「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「姉、祥月命日」

2018年03月04日 | つれづれ噺

              

思えば1年前の3月4日。
警察官からの呼び出し電話で、顔色替えて国立岩国医療センターに駆けつけたのは、まさしく21時半を回りかけた時間であった。
救急救命室の奥のベッドに横たわる姉との無言の対面。
なんでこんなことになったのか・・・。言葉にならない。ただただ絶望感と、命の空しさがやたら胸に迫る。

警察官の「本人確認をお願いします」に始まって、順々と詳細の説明を受けた。
下り車線から上り車線がわに横断しようと、横断歩道を渡っていたところをいきなり跳ね飛ばされて。
あっけない幕切れで85歳の生涯を閉じた姉。当時76歳の高齢運転手が、過失運転致死で現行犯逮捕。

あれから1年。まさしく祥月命日の今日。ここに改めて冥福を祈るとともに、自分自身が高齢者ドライバーであることに思いを致し、ハンドルさばきのさらなる慎重たらんことをここに誓いたい。

事故発生から2カ月が過ぎた昨年5月。その時の気持ちを書いた「突然の最期」が新聞に掲載された追悼文を、改めてここに記す。

『早くに夫を亡くした姉は、85歳になっても持ち前のバイタリティと旺盛な好奇心で、忙しく元気に暮らしていた。その姿は一人暮らしを楽しんでいるようで頼もしかった。都会に住む2人の息子たちが定年を迎えたら地元に戻らせて、一緒に田舎暮らしを始めるのを夢見ていた。そんな姉をある日突然、交通事故が襲った。夢がかなうこともなく、何の前触れもないまま容赦なく命を断たれた。さぞかし無念であっただろう。
 
私たちは女4人、男2人の6人姉弟で、戦後のひもじさも高度経済成長の恩恵も体験しながら両親を助け、家族8人肩を寄せ合って生きて来た。第5子で次男坊の私は長女とは14歳、今回急逝した次女とは10歳違い。これはまるで母親が3人もいてくれるような心強い温かな幼少期であったことを思い出す。
 利発で聡明だった長女は、8人家族の中で最も早く病魔に侵された。次いで父が、兄が、母が逝った。その都度、家族姉弟が揃って、手を取り足をさすってねんごろに見送ってきただけに、一人の親族にもみとられることもなく、冷たい路上で理不尽な最期を迎えた姉がふびんでならない。
 加害者の高齢運転者に対する複雑な思いもある。ただ救われるのは、全ての面で思い通りに生きてきた姉の一生は、決して不幸ではなかったと思えることである。
四十九日法要も済ませ、納骨で夫と寄り添うことになった。子や孫たちの成長をしっかり見守ってくれることだろう。』
                   2017年5月10日 毎日新聞「男の気持ち」掲載。

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