外出から帰って玄関を開けると、花の香りが優しく包んでくれる。
「オッ、珍しや豪華な花が飾ってある」と思いつつ話を聞いてみると、従姉が夫婦そろって、お花とお菓子を届けてくれたのだという。
この従姉は、103歳の皐月を元気に明るく謳歌している叔母の、80歳になる長女である。
長い間、年に一度の年賀状でのお付き合いであったのが、叔母が施設に入ったことでこちらが見舞いに行くようになってから、時々顔を合わせることに相成った。
「いつもありがとう、『〇〇ちゃん夫婦が遊びにきておくれるのが本当に嬉しい、有難い』と母が感謝しているんよ」と。
ささやかなものですが・・・などと、お花やお菓子、時には缶ビールが届けられたりする。
そんな気遣いなど無用に願いたい、こちらが勝手に行って元気をもらって帰るんだから、といっても「母の感謝の気持ちです」といって譲らない。
振り返って、私の母が施設に入院し、だんだん薄れゆく記憶の中で一番に喜んだ見舞客は、実の妹であるこの叔母さんであった。
こちらも、一回でも多く母を喜ばせようと、叔母さんを連れに行っては一緒に母を見舞ってもらってきた。
そんな恩義も確かにあるが、今はその時の恩返しというより、4歳も違った母の年を越えて尚103歳で元気に世間話のできる叔母さんは、言うなれば私たちの遊びに行く目的地の一つになっている部分もある。
お見舞いに食べ物を持って行っても、その場で食べてもらえるホンのわずかな量だけ。それに、いくら元気とはいえ長居ができるわけでもなく、少し話をして笑いあって引き上げる。別れ際にしっかり手を握って「バイバイ」。
別にお金をかけて見舞いするわけでもなく、たったこの程度のことであるが、叔母さんに喜んでもらえるのなら、これからも出来る限り続けたい。
ただ一つ気がかりは、叔母さんの長男が遠く岡山に住んでいる。わたしと同い年の高齢でもあり、事情もあって、そう度々見舞いに帰ることもできないでいる。
そこへもっていって、いくら近くに住むからと言って、私たちがあまりにも楽しいお見舞い時間を過ごすことは、従弟に悪いなと後ろめたさを覚えたりする。
完全個室で本を読んだり寝転んだり、何不自由のない優雅な施設生活に見える。
が、母親には母親の、完全に満たされない想いは胸のうちから消えることはないのだろう。
そこらあたりも考慮しながら、、それとなくお見舞いに行き、ホンの少しでも叔母さんを勇気づけられたら、黄泉路の彼方で私の母も喜んでいてくれるに違いない、と思う。