梅雨のど真ん中、我が家の庭の主の如く見事に咲いたアジサイは、その名も「墨田の花火」。
同じアジサイの中で、品種改良を重ねて作り上げられたのであろう、風格さえ漂わせるガクアジサイである。母生存の最後の夏だったか、東京の義姉から贈られた花束の1本を地に卸し、大事に育てて今日を迎えている。
そんな「墨田の花火」が、自らの最も美しい季節「花の見ごろ」はとっくに過ぎた今、この暑い太陽の下で今一度可憐に、名残のアジサイを楽しませてくれている。
よく考えてみると、その名の通り夏の夜空を彩る花火になぞらえて命名してもらったのだから、その恩返しに花火の季節に今一度咲いてみようと思ったのかも。だとすれば一概に狂い咲きなどと言っては失礼になるかもしれないね。
花火大会と言えば、まさしく浴衣姿にウチワを持って大きな川の河川敷に、家族や仲良しグループが陣取ってゆったり夜空を見上げる、というのが普通の姿である。
ところが、このところの異常気象のあおりを受けて、ついさっきまで花火打ち上げのセレモニーをしていたと思ったとたんに、とんでもない大雨・大風、おまけにヒョウまで降るという大嵐に見舞われたのは、先日土曜日のこと。
広い河川敷に遠くの駐車場に停めたクルマ。避難しようにも避難の場所も方法もない。途方にくれるばかり。
いざという時の対応が手遅れになるのも無理はない状況である。ただただ濡れるに任せるしかない。それもにわか雨のような雨だけなら、それもまた風流と思えるものを、カミナリは近くに落ちる、大風にヒョウまでとなると、さあいったいどんな対処をするのだろう。自分にも全く想像がつかない。
早めに花火をあきらめて、一目散にクルマに戻る勇気が要るのだろうが、この判断がね~。
花火の雨といえば、昔々の大昔、錦帯橋花火大会で突然の大雨に見舞われたことがあった。二人ともぬれねずみ。近くのガソリンスタンドに駆け込んだ。彼女の白いブラウスがベッタリ濡れて気の毒でならなかった。
何故かそんな遠~~い遠い青春がふと頭をかすめた。これも真っ白いアジサイの可憐さゆえかも。