろう。
一つ山越しゃホンダラッタホイホイ、越しても越してもホンダラホダラタホイホイ!
あきらめるか、開き直るか。どっちにしてもホンダラッタホイホイ・・・ ・・・か。